41話 C8
セレネベセアの商業港エリアに客船が到着し、乗客たちが船から降りて来た。その中に元競技性ケンラン選手のポンドーレがいた。彼は現在、選手を引退して解説を務めており、その仕事で海外に行っていたが、それを終えてマネージャーと2人で戻って来た。
ポンドーレは手続きを終えてビルから出て、ペデストリアンデッキの上から周囲を眺めた。立ち並ぶ高層ビルは逆光を受けて影がかかって見え、その合間に広大な青い空と分厚く大きな白い雲が見える。その少し下の大通りには逆さ帚状に枝を伸ばした大樹の並木が緑色のトンネルを作り、下には多くの人の姿があり、悠々と歩いていた。
「うーん、やっと帰って来た。やはり故郷はいい。あ、故郷じゃないだろって思ったでしょ?」
「別に思ってませんよ。第二、第三でも故郷は故郷です」
マネージャーは淡々と答えて、テンションの上がっているポンドーレのウザ絡みを流した。
「その通り。そして第二の故郷が第一の故郷を超えないとは限らないのだ。まずはそこでお茶しよう。デッキの上は日が当たって暑い」
2人は日差しから逃げるようにデッキを進んで階段を降り、木陰の中へ入った。ジリジリとした日差しと地面からの照り返しが無くなり、一気に体が楽になった。時期は初夏で、日が当たる場所は暑く客入りが少ない。大通りでははるか頭上の木の葉がそよ風に揺れてサラサラと葉の擦れる音が聞こえ、地面に出来た日だまりが移ろいでいた。小鳥の囀りも時折聞こえる。
白っぽいグレーの多い壁や道路、頭上には緑のトンネル、花壇には赤や黄、青や紫など色とりどりの花が咲き、おしゃれなデザインの店が並ぶ。ビルや店の出入口の近くにある巣台にはツバメが巣を作り、近くの公園の柱や木にかかっている巣箱にはカラ類が巣を作り、親鳥たちが忙しなく飛び回って次々と虫を狩っていた。
セレネベセアの都市部の樹冠被覆率…つまり空中から見て木の葉が地面を覆う割合は30%程度で、主要な通りに限れば75%を超える。街路樹のうち木陰目的で植えられているのはほとんどが冬の間は葉が落ちる落葉樹で、冬の間は日が差し込む。命の危険がある夏の暑さを前に、落ち葉がどうこう言ってる余裕がない事情もある。主要な通りには枝の広がらないコンパクトな木ではなく、枝が広がり樹冠を広げる大型の木が植えられている。
ポンドーレたちはカフェに行き、外の席に座って木漏れ日の中、ゆったりとお茶とケーキを飲食してティータイムを取った。香り豊かなお茶と、瑞々しい果物を使った甘く綺麗なケーキが気分を上機嫌にさせる。
「しかし、帰ったその日に会長たちと打ち合わせはつめこみすぎました。大丈夫と言うから予定入れてしまいましたけど…」
「ここで一休みする時間があるから大丈夫。糖分もこうして補給してさ。ケーキなんて滅多に食べないからいいリフレッシュになるよ」
彼は選手時代には脂質の多いケーキをあまり食べておらず、それに慣れていて脂質の多いものは今も多くは食べられない。なお、高脂質は避けるとはいえ選手時代の食事量は多かったが、今は引退して食事量が落ちている。それもあってこのカフェの小さいケーキがちょうどいいのである。
「ならいいですが…独身の私と違い、家族のいる家にすぐに帰りたいでしょうに」
「夜には帰れるんだ。会えないわけじゃないし深刻に考えることはない」
ポンドーレは落ち着いた口調で話し、相手を安心させた。なお、彼の言う家族とは、今の妻とその子や自分の両親だけではない。彼には今の妻との子だけでなく前妻や内縁の妻との間にも子供がおり、選手時代に大金を稼いだが養育費の支払いで出て行くのでまだ仕事をしている。ケンランの選手はこのような実質一夫多妻のパターンが多い。
「ありがとう。仕事取って来てくれて」
「当然です。それが私の仕事ですから」
2人はそのカフェで一休みして気力を回復させ、タクシーに乗って現在いる国の中心トライピーク地区からケンラン協会のあるネオゴドア地区へ向かった。
それから高層ビルの中、ケンラン協会のフロア、その会議室で新しい企画の会議が行われた。協会は良くも悪くも調査分析を重視し、安定感はあるがスピード感はない。その代わり幹部の裁量に任せる部分が大きく、会長や副会長に都度お伺いを立てることがないため、それによって遅さを補っている。
