44話 E12
亜綿郎は学園内の様々な話を耳にする。その中には悩みがある。人間の肉体から解放され、焦りも恐れもない穏やかさを得た彼にとって、自分に影響のない微笑ましい話である。
次の授業の教室に移動するため、男子生徒たちが校舎の廊下を歩いていた。
「彼女に告白して付き合えた直後は気分が舞い上がったよ。だけど付き合って過ごしていると何か違うなって。面倒なんだよね」
「おいおい、何があった?」
「俺が何かに夢中になると不機嫌になる。音楽でも運動でも読書でも何でもだ」
「やきもちか、かわいいものじゃないか」
「そうか?疲れるから勘弁してほしい」
「じゃあ別れるのか?」
「いや、もう少し様子を見ようかな。直してくれるかもしれないし、俺が慣れるかもしれないし…」
「心はもう離れてそうだな。他の女の子に言い寄られたら乗り換えるのか?」
「…そうなったらありえるかも」
「ま、どうでもいいけど、振るならちゃんと振っとけよ。後で困るから」
「きついからできれば振りたくないな。向こうから振ってくれないかな」
「淡い期待はやめとけ」
男子生徒たちは授業を行う教室に入り、会話はそこで途切れてそのまま終わった。
リベンは放課後に特訓を行っていた。普通のトレーニングとは違い、対フランク用に調整された練習だ。それを木曜日まで行い、動きに慣らしていった。
金曜日、トレーニングの授業が無く部活の日、その日のリベンは特訓はせず部活に出た。帰りのホームルーム後、隣のクラスの前でメランドが出てくるのを待った。その間に虚空を眺めて頭の中でフランクとの戦いのシミュレーションをしていた。
ホームルームが終わり、生徒たちが廊下に出て来た。メランドはリベンを見つけて笑顔で駆け寄って来た。
「お待たせ。さ、部室に行こ。鍵開けてね」
「…ああ」
「?」
リベンは上の空で生返事をして歩き出し、メランドは後を追って横に並んで歩いた。心ここにあらずという感じで、一体何を考えているのだろうと不思議に思ったが、様子見をすることにした。
靴に履き替えて校舎を出る頃には目の前のことに意識が戻っていた。部活棟に行き、鞄を置いて倉庫の方に出て行く時にまた考え事でぼんやりしていた。
そして2人が倉庫の方に向かって歩いているその途中。
「えいっ」
「なっ…」
メランドはリベンの腕に抱き着いた。二の腕に柔らかく吸い付くような大きな双丘の圧があった。近づいたメランドの頭から熱気に乗った甘い香りが漂って魅了される。
「何だよ急に」
「だって私の話聞いてないんだもん」
メランドはむすっと拗ねて不機嫌な表情を見せた。その不機嫌な表情にも愛嬌がある。
「ごめん、聞いてなかった。もう一度お願い」
「しょうがないなあ」
メランドは腕を離し、リベンは名残惜しさを薄っすらと感じた。
「最近、何か特訓してたみたいだけど今日もするの?」
「いや、今日はしない。次の特訓は月曜日。今日は部活に出るよ」
「本当にいいの?」
「筋肉は休んでいる間に修復されて成長する。休ませる時間も大事」
「そこはちゃんと守るんだ。結構冷静なのね」
「それで弱体化したら意味無いからな」
「ふふっ、しっかりしてるね」
メランドは嬉しそうに微笑んだ。しっかりしているところとと今日は一緒に過ごせることで嬉しくなった。ただ、危ういところが無い訳ではなく気になる部分はあった。
「私が見たところ、疲れてぼーっとしているというより、作戦をずっと考えてて目の前が見えていない感じ?ちゃんと前見てないと危ないよ。音もちゃんと聞いてないとね」
「ああ、そうだな。ありがとう、気を付けるよ」
「本当?ちゃんと守るよね?」
メランドは体を前に倒してリベンの顔を覗き込んだ。
「大丈夫、ずっと考えていると視野狭窄に陥る。一度は離れることが大事というのも分かってる」
「ならよかった」
メランドはそう言って安心しながらも少しだけ残念そうだった。ぼんやりしていたらそれを理由に腕に抱き着いて驚かせられるが、その理由がなくなるからだ。
