38話 C7
ユリブラン学園の壁は綺麗に磨かれ、その反射で今日も学園を明るく照らしていた。有名人を多数輩出している学園の建物らしく、綺麗に維持されている。
授業と授業の間の休み時間、次の授業の教室へ生徒たちが廊下を歩いていた。その中に昨日の賭け野球の話で盛り上がっている生徒たちがいた。
「くっそー、昨日は負けた」
「俺もだ。点差が思った以上に開いたなあ」
「こうなりゃ食費を削って挽回を…」
「やめとけって。そこ削るとトレーニングで死ぬぞ」
「勝てば問題ない」
「そうだけども…」
その賭け話を冷ややかな目で見ている生徒たちもいた。
この学園の生徒は成人済みなので賭けに参加できる。セレネベセアでは18歳以上かつ新年度である4月以降であれば、国から認可を得ているギャンブルには参加できる。しかし、合法とはいえ賭けは印象がいいものではない。
セレネベセア式野球は賭け向けにルールがいくつか異なる。野球名乗っていいのかというくらい違う。投手と捕手とバッターがいて、3アウトで攻守交替なのは同じ。
塁も守備も存在せず、いるのは球拾いだけ。グラウンドには弧状に2本の線が互いに離れて引かれていて、打った球が落ちた場所で点数が変わる。内側の線の手前に落ちると0.8倍、2本の線の間なら1.2倍、外側の線の向こうなら1.3倍で計算される。団体によってこの点数は異なる。
初期持ち点は1万点。これに掛け算で点数が変動する。賭け内容は2つのチームの点差がどれだけ開くかを当てるというもの。中間時と終了時の2回賭けるタイミングがある。2500点刻みで8段階のレンジがあり、1つ以上選んでお金を賭ける。20001点を超えると1~2500点に戻って来る。だから例えば30001~35000のレンジを予想している場合は、10001~12500のレンジと125001~15000のレンジに賭けることになる。
掛け算で点数が変動するので、動きが激しくハマる人はハマる。1人ずつ交互に打つのではなく、攻守交替でチームが交互に打つので、点差がぐんぐん開いては交代で縮んだり追い越したりとレースゲームのように変動する。
守備やダッシュの技能が要らず、人数も融通が利くので、手軽に楽しむために賭け関係なしにこのルールで遊ぶ人もこの国には多い。
「リベン君は賭けはしないの?」
話を聞いていたトモイはリベンに尋ねた。
「ヒヤヒヤドキドキは求めてない。生きていれば嫌でもする機会があるよ」
「生還した時の快感もあるだろうけどね。確かに僕たちはプロ選手になれるか人生を棒に振るか、賭けみたいなものだからね。プロ選手になっても、仕事が取れるか取れずに減る残高に焦らされるか、ヒヤヒヤドキドキすることだろう」
「まあそういうことだ。で、トモイは賭けをするのか?」
「僕もしないよ。そのお金があったら演奏を聞きに行きたいからね」
「成程。お前は音楽好きだもんな。まあ俺らには無縁ってことだ」
「つまらない人たちね」
パーリラが横にやってきて文句を付けた。
「何だよ、俺らの勝手だろ?」
「そういう君は賭けをするのかい?」
「私はしないわ。でも賭け事しない男って真面目すぎてつまんない」
パーリラはそれだけ言い残してさっさと歩いていった。そして着いた教室で席に着き、机に突っ伏して後悔した。本当はそんなことを思っていないのに、リベンの前では調子がくるってつい嫌がらせのようなことを言ってしまった。うぅ…とうめき声が漏れ出て、パーリラの友人たちは声をかけていいのか戸惑っていた。
パーリラが去った後、リベンたちは困惑しながらも歩いていた。
「はは、パーリラさんらしいと言えなくもないが…」
「あいつの言葉は分かりにくいからな。きっと本当に賭け事してたら嫌うなんてこともありうる」
「確かに。そんなところある。流石はよく分かってるね」
リベンとトモイは不機嫌になる様子はなかった。しかし、廊下でその様子を偶然目にしたアペソンはあんなの良くないと感じた。すぐに嫌われるというわけではなさそうだが、度重なれば愛想が尽きることもありうる。妹が苦しむのは嫌で何とかしたいと思った。
