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『エルフんどし先生の情熱授業 』  作者: 水前寺鯉太郎
シーズン1

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第9話

 王立ブロッサム学院が緊張感漂う冬休みに突入して、一週間が過ぎた頃。

 学年主任率いるエリートA組との「学期末対抗テスト」が目前に迫り、三年B組のプレッシャーは極限に達していた。

 極寒の雪風が街を吹き抜ける夜。俺、坂本エルロンドのもとに、実家を手伝っていたケンから息を切らした緊急の連絡が入った。

『先生! うちの委員長(ガブリエル)が……下町の『魔導幻煙の窟』に一人で入り込んだってタレコミだ!』

「何だと……!」

 来春の最難関学院の入試、そして一族からの『完璧な模範生であれ』という熾烈な重圧。原稿用紙の授業以降、仮面にヒビが入りながらも必死に取り繕ってきた彼女の精神が、ついに限界を迎えたのだ。

 あそこは違法な魔薬が蔓延るスラムの無法地帯。教頭や一族に知られれば即刻退学、いや、命すら危うい。

「ケン、シンゴに伝えて裏口の魔力監視網を過電流で一分だけショートさせろ。俺が今から連れ戻す」

 俺は白褌の帯をギュッと締め直すと、上から厚手の黒外套だけを羽織り、雪が舞い散る極寒の歓楽街へと飛び出した。

 ――夜。下町の入り組んだアングラ街。

 甘ったるく吐き気を催す魔導煙が漂う、薄暗い非合法クラブの裏口。俺は生徒たちの攪乱を頼りに、音もなく奥のVIPルームへと潜入した。

 そこに、ガブリエルはいた。

 制服のエンブレムを乱暴に引きちぎり、不慣れな厚化粧を施した痛々しい姿。手元には強い酒と、意識を麻痺させる違法な香煙。ガラ悪きスラムの男たちが彼女を取り囲み、卑猥な笑みを浮かべて煙を吸うよう強要している。

「ほら、いいとこのお嬢ちゃん。これ吸えば、嫌なこと全部忘れられるぜ?」

 ガブリエルはうつろな瞳で、震える手を香煙へと伸ばしかけていた。楽しんでいるのではない。「エルフの優等生」という呪縛から逃れるため、誰も自分の名を知らないこの底辺の泥沼に、自分自身を沈めて壊してしまおうとしていたのだ。

 バァンッ!

 俺は重厚なオークの扉を蹴り破り、VIPルームへと踏み込んだ。

「な、なんだ貴様は!? ここは関係者以外――」

 男たちが弾かれたように立ち上がり、懐から呪符の貼られた凶刃を抜く。

 殺気が膨れ上がる閉鎖空間。だが、俺は歩みを止めない。

「死ねッ!」

 先頭の男が振り下ろしたナイフの刃を、俺は素手で真横から叩き折り、そのまま男の腕を掴んで関節を完全に裏返した。

「ぎゃあああぁぁぁッ!?」

 絶叫して崩れ落ちる男の顔面を床板が割れるほど踏み砕き、俺は懐から『王立ブロッサム学院の教員証』を血まみれのテーブルに叩きつけた。

「俺は坂本エルロンド。この子の担任だ」

「た、担任だと……? ふざけるな、ここは俺たちのシマだぞ!」

 残る男たちが後ずさる中、俺は地を這うような声で睥睨した。

「いいか。今すぐこの生徒から離れろ。もし指一本でも触れてみろ……治安維持騎士団など呼ばん。この俺自身が、貴様らの組織の末端から元締めまで、一人残らず根絶やしに引き裂いてやる」