2人は倉庫前に行き、バードバスの掃除と水替えの道具を持って学園内のバードバスの場所へ向かった。ウィンドウを開いて確認し、まだ掃除していない箇所のバードバスを洗い、水を注いで回った。その後、倉庫に戻って道具を片付け、近くのバードバスが見えるベンチに座って休んだ。
小鳥たちが飛んできて周囲を警戒してキョロキョロ見た後、パシャパシャと水浴びして飛び立って行く様子が見られた。その細々とした動きはかわいらしく、ダイナミックに羽ばたく動きはかっこよく感じられる。
「さっきは悪かったな。話聞いてなくて」
「え?ああ、もう謝ったじゃない。何度も謝ることないよ」
メランドはもう済んだことだと思っていたので少し驚き、相手を納得させようと。
「考え事しててぼんやりすることくらい誰にでもあるよね。でも危ないからやるなら安全な場所でね」
「ああ、気を付けるよ」
「でも気持ちは分かるな。夢中になれるのは楽しいもんね」
メランドはにっこりと笑って、それがご機嫌取りではなく本心だと伝えた。
彼女がむすっと拗ねたのは無視されたことに対してであり、リベンが他のことに夢中だったからではなかった。自己肯定感が高い彼女は無視されることに腹が立つ。この私が声をかけているのに失礼ね!と不愉快になる。一方で、自己肯定感が高くて依存はしないため、あなたに興味無くされたら生きていけないと他の関心事に対して危機感を覚えることもない。むしろ彼女の場合は、人の真剣な表情や雰囲気が好きであり、何かに強い関心がある方が好ましい。
彼女にとってリベンはいなくても生きていける存在だが、いることでより人生が充実する存在である。だからといって、彼女は他人にそんないいものを譲るほどのお人よしではない。
「楽しい…か。確かに楽しんでいたのかも」
何のためにこの学園に来たのかを忘れて、夢中になって特訓に打ち込んでいた。体を休ませる日は倒し方の考察をして、やはり目的を忘れている。そして部活は休憩タイムで目的を忘れている。何だか段々と母さんとの大事な約束の記憶が薄まっていくみたいだ。いいんだろうか。
「リベン」
「ん?」
暗い表情で考え込んでいたリベンは声をかけられ、我に返った。
「私、影のある表情にも惹かれるけど、楽しそうな表情も好きよ。覚えておいてね」
「あ、ああ…」
どうしてそんなことを言うのだろう。遠回しに暗い顔するなと言っているのだろうか。それとも俺に不幸な過去があった雰囲気を感じ取って、過去を乗り越えて楽しむのを後押ししようとしたのだろうか。明るく変わっても嫌いにならないから安心してね、と。
それともまさか、俺の正体を調べ上げ、復讐のことを予想して止めようと?いやいや、それはない。俺が復讐に気づかれているから止めようと思う妄想に過ぎない。そうとも、いくらメランドが賢いとはいえ、回りくどいことをする性格ではない。「腕が疲れたな~」と遠まわしに言わずに「持ってくれない、お願い」と素直にお願いする。素直に言っているだけだろう。でも、デリケートな話題なら遠回しになる可能性も…?
リベンはメランドの顔を見て言葉の真意を探った。
「そんなに見つめられると恥ずかしいな…」
「あ、ごめん」
「恥ずかしいけど駄目とは言ってないよ」
メランドは顔を少し下に向けて頬を赤らめ、恐る恐る覗きこむように上目遣いでリベンの顔を見た。
「何なんだよもう」
「あはは」
メランドは顔を上げて恥ずかしさを誤魔化すように笑い、リベンはその朗らかな雰囲気に飲まれて肩の力を抜いて悪い方へ考えるのをやめた。
そうして過ごしているうちに心が安らぎ、より強い精神でランキング戦へ望めるようになった。理想としては気が乗ろうが乗らなかろうが確実に勝てるようにしたいところだが、折角精神的に安定しているのだから有効活用したいのも事実。7位奪取への準備を整えていった。




