第10話
寒さが本格化する初冬の王立ブロッサム学院三年B組に、ビッグニュースが飛び込んできたのは月曜日の朝のことだった。
「おい! 聞いたかよ!? ダイゴの奴、あの超強豪『王立アスリート高等学院』から特待生のスカウトが来たらしいぞ!」
教室中が、割れんばかりの歓声とどよめきに包まれた。
ダイゴは、三年B組が誇る魔導砲撃戦部の花形選手だ。将来の帝国軍砲撃手を育成するこの疑似軍事競技において、彼の魔力投球の威力は平民でありながら学院随一。
ついに平民からエリート軍人へと成り上がる『進路決定第一号』が出たのだ。
「へっ……まあな! 俺様のセンスを、強豪校が見逃すはずねえってことよ」
仲間に囲まれ、ダイゴは鼻高々に笑ってみせた。
だが、その手の中にある分厚い『特待生誓約書』を握る指先が、微かに、しかし止まらないほど震えていることに気づく者はいなかった。
(……『成績不振・ケガによる能力低下が見られた場合、即刻特待を取り消し、育成費用の全額を違約金として請求する。支払えぬ場合は平民の労働ギルドへ身柄を引き渡す』……)
バケモノ揃いの強豪校。一つでも致命的なミスをすれば、即座に莫大な借金を背負わされ、人生が完全に終わる。その圧倒的な恐怖と、命をチップにした理不尽なオッズが、ダイゴの心を急速に蝕んでいた。
「……悪いな、お前ら。俺は一足先に次のステージの準備に入らせてもらう。お前らも、春まで血反吐吐いて机にかじりついてろよ」
ダイゴの声は、ひどく冷たかった。
「なんだよダイゴ、推薦が決まったからって急に偉そうに」
「へいへい。気楽に受験勉強の夢を見ていられる連中とは、背負ってるオッズが違うんでな。足手まといになりたくないんだ、話しかけないでくれ」
最悪の走路条件に放り込まれた恐怖から己を守るため、彼はわざと周囲を突き放し、孤独な鎧をまとった。受験の焦りの中で必死に足掻いているケンたちにとって、その態度は最悪の裏切りに等しかった。
殺伐とした空気が教室を満たし、ケンが怒りに任せてダイゴの胸ぐらを掴もうとしたその時。
ドスン……と、教壇を踏み鳴らす重い音が響いた。
白褌一枚の俺、坂本エルロンドが静かに仁王立ちしていた。
「ダイゴ……お前、潰れそうな恐怖を誤魔化すために、仲間を突き放して逃げる気か」
「な、なんですかふんどし先生! 俺はクラスの進路決定第一号ですよ!? これ以上、こいつらと馴れ合う必要は――」
「浮ついた豚が、特待生を気取るなッ!!」
俺の地鳴りのような怒号が教室を震わせた。
「放課後、グラウンドへ来い! お前のその腐りかけた土台を、白褌一つで叩き直してやる!!」
――放課後。夕陽に赤く染まる学院の大グラウンド。
木枯らしが吹き抜ける中、白褌一枚の俺と、ユニフォームを着たダイゴがピッチで向かい合っていた。ギャラリーとして、三年B組の生徒たちも息を呑んで見守っている。
「先生……魔力もないくせに、俺の球を打つつもりですか? 俺の魔力装甲球は、プロの防具も叩き割るんですよ」
「勝負じゃねえ、現場の『鉄火場』を教えてやる」
俺は手にした平坦な木製の打杖を、極東の剣術――一撃必殺の『八相の構え』にスッと掲げた。
「来い、ダイゴ!」
「死んでも知りませんよッ!!」
ダイゴが走り込み、腕をしならせて渾身の一球目を放つ。
強烈な電磁波を纏う魔導球がピッチでバウンドし、不規則な軌道で俺の喉元へ襲い掛かる。
だが――俺は打杖に極東の『氣』を絶縁体として分厚く纏わせ、最短距離で振り抜いた。
ガキィィィンッ!!
