第12話
来春の王立魔法高校入試まで、あと一ヶ月。そして『願書受付』の最終日。
王立ブロッサム学院三年B組の教室は、寒気を吹き飛ばすような緊迫感に包まれていた。生徒たちが次々と、自分の未来を託す願書を教壇の俺、坂本エルロンドへと提出していく。
しかし、その中で一人、手が止まったままの男子生徒がいた。シンゴだ。
「……シンゴ。お前の願書はどうした」
俺が静かに尋ねると、シンゴは膝の上で固く握りしめていた願書を、ゆっくりと伏せた。そこには志望校の欄が一切記入されていなかった。
「……先生。俺、進学を辞めます」
退路を断った声。教室に衝撃が走った。
「シンゴ、どういうことだ!?」「魔法工学の特待生を蹴るって……!」
「……シルフィの実家から、完全に資金援助が断たれました」
シンゴは立ち上がり、血の滲むような声で告げた。
「彼女の命を繋いでいる『魔力循環バイパス』の稼働には、莫大な魔導石の燃料代がかかる。俺が申請したバイパスの特許は、未成年の平民という理由で王宮の審査機関に不当凍結されました。正規のルートじゃ、もう今月分の魔導石の代金すら払えない」
シンゴは震える手で、懐から厳重に封印された羊皮紙の筒を取り出した。
「だから、放課後にスラムの『闇ギルド』へ行きます。この技術を裏の死の商人に売り払えば、当座の命を繋ぐ金にはなる。……特許も、進学も、もうどうでもいい。俺の未来の全てを換金して、彼女の命を買います。だから……願書は出せません!」
愛する者のために、己の才能と未来を裏社会へ投げ打とうとする、十五歳のあまりにも重すぎる決断。
「……バカヤローがッ!!」
ドンッ!! 俺は教壇を蹴り砕かんばかりの勢いで踏み鳴らし、シンゴの胸ぐらを掴み上げた。
「せ、先生……邪魔をしないでください! 俺の覚悟なんです!」
「覚悟だと!? てめえの才能を二束三文で裏社会に安売りして、一生日陰者として生きる逃げ道を選ぶことが『男の覚悟』か!!」
俺はシンゴを黒板に叩きつけ、凄まじい眼光で睨み下ろした。
「自分の夢をドブに捨てて犯罪者に身を落とし、心に後悔を残したまま泥水をすするお前の背中を見て……彼女が『私のために夢を捨ててくれてありがとう』と心から笑えると思っているのかッ!?」
「っ……! でも……綺麗事を言ったって、金がなきゃ彼女が死んでしまうんです!」
「だから『平民の知恵』を絞り出せと言っているんだ!!」
俺の咆哮が、教室の窓ガラスを震わせた。
「貴族の審査が通らないなら、特許を書類の中で眠らせるな! お前の設計した『高効率の魔導車輪』の技術を、平民の物流ネットワークに直接組み込んで既成事実化しろ! ケンの親父さんが束ねる下町の運送ギルドに直談判し、お前の技術で王都の物流速度を倍にして市場を牛耳れ! 王宮が無視できないほどの莫大な実利を、己の足と頭で叩き出してみせろ!!」
圧倒的な熱量と、理不尽な社会を生き抜くための冷徹な反逆のロジック。
シンゴの胸に、雷が落ちたような衝撃が走った。自己犠牲という名の「諦め」に逃げ込もうとしていた己の弱さが、粉々に打ち砕かれていく。
「……それに、燃料代の計算も甘いですよ、シンゴくん」
教室の入り口から、静かな声が響いた。
顔色の悪いシルフィが、壁に寄りかかりながら立っていた。
「シルフィ!? なんでここに……安静にしていなきゃ……!」
「私だって……ただ守られているだけのお荷物にはなりません」
シルフィはふらつく足でシンゴの前に立ち、彼の手を強く握りしめた。
「私がエルフの魔力制御式を設計図に書き加え、魔導石の燃費効率を今の十倍に引き上げます。当座の資金の猶予は、私が血を吐いてでも作ってみせる。……だから、シンゴくんの夢を、闇に沈めないで……っ!」
「シルフィ……っ」
シンゴは涙をボロボロとこぼし、その場に膝をついて声を上げて泣いた。
「俺……両方……手に入れる……っ! 昼間は運送ギルドと交渉して車輪を作り、夜間課程の高校へ通って……俺たちの力で、絶対に誰も奪えない居場所を作ってみせるよぉぉぉっ!!」
「当たり前だ!!」
俺はシンゴの頭を、豪快に撫で回した。
「行き着く終着駅が同じなら、王宮の馬車に乗るより、泥だらけの自作の荷車で峠を越えるほうが価値がある! お前たちが血反吐を吐くなら、俺が全力で背中を押してやる! 一人で抱え込まず、仲間と大人の知恵を頼れ!!」
シンゴは真っ直ぐな瞳で立ち上がり、強くペンを握ると、願書の志望校欄に『王立魔法工学高等学院・勤労夜間課程』と書き殴った。
「先生! 俺の願書、お願いします!」
「おう! しかと受け取った!」
クラス中から割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こり、ケンが「うちの親父、手強いぞ!」と笑ってサムズアップを送った。
「よーし! これで三年B組、三十人全員の願書が揃ったぞ!」
俺はビシッと白褌の胸を張り、三十枚の願書を丁寧に重ねると、極東から持ち込んだ漆塗りの堅牢な『木箱』へと厳かに収め、己の氣を練り込んだ結界紐で固く封をした。
「いいか、お前たち! この箱に収めた願書は、お前たちが己の足で歩む未来への『魂の宣戦布告』だ!」
生徒たちが息を呑んで俺を見つめる。
「入試まであとひと月! ここから先は総力戦だ! 全員で、裸一貫の魂で駆け抜けるぞ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
三年B組三十人の心が、寸分の狂いもなく一つに重なった。
ふんどし先生の力強く、どこまでも温かい高笑いが、春の訪れを待つ王立ブロッサム学院の空へと高く響き渡った。




