42話 C9
リベンは順位を賭けた決闘を勝利で終えて8位を守り、寮に戻った。復讐計画に順位は関係ないが、道場で育った者として自分より弱い人に順位を渡すのは嫌で、さらに今はシュロンと戦い勝つために7位を目指していた。
そして決闘した広場から寮に帰る途中、倉庫前でアペソンを見つけた次第だ。
「先輩?大丈夫ですか?」
アペソンは声をかけられて我に返り、リベンを見た。その目は焦点こそ合っているが、遠くを見ているような目だった。その人物を見るというより、人間という種であることや男という性であるといった属性のみを確かめるような目。
「リベン君…。あなたになら…いや、あの子に悪いわ…」
アペソンは誘惑を言いかけて、罪悪感から踏みとどまった。
「何かあったんですか?」
「ごめんね。ちょっと分かんなくなっちゃって…」
「俺で良ければ聞きますよ。先輩にはお世話になってますから恩返ししたいです」
「リベン君…そうね…」
リベンは倉庫の壁を背に、アペソンの横に少し間を空けて並ぶように立った。
「枕営業ってあるじゃない?」
「ええ、言葉くらいは知ってます。でも偶にそういうニュースを聞くくらいで全然ですから、主流じゃないんじゃないかと…」
表に出てないだけかもしれないが、それを言うと先輩は「やっぱり」と思って、良くないことをしかねない。
「もしやろうとしても、今の私じゃ嫌そうなのが伝わって相手を白けさせちゃうと思う。好きでもない相手にするのを慣らしていかなきゃ、でもその前には比較的好意的に見てる人となんて考えて…私ったら最低ね」
アペソンは申し訳なさそうにリベンとは逆方向を向いて目線を逸らした。
「そんなに切羽詰まってるんですか?」
「そういう訳じゃないの。でも、それくらいのことができないのは、私が選手になるために本気で取り組んでないから…ちっぽけなプライド捨てることができていないからかなって…」
「…誰かにそう言われて迫られたんですか?」
「大丈夫、そんなことないわ。ただ、そういう話を耳にして考えてしまったの。そこまでやっている人がいるのに、私はこのままでいいのかと」
「成程…」
知人か友人からその話を聞いて気が動転して焦っているのだろう。
「俺は演技のことはよく分かりませんが、自身を売り込むという効果を考えるなら、枕営業は先輩には必要ない…、むしろ悪影響だと思います」
「どうして?」
「以前に、先輩は我が強くて個性が強いわけではなく、協調性が高いのが強みで脇役向きという話をしましたよね」
「そうね。それで霧が晴れたような気がしたけど、新しい霧に包まれちゃった」
アペソンは下を向きながら苦笑いをして頬に手を当てた。
「協調性だけでなく常識的や良識的なのもいいところです。偉い人にいい役が欲しいからと色仕掛けなんてしたら、行動の一貫性を欠いて疑心暗鬼にさせてしまいかねません。信用は大事です」
復讐計画のために潜伏しているリベンはそれをよく理解している。
「確かに、自分が目立つためなら何でもするだろうという行動の一貫性があって信用できる人もいるでしょう。逆に矛盾した言動でも大きな影響力があれば相手にされます。でも先輩の場合は違います。良識人という価値を損ねることでしょう」
「私のことを買い被りすぎじゃない?」
「ああ、すみません。いい子であることを褒め、そうであり続けるように言うのは窮屈ですよね」
「そうよ。私だって誘惑に負けてケーキ食べることだってあるんだから悪い子よ」
「ふふっ、かわいいものですね」
「なっ…」
リベンはクスッと笑い、アペソンはムッと口をヘの字に曲げた。少し元気が戻って来ていた。
「やはり先輩は良識人です。自分の善性を大事にしてください」
「…でも本当にいいのかな?ここでちっぽけなプライドを捨てないばかりに、いつまで経っても成長できないってこともあるよね?」