乾いた爆音と共に、俺が打ち返した球は『砲弾』と化し、ダイゴの頬を紙一重で掠めて後方の防球魔導壁に突き刺さった。
「なっ……!?」
頬から一筋の血を流し、ダイゴが腰を抜かしてへたり込む。
「どうした? 違約金にビビって球が上ずっているぞ! お前がこれから足を踏み入れるのは、少しのブレで人生が破滅する命懸けの鉄火場だ! そんな甘い球を投げていれば、一瞬で首を飛ばされて労働ギルド送りだぞ!」
「うるさいッ!!」
恐怖と屈辱で顔を歪ませたダイゴが、二球目を放つ。今度は制御を度外視した、暴力的なまでの魔力の大暴投。
俺は白褌の『締込み』に腹圧を集中させ、大地の反発力を打杖へと伝達させた。
ドゴォォォォンッ!!
俺はボールの魔力の薄い部分を的確に叩き割り、打球をダイゴの足元のピッチへと叩きつけた。爆発的な衝撃波が土を抉り、ダイゴの身体を吹き飛ばす。
「う……嘘だろ……魔力もなしに……俺の球が……」
ダイゴは泥だらけになりながら、愕然と膝をついた。
「ダイゴ!」
俺は打杖を地に突き立て、ダイゴを睨み据えた。
「お前の人生のオッズは最悪だ。ケガをすれば即終了、成績が落ちれば借金地獄。プロの世界は、そんな理不尽な重圧を背負って走るイカれたレースだ!」
「だったら……! 俺はどうすればいいんだよ! 怖くて、足が震えて……っ!」
「強豪校が怖いなら、怖いまま足を踏み張れ! ビビりながらでも、絶対に生き残ってやるという『執念』だけを球に乗せろ! お前が平民として這い上がってきた泥臭い全力で、三球目を投げてみろ!!」
圧倒的な熱量と、残酷な社会の理屈。
ダイゴは歯を食いしばり、誓約書の恐怖で震えていた右手を強く握り込み、立ち上がった。
余計な魔力装飾を捨てた、彼自身が泥まみれで培ってきた純粋で力強い投球フォーム。
「うおおおおぉぉぉぉッ!!」
放たれた三球目。
それは魔力ではなく、最悪のオッズを叩き潰さんとする平民のアスリートとしての意地と、剥き出しの「恐怖」が乗った、今日一番の重く、鋭い直球。
俺は真っ向から踏み込み、打杖をへし折る勢いでそれを打ち返した。
打球が空高く舞い上がり、ダイゴはついにピッチに仰向けに倒れ込んだ。
強豪校への恐怖、虚勢の鎧がすべてひび割れ、彼は土を握りしめて声を上げて泣き出した。
「……怖かったんだ……っ! バケモノみたいな奴らの中で、自分が落ちこぼれて破滅するのが怖くて……っ! だから……みんなを遠ざけて……ごめんなさい……っ!」
ギャラリーで見守っていたケンやユージたちが、一斉にピッチへ駆け寄った。
ケンがダイゴの首根っこを掴み、泥だらけの顔を笑いながら引き起こす。
「たくっ、気取ってんじゃねえよバカダイゴ!」
「お前の背負ってる違約金やプレッシャー、全部は無理でも、愚痴くらいなら俺たちがいくらでも聞いてやるよ!」
「みんな……っ!」
ダイゴは泥と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、仲間の手を力強く握り返した。
俺はそれを見て、満足そうにニヤリと笑った。
「よし!『進路決定第一号』のダイゴ! お前の明日からの義務は……放課後、受験のストレスが溜まっている三年B組の連中を相手に、全力の砲撃特訓に付き合うことだ! 最悪の鉄火場に挑む覚悟を、全員の目に見せつけてやれ!」
「はいっ!! 喜んでやらせてもらいます、ふんどし先生!!」
夕陽が沈み、一番星が輝くグラウンドに、三年B組の泥臭く爽やかな笑い声が響き渡る。
理不尽なオッズの恐怖を乗り越え、己の足で真のスタートラインに立ったアスリート。
ふんどし先生の力強い高笑いが、今日も王立ブロッサム学院の空へと響き渡った。




