第11話
来春の王立魔法高校入試まで、あと一ヶ月。
王立ブロッサム学院三年B組の教室は、吐く息も白む極寒の空気とともに、針のむしろのような緊迫感に包まれていた。
「……いいか、お前たち。入試まで残り三十日だ」
教壇に立つ俺、坂本エルロンドは、生徒たちを見渡した。
「焦るな。ここからは知識の詰め込みじゃない。理不尽な重圧に耐え抜く『折れない心』の戦いだ」
生徒たちが頷いた、まさにその時だった。
「ぁぁぁ……あぁぁぁぁッ!!」
窓の外から、獣のような悲痛な絶叫が響き渡った。
俺が窓枠を蹴り開けると、白銀の校庭で一人の青年が雪を血の色に染めてのたうち回っていた。上位魔法学院の制服を着た、昨年の三年B組の卒業生であり、平民の星と謳われたマサトだ。
だが、その首筋から腕にかけて、禍々しい赤紫色の『魔力回路』がミミズのように浮き上がり、全身からコントロールを失った致死量の炎を撒き散らしている。
「あれは……スラムの違法呪印『魔力強制増幅』……!」
俺は黒い外套だけを羽織り、三階の窓から雪の校庭へと飛び降りた。
「マサト! 正気を保て!」
俺が雪原を蹴立てて駆け寄ると、マサトは血走った目で俺を睨みつけた。
「ふ、ふんどし先生……! 俺は……まだやれる……!」
彼は激痛に喉を掻きむしりながら絶叫した。
「あんたは俺の背中を押してくれた! だが、あの学校じゃ『生まれ持った魔力量』が全てだった! どれだけ血反吐を吐いて戦術を極めても、貴族の圧倒的な魔力の前じゃ、平民の努力なんてゴミクズなんだよぉぉぉッ!」
理不尽な血統の壁に絶望し、自身の命を削る禁忌に手を出してまで貴族に追いつこうとした青年の、血を吐くような慟哭。
「どけぇぇぇッ!!」
マサトの体から、暴走した魔力が炎の竜巻となって襲いかかる。
「逃げるかよ……!」
俺は外套を投げ捨て、白褌一丁の生身でその炎の渦へと踏み込んだ。
「極東の禊――『雪吸』ッ!」
足元の万年雪を素足で跳ね上げ、俺は極限まで練り上げた『氣』で雪の冷気を己の経絡へと取り込み、氷点下の熱交換器と化した両腕でマサトの身体を抱きすくめた。
「ガァァァァッ!?」
ジュゥゥゥッ!!
俺の腕の皮膚が焼け焦げ、炭化する悍ましい音と異臭が響く。だが俺は構わず、マサトの心臓の位置――暴走のコアへ、氷点下の『氣』を一点集中で叩き込んだ。
「ガハッ……!?」
急激な冷却と氣の物理的遮断により、赤紫色の魔力回路が砕け散る。
静寂が戻った雪原に、マサトが崩れ落ちた。俺は両腕から血と煙を上げながら、彼の胸ぐらを掴み上げた。
「マサト……魔力で勝てないからと、なぜ貴族の真似事をした!」
「な、なにが……! 俺には魔力がない! あの世界で生き残るには、こうするしか……!」
「違うッ!!」
俺の怒号が、冬の空を突き破った。
「貴族の土俵で勝てないなら、なぜお前自身の泥臭い足と頭で戦おうとしなかった! 持たざる者が無理に王冠を被ろうとするな! 知恵を絞り、罠を張り、泥水に頭を突っ込んででも相手の寝首を掻く『平民の戦い方』を、なぜ手放した!!」
「っ……!」
「魔力不足を『理不尽な世界のせい』にするな! お前が今落ちこぼれているのは血統のせいじゃねえ!『敗北を認めて別の戦い方を探す』という覚悟から逃げた、お前自身の弱さのせいだ!!」
その時だ。
「そこまでです坂本先生! 治安維持騎士団、その犯罪者を拘束しなさい!」
教頭が重武装の騎士たちを引き連れて雪原に踏み込んできた。
「国家への反逆にも等しい違法呪印! 特例はありません、地下牢へ連行し――」
「待てッ!!」
騎士たちが剣を抜いた瞬間、校舎の入り口から雪崩れ込んできたのは、ケン、ガブリエル、ユージ、シンゴたち――三年B組の生徒全員だった。
「お前ら……!」
「先生、俺たちの出番だろ!」
ケンが不敵に笑い、シンゴが一歩前に出た。彼の手には、怪しげな魔導ツールが握られている。
「教頭! 先輩を連行するなら勝手にしろ! だが、この呪印の出どころは上位学院の貴族ルートだ! もし彼を捕まえれば、俺がすでに複製した『上位校の不正魔薬ルートの証拠』が、自動的に報道機関へばら撒かれるぞ!」
「なっ……貴様ら、学院を脅迫する気か!」
「脅迫ではありません、交渉です」
ガブリエルが冷徹な委員長の顔で告げる。
「彼の呪印は、私の権限でエルフの治癒魔導師を呼び、この場で完全に削り落とします。証拠は隠滅され、学院のメンツも保たれる。……我々平民と落ちこぼれ貴族の『実力』、見くびらないでいただきたい」
法でも感情でもない。完璧に計算された「大人の脅迫と実利」。
騎士団を前にしても一歩も引かず、牙を剥き出しにして盤面を支配する生徒たちの姿に、教頭は血の気を引かせて沈黙した。
「……見ろ、マサト」
俺は両腕から血を流しながら、雪の上にへたり込むマサトに笑いかけた。
「コイツらは、理不尽な世界を『自分たちの武器』でねじ伏せる覚悟を決めた。……魔力がなくても、戦う方法はいくらでもあるんだよ」
マサトは目を見開き、自身の後輩たちの頼もしい背中を見つめ、やがて雪の上に顔を伏せて大粒の涙を流した。
「あぁ……っ! 俺が、間違ってました……っ! 魔力なんかに頼らなくても……俺にはまだ、やれることがあったのに……っ!」
――夕方。
マサトの隠蔽処理を終え、三年B組の教室に戻った俺を待っていたのは、無言で、しかし強烈な熱気を放ちながらペンを握り直す生徒たちの姿だった。
理不尽な現実に心がへし折れそうになる先輩の姿を目の当たりにし、それでもなお、己の足で未来を掴み取るという「本当の覚悟」がそこにあった。
俺は教壇の上で、血の滲む包帯を巻いた腕で、白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 入試まであと三十日! 理不尽な世界を己の武器でぶん殴る準備はできたな、三年B組!!」
「「「おうッ!!」」」
生徒たちの腹の底からの力強い声が、冬の夕空高く、どこまでも響き渡っていった。




