49話 B17
リベンは自分の部屋に戻り、椅子に座ってもたれかかって目を瞑り、考え込んだ。
エジンは俺のことをかつて学園から追放したツーホ・ルベンシュの息子ということは気づいていなさそうに見えた。実は気づいていて子供には関係ない事だと気にしていないだけかもしれないが…。どちらにせよ俺を警戒している様子はない。
本人から聞いた話によると学園長は基本的に8時頃に来て19時頃に帰宅。忙しい時期は0時頃のこともあるようだ。学園長室には見たところ何の変哲もないが、廊下は先生たちの人通りが多く大きな音なら聞こえる。死体発見後の聞き取りで俺がいたことがバレるかも。
何か問題が?母の復讐を果たした後なら別にバレて人生が終わったところで…。……。…いや、皆とお別れは嫌だな。もっといい場所とタイミングがあるはずだ。そうだ、まだ早い。もっと情報を集めてからでも…。
そうしてリベンは復讐の実行を避けるように理由を探すのだった。
夜、リベンはバルコニーでパーリラと会った。バルコニーには周囲に人がほとんどおらず、仄かに窓から建物の明かりに照らされ、ひんやりとした風の吹いていた。
「学園長との話の後に呼び出されるってことは、あまり愉快な話では無さそうね」
「まあ、そういうことだ」
パーリラは万に一つは違うことを期待したが、予想通りでがっかりしつつも納得はしていた。
「学園長からお前が競技性選手を諦めるように言ってくれと頼まれたよ」
「やっぱりね。あんたに言われたって私はやめないわよ。あんたもあの人の側に立つわけ?」
「まあ待て。そう焦るな」
「なによ!」
「確かに言うように頼まれたが、俺は諦めるべきだと思っていない。でもこれで一応言ったことにはなるから、やっぱりだめでしたと伝えるだけでいい。これでおしまい」
そもそも諦めさせることが成功しなければ俺の立場が危うくなるわけでもない。これで十分だ。
「ふうん…。まあ別に、あんたが本気で説得したとしても無駄だったんだから」
「だろうな。お前の決心は固い」
「話はそれだけ?私もう行っていい?私忙しいから」
パーリラは照れ隠しにその場をすぐに離れようとした。リベンと2人で話せる機会だったが、目の前にすると冷静さを欠いてしまい、逆に突き放すように言ってしまった。
「それは悪かった。話はそれだけだ」
「そう…。じゃあね」
パーリラは今更忙しいのは嘘だと言うのもプライドが許さず、それでも迷いが生じてバルコニーをもたもたと出て、落ち込みながら廊下を歩いて部屋に戻っていった。
一方リベンはバルコニーに残って手すりに腕を置いてもたれて街を眺めつつ考えこんでいた。
エジンは自身の経験から言ってパーリラでは頂点を取れず、苦しむことになると言っていた。諦めさせるのは苦しい思いをさせたくないという親心だろうか。そういうのってアリなんだろうか。うちは違うからよく分からないな。
だがもし本当にエジンの言う通りなら俺はパーリラを苦しめる選択をしたことになるのか?それで良かったのだろうか?…いや、復讐によってもっと苦しめるようなことを考えている俺がどうこう言えた義理ではないか。
それに本当に苦しいだけだろうか。本人がやりたがっていることなのだから、病気や怪我でただ苦しいだけなのと違い、苦しんで登った坂の上から見える景色が綺麗とか道中に興味深いものを沢山目にする喜びがあるとか、そういうこともあるんじゃないだろうか。第一、これから成長して化ける可能性もあるんじゃないだろうか。エジンの経験則から見て成長性込みでの評価という可能性もあり得るが…。
もしかしたら、俺はあいつが親に逆らって上手く行くことで、ほら大丈夫だと思えることを期待しているのかもしれない。だとしたらあいつのことを考えているわけではなく、俺の都合だ。いいのかそれで?そうでは無いと思いたい。
リベンは息を吐きながら伸びをして、気分をいくらか晴らすとバルコニーを出て部屋へと戻っていった。
パーリラは部屋に戻り、ベッドに倒れて悔しさでシーツを掴んでぐっと拳を握った。
「うぅ…私の馬鹿…」