ケンラン協会の会議は勢いや熱量が少なく、会議前の小芝居でリラックスさせるのもあって落ち着いた進行となる。顧客が座っていると想定した空席を設けて行う会議は一部ではあるが、顧客目線を意識して行うことが多く、それゆえに良くも悪くも自我は控えめで熱量は小さくなりがちだ。
会議終了後、ポンドーレと会長は軽く雑談をしながら廊下を歩いた。エレベーター前の別れ際に会長が言った。
「ポンドーレ君、私たちの仕事は人に夢を見せることです。自分が夢を見ることではありません。それをお忘れなきよう」
「ええ…分かっています」
下の階行きのエレベーターが到着して扉が開き、ポンドーレが乗り、会長が小さく手を振る中、扉が閉まっていった。
一方、ユリブラン学園。次の月曜日の放課後、演技性選手コース3年生の生徒たちが授業を終え、それぞれ下校している途中、下校中のある女子生徒にアペソンが駆け寄って声をかけた。
「エギルダ、クラスのみんながあなたのことで変な噂をしているけど…大丈夫?」
「平気だよ。すぐに風化するって」
エギルダ・ヘクサムーン、演技性選手コース3年。演技力のある実力者。加えて、彼女は我が強くて纏うオーラに存在感もあり、主演に選ばれやすい。一応アペソンの友人。仲の良い友人たちのように一緒に過ごすことは少ないが、ただのクラスメイトと呼ぶにはもう少し深い仲である。
「いったいどこからあんな変な噂が…」
「見られちゃったかな。ボク隠れるのはどうも下手だな」
エギルダは噂が事実であると暗に認めた。
「それじゃ本当に…」
「向こうで話そっか」
エギルダは倉庫を指さした。掃除部や園芸部、野鳥観察部の使っている倉庫だ。部活以外で使われることはほぼ無い。
「えっと…」
アペソンは迷ったがエギルダは気に留めることなくスタスタと歩いて行き、アペソンは仕方なくついて行った。
エギルダは鍵を開けて引き戸を開き、2人が中に入ると扉を閉めた。砂や洗剤のような匂いが漂い、歩くと砂とコンクリートの擦れる音がした。天井付近には小さな採光用の窓があり、内部はやや暗いがはっきりと見えた。彼女は掃除部に所属しており、数少ない倉庫の鍵の持ち主の一人である。
「念のため確認するわ。この間、学園に来ていた事務所の上役と寝たという噂は本当?」
「本当だよ。それが何?」
「強要されたの?先生に相談しましょう。学園が守ってくれるわ。言いにくいことだろうけど私がついてるから」
「ちょっと待ってよ。アペソンは勘違いしてる。ボクから所長さんを誘ったんだ」
エギルダは手のひらを広げてアペソンの前に着き出して静止した。アペソンは彼女が所長にそう言わされているのではないかと疑い、嘘をついてないかじっと顔を見た。
「疑っているの?フフ…君に嘘か本当かボクの演技を見破れるかな?嘘だと思うなら、寝た時のことを詳細に語ろうか?」
「からかわないで。真面目な話よ」
エギルダは内心うるさいなあと思いながらも不満そうに黙った。アペソンは嘘ではないと感じ取った。
「こんなの良くないわ。そういうのは実力で掴み取るものでしょう?」
「実力だけで済むならこの世に宣伝も接待も存在しないよ。好感度稼いで雇ってもらおう、いい配役を回してもらおうとすることのどこが悪いのさ?」
「でもそんな体を使ったやり方…」
「純情ぶっちゃって。君はまだ本気じゃないからそんな甘えたことを言うんだよ」
「私が…甘えている?」
「そうだよ。君のことだからロマンス作品に出てくるような恋をした末にとか思ってんでしょ?いつまでも子供みたいな夢見ちゃってさ。くだらないプライドは捨てて使えるものは全部使わなきゃ。捨てずにいるのは本気じゃないからだよ」
「そんな…」
「ボクは本気なんだ。本気で演技性選手を目指している。だからボクの邪魔したら容赦しないよ」
「……」
半ば強引に話が終わり2人は倉庫を出た。エギルダは鍵を閉めて一足先に寮へと帰っていき、アペソンは分からなくなってその場に立ち尽くしていた。
そうして呆然としているとリベンが近くを通りかかり、彼女に気づいて声をかけた。