「そうですね。いつまでも意地を張ってないで頭を下げて教えを乞うとか、客に媚びるのは嫌だと言ってないで客の好みに合わせるとかできないのは停滞です。でも今回はそういう話ではないような…」
アペソンは少し傾いているがまだ悩んでいる様子だった。
「私は思うの。何かにしがみついていて聞き入れられないでいたら成長しないって。何年もずっと脇目も振らずこのやり方で鍛えて来たんだという人に、その方法は間違っていると言っても、今までの人生が無駄になるのが嫌で聞き入れられないものでしょう?自分そのものを揺るがすから」
「それは…あるでしょうね」
リベンは冷静に返答しながらも内心ドキリとした。復讐のために何年も生きてきて今更変えられるわけがないと感じていたためだ。
「私はもしも肉の焼き方が間違っていると言われたり、走るフォームが間違っていると言われたりしたって、すんなり聞き入れられると思う。演技指導だって、長年信じて来た方法が違ったとしても驚くけど多分受け入れられると思う。枕営業を受け入れられないのは、自分そのものを揺るがすからよ」
「拒否感があるのは普通のことです。変じゃありませんよ。自然な反応です。何を不安がる必要があるのですか?」
「……」
「…おそらくですが、友人が捨てているのに自分は捨てていないのは同じ土俵に立てていないと感じて焦っているのでは?なぜ同じ土俵に立つ必要があるんですか?そもそもその土俵自体幻想なんじゃないですか?」
「そうか…そうだったのね…」
アペソンは引っかかっていたことに納得がいき、空を見上げた。心の霧が晴れたようだった。大きく差がつけられたと感じて焦っていたのだ。しかし、エギルダとは活かす強みも勝負する場所も違う。単純に比べることはできないはずだ。
アペソンは体を90度回してリベンの方に向き、リベンもそれに気づいて向き直った。
「ありがとう。助かったわ。あなたにはお世話になってばかりね」
「いえいえ。俺の方こそ、先輩には助けられてばかりです」
「でも良かったの?上手く丸め込めば私の練習相手になって美味しい思いが出来たかもしれないのに」
「惜しいことしました。でもいいんです。こうして先輩の笑顔をまた見ることができましたから」
「かっこつけちゃって。でも本当にありがとね」
アペソンは照れた笑顔を見せ、2人は安心して寮へと帰っていった。
高層ビル、ケンラン協会のフロア、ドアの閉まるエレベーターの中、ポンドーレはドア開ボタンを押してもう一度開いた。
「会長!」
「ん?」
「確かに人々夢を見せるために私たちは現実を見なければいけない。でも、私たちが夢を見て、その熱意が人にも夢を見せることに繋がると私は思います!」
「そうですか…それもあるかもしれませんね。君は君のやりやすいように、人に夢を見せてください」
「はい!」
再びドアが閉まり、エレベーターは下に向かい、階の表示灯は小さい数字に移っていった。
ポンドーレは一階に着き、先に下で車を準備していたマネージャーと合流して自宅兼事務所へと帰っていった。
会長は会議室に戻り、次の会議前に副会長と雑談をし、資料を見ながら副会長が話を振った。
「この事務所、そうか去年の枕してきた…もう一年経つんですか…」
「今度やったら一年の停止じゃ済ましませんよ。私たちは売れる商品を作るのが仕事です。個人的に深い仲の選手を贔屓して作品が歪められ、売れなくなっては困ります」
「全くです。しかしまた忘れた頃に同じことするのが出てこないか心配です。協会の外でやられたら分からない」
「そうですね。傍目には贔屓なのか本当に良いと思ってるから推薦しているのか分かりません。贔屓したわけではなく、その人が適任だと思った配役が予想外に合わなかったこともありえます。区別がつかないのが厄介なことです」
「ただ一つ言えることは、私たちには通用しない」
「フ、私たちは金の亡者ですからね」
「ですね。フフッ」
会長と副会長はジョークで和み、気を引き締め直してその後の仕事に取り組んでいった。