手を離して体を転がし、仰向けで天井を眺めた。メランドみたいに素直だったらなと思っていると、彼女の姿がぼやっと思い浮かび、見下ろすように嘲笑いながら声をかけられた。
『胸が小さいとうつ伏せも仰向けも楽そうね』
「うるさい」
腕を振ると幻は消えた。そんな悪い顔をして煽るようなこと言う人じゃないと思っているが、愚かな自分を責めるべくちょうど頭に浮かんでいた人の姿を借りて現れたのだった。
「そうよ!そもそもの原因…!」
パーリラは立ち上がって机の上の携帯電話を開き、ベッドに座って実家の連絡先を探して電話をかけた。
電話のコール音が聞こえる間には妙な緊張感があり、苦いつばを飲み込んだ。繋がり、名乗りを上げると緊張のピークを迎えて、後は下がっていった。
「こんばんはパーリラ。あなたから電話を貰えるなんて母さん嬉しいわ」
「母親面はやめて。あんたなんて母親と認めないわ。それよりもリベンに変なことを言ったでしょ?私に競技性選手を止めるようにと言わせるなんて」
「あなたのためを思って言っているのよ。あなたが余計に苦しむことはないわ。あなたでは力不足よ。多くの選手を見て来た私の目に狂いはない」
「勝手なことを!本当は私に記録を抜かれるのが怖いんじゃないの?」
「分かってないわね。あなたが競技性選手になれば、エジン・ベルウッドの子供なのにこの程度なのかと言われて苦しむだけよ」
「上等よ。エジン・ベルウッドの娘なのに、こんなに強いのかと思わせてやるわ」
「気合は認めるけど…気合だけじゃ通用しないわ」
エジンはそう言って溜息をつき、それがパーリラをより苛立たせた。
「しかもリベンを利用するなんて許せない」
「利用なんて大げさな。ちょっとお願いしただけじゃないの」
「そんなの関係ない。彼があんたの代弁したってだけで酷く傷ついたわ」
エジンは直感でパーリラのリベンへの好意を察した。
「友達と聞いていたけど、もしかして恋人だったかしら?」
「なっ、違うわよ!」
「じゃあ好きな人?母さん聞きたいなあ」
「母親面はやめろと言ってるでしょ!大体、あんたは男を愛することなく、買った精子で私やスクルシュ姉さんを作ったんじゃない。そんな人間が恋愛を語らないでよね!」
スクルシュはパーリラの1つ上の姉の名前。生まれながらに内臓に障害があり、1歳を迎える前に死んでいる。わざわざ名前を出したのは、姉というだけだとパーリラが普段お姉ちゃんと呼ぶ血の繋がりがない姉のアペソンと誤解しないようにするため。
「確かに私は結婚せず、精子を買ってあなたたちを作った。20代の頃に採取して保存した卵子と受精させ、代理母たちに産んでもらい、あなたたちが生まれた。でも私が一度も男を愛したことが無いという訳じゃないわ」
「どうだか」
「私にも好きな人がいたわ。別れはしたけど付き合っていたこともある。彼は私が競技性選手として活動している間に他の人と結婚して、それで諦めがついたわ」
パーリラは親の失恋話を聞いてどうすればいいのか反応に困っていた。パーリラが黙っているとエジンが話を続けた。
「競技性選手は30歳前後までが活動期間で、その間に出来るだけ稼がないといけない。引退するまで子供を作る余裕はないわ。30代前半でも子供は産めるとはいえ、そういう制約が無い人と比べたら競争で不利ね。その不利を覆せるほどに魅力があるかライバル不在なら話は別だけど」
「う…それは…」
「あなたが競技性選手になるのを諦めればその悩みから解消されるわ」
「またそれ?どこからでもその話に繋げるようね。私は色恋を優先してやめたりなんかしないんだから!」
パーリラは勢いで言い切って電話を切った。携帯を閉じて布団の上に投げ、体育座りをして目を閉じ、顔を伏せた。
そうよ…有利になるってだけで確実に勝てるわけじゃない。それなのに夢を捨てるなんて割に合わないわ。両方取ればいいだけの話よ。何を弱気になっているのかしら。
パーリラは目を開けて起き上がり、携帯を手に持って机に置いた。エジンがリベンを通じてパーリラに選手になるのを諦めさせようとした目論見は却って彼女の心に火を付けることとなったのだった。