その夜、寮の自室でアペソンはパーリラに電話をかけた。
「パーリラ、今から私の部屋で話さない?」
「これから?…分かったわ。じゃあ5分後に」
パーリラはアペソンの雰囲気から何か叱られるのだろうと思った。家で一緒に暮らしていた時に同じようなことが何度かあり、前もって分かった。
パーリラはパジャマの上から上着を羽織ってアペソンの部屋にやって来てノックした。
「お姉ちゃん、パーリラよ。来たわ」
「はいはーい。今開けるわ」
アペソンは扉を開けると、萎縮しているパーリラの姿が目に入った。
「お姉ちゃん、私何か怒らせるようなことを…」
「違うよ、あなたが心配で…とにかく入って話しましょう」
そうは言われてもパーリラは叱られると思って緊張していた。戦闘力では競技性選手目指して鍛えていてランキング入りもしている彼女の方が姉よりも遥かに上だが、逆らえないものがあった。
アペソンはパーリラの手を優しく取って招き入れ、ちゃぶ台を挟んで座った。近くのクッションに手を伸ばして掴み、パーリラに渡すと、彼女はクッションを抱きかかえて安心感を得て緊張がほぐれていった。こういう時にはこうすればいいことを一緒に暮らしていたアペソンは知っている。
「話というのはリベン君とトモイ君への態度のこと。廊下で話しているのを偶然見たけど、あれは良くないわ」
「私も悪かったと思ってる…」
「じゃあもうやめることね。リベン君とはこの前、誤解を解いて仲良くなれたのでしょ?折角仲良くなれたのに、気になる子に意地悪して嫌われるような真似は良くないと思うな」
「嫌われるか…それでもいいかな…」
「リベン君のことが好きなんじゃなかったの?」
「そうだけど…」
パーリラは恥ずかしがって頬を紅潮させ、クッションに顔をうずめた。
「好きだから嫌われたい。好きになって欲しくない」
「…?」
パーリラの言葉にアペソンは首を傾げた。
「どういうこと?」
「そのままの意味よ。私が相手を好きになる分にはいいわ。でも好意を向けられると冷めてしまう。いつもそうよ。だから好きになって欲しくない」
「ふうん…」
アペソンはパーリラが心を閉ざさないように控えめな反応をしたつもりだったが声が上ずった。内心では予想外の言葉に驚きを隠せずにいた。
「私の好きという気持ちを消したくないだけなの。自分勝手な話よね?」
パーリラはそう言って自嘲気味に笑った。
「そんなこと…。好きな人に振り向いてもらえたら嬉しくないの?」
「嬉しくない。嫌」
「うーん…どうして?」
アペソンは優しい声色でパーリラに尋ねた。
「大丈夫。お姉ちゃんに話してみて」
「話せるなら話したい…でも本当に分からない。お姉ちゃんは違うの?」
「私は…好きな人と両想いになれたら嬉しいかな」
「そう…普通はそうだよね。やっぱり私が変なんだ」
パーリラは肩を落とし、その姿は小さく見えた。アペソンは腰を浮かせてパーリラの横に移動し、頭を胸に抱き寄せた。
「大丈夫よ。そういう話は聞くもの。変じゃないわ。偶々、私やあなたの周囲の人とは違うだけ。世の中にはあなたと同じ人はいるわ」
「うん…」
好意で触れられ、包まれるように抱かれて、パーリラは気分が安らいだ。不安が消えていき、心地よさで眠くなってうとうととし始めた。
「あらあら、もう寝ましょうか」
「ごめん、お姉ちゃん…」
「いいのよ。私も今すぐどうしたらいいのか答えられないの。次までの宿題ね」
パーリラは体を起こし、アペソンは立ち上がって手を伸ばした。パーリラは手を引いて立ち上がり、2人は部屋を出た。
「おやすみ」
「おやすみ、お姉ちゃん」
パーリラは廊下を歩いていき、階段に進んで姿が見えなくなった。アペソンは部屋に戻って机に向かってメモを書きながら考えを整理し、悩んだ。そして一度寝かせて、冷静になって考えようと、その日は眠りに就いた。