 純粋な暴力による盤面支配。そして、法ではなく『狂気』を突きつける絶対的な殺意。

 俺の放つ尋常ではない氣の圧迫感と、実力行使の速度に、男たちはガタガタと震え上がり、仲間を引きずりながら部屋から逃げ出していった。

「せ……先生……!?」

 ガブリエルが目を見開き、酒気で赤くなった顔を一気に蒼白にさせた。

「な、なんで……ここに……っ」

 俺は無言で、彼女の震える肩に、自分の厚手の黒外套をバサリと被せた。

 雪の吹き込む薄暗い部屋に、白褌一枚の俺の姿が浮かび上がる。

 極寒の大気の中、俺の練り上げられた『氣』と異常な体温によって、皮膚に落ちた雪が瞬時に蒸発し、全身から猛烈な湯気が立ち昇っていた。

「ガブリエル。俺を見ろ」

 俺の声は、氷のように静かだった。

「先生……私……」

「誰も自分の名前を知らない場所に逃げ込んで、名もなき人間になりたかったんだな」

「……ほっといてください!」

 ガブリエルは立ち上がり、外套を握りしめて絞り出すように絶叫した。

「私は……壊れたかっただけです! 毎日毎日、『一族の誇りとなれ』『完璧な模範生であれ』って……! 息を吸うことすら苦しいの! エルフとしての期待も、委員長としての重圧も、もう全部耐えられないのよ……っ!」

 自暴自棄としての夜遊び。壊れることでしか、大人たちの重圧から身を守る術を知らなかった十五歳の孤独な絶望。

「完璧じゃなくていいんだよ!!」

 俺の叫びが、アングラな店内に地鳴りのように響き渡った。

「一族の期待? 模範生の看板? そんな装飾の重みに押し潰されるくらいなら、全部ドブに捨てちまえ! 怪しい煙や酒で自分を麻痺させて、名前のない人間に成り下がるな! お前は『ガブリエル』だろうが!」

 俺は、猛烈な湯気を上げる白褌の胸をドスンと叩いた。

「見ろ! 俺はこの極寒の中で、白褌一つで立っている! 世間から不審者と嗤われようが、これが俺だ! 苦しいなら『苦しい』と俺の前で泣け!『完璧になんてなれない』と俺に叫べ!! なぜ頼らん!? お前がどんなに泥に塗れようと、お前という人間を丸ごと受け止めるために、俺という担任がいるんだろうが!!」

 ガブリエルの目から、せき止めていた涙が止めどなく溢れ出した。

 厚化粧が涙で剥がれ落ち、重圧に潰されそうになっていた十五歳の素顔が露わになる。

「先生……っ……! 私……苦しかった……っ! 完璧でいるのが……恐ろしいの……っ!」

 ガブリエルは、俺の胸に飛び込み、子供のように声を上げて泣きじゃくった。俺は彼女の肩を、外套ごと力強く抱きしめた。

「よく言った。……さあ、暖かい学校へ帰るぞ。お前の居場所は、こんな暗闇じゃない」

 ――翌朝。王立ブロッサム学院の職員室。

 そこには、俺のデスクの前に立つ教頭の姿があった。

「坂本先生……昨夜、下町の非合法エリアで、あなたの白褌姿を見たという報告が憲兵から入っています。まさか生徒を連れ回して……」

「教頭」

 俺はゆっくりと立ち上がり、裏社会の凶悪犯たちを沈黙させたのと同じ、底知れない殺気と眼光で教頭を見下ろした。

「昨夜は俺が一人で、極寒の下町を『夜間巡回指導』していただけです。……何か、問題でも?」

 一切の弁明を持たない、純粋な威圧。

 教頭は俺の纏う血の匂いと圧倒的な眼光に気圧され、ゴクリと唾を飲み込んで視線を逸らした。

「……あ、いえ。熱心な単独の巡回指導、ご苦労様でした……」

 教頭が逃げるように去った後、俺は窓の外の雪景色を見て高らかに笑った。

「よし! ガブリエル!」

 俺は空に向かって呟く。

「今日一日は、勉強も一族の顔も全部忘れて寮で爆睡しろ! 心が整ったら、またいつでも教室に戻ってこい!!」

 大人への危険な逃避を乗り越え、飾らない「素顔の強さ」を手に入れた少女。ふんどし先生の温かな高笑いが、朝の雪晴れの空へと力強く響き渡った。

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