第13話
王立魔法高校の入試を目前に控えた、寒風吹き荒ぶ冬の日のことだった。
三年B組の優等生、カズヒコは、学院が管轄する『特級選抜考査』において、見事に学年首位である第一級特待生の評価を獲得していた。
「カズヒコ君! 君の魔力解析力は素晴らしい。上位校への合格はもう手の中にある!」
教師たちから持ち上げられ、完璧な天才として持て囃されたカズヒコ。
だが、長年一族からの苛烈な期待に晒され、「失敗すれば廃嫡だ」と圧迫されてきた彼にとって、その首位という座は、失うことへの猛烈な恐怖となって彼の精神を静かに狂わせていった。
(……完璧でなければならない。内申書に、たった一つの減点すらあってはならない……!)
その夜。焦燥感に脳を焼き切られたカズヒコは、深夜の学院の『星霊記録庫』へと忍び込んでいた。
己の指先を噛み切り、血と魔力で編み上げた高度な『偽装術式』を用いて、厳重な防壁結界を突破。中央に鎮座する、全生徒の成績を刻印した大魔導水晶に触れ、自身の『内申書』の些細な減点部分を書き換えようとする、取り返しのつかない大罪に手を染めようとしていた。
「そこまでだ、カズヒコ」
薄暗い記録庫に、低く冷たい声が響いた。
ハッとして振り返ったカズヒコの視線の先には、闇の中に白褌一枚で仁王立ちする俺、坂本エルロンドの姿があった。
「せ……先生……! どうして……っ!」
「お前が昼間から、不自然なほど教員室の魔力網の配線を気にしていたからだ。……俺が今、極東の『氣』で警報システムを物理的に堰き止めている。だが、巡回の騎士団がここへ来るまで、あと三分だ」
カズヒコの顔から、一気に血の気が引いた。
「ち、違います……! 僕はただ、確認を……! 僕は第一級特待生ですよ!? こんなことで人生を終わらせるわけには――」
「黙らんかッ!!」
俺の地鳴りのような一喝が、記録庫をビリビリと震わせた。
「成績が良いから罪を免れるとでも思ったか!? 失敗する恐怖から逃げるために、自分の実力ではなく『水晶の改ざん』に手を染める……それがお前の誇ってきた『完璧』の正体かッ!!」
「う……あ……あぁぁぁッ!!」
絶望と保身が限界を超えた瞬間、カズヒコは狂乱し、両手から凄まじい熱量の『灼熱の魔力弾』を俺に向かって放った。目撃者を消すための、明らかな殺意。
だが俺は一歩も退かず、白褌一つでその炎を正面から受け止めた。
「ガハッ……!?」
ジュゥゥゥッ! と皮膚が焼け焦げる悍ましい音が響く。しかし俺は、腕の肉を焦がしながらも歩みを止めず、カズヒコの懐へ踏み込み、その胸ぐらをガシッと掴み上げた。
「ひっ……!? ば、化け物……っ!」
「お前のその類稀なる頭脳と魔力は……保身のために人を殺すためのものか!!」
俺の血走った眼光と、焦げた肉の匂いに、カズヒコは魔法を維持できずに床へ崩れ落ちた。
「自分の犯した罪から目を背けるな! 逃げずに、己の弱さと罪を認めろ!!」
「あ……あぁぁぁ……っ」
カズヒコは顔を覆い、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら絶叫した。
「怖かったんです……!『完璧な優等生』でいなければ、父親にも一族にも捨てられると思って……恐ろしくて……不正をしてでも点数を守ろうとしました……っ! 僕がやりました……ごめんなさい……っ!!」
プライドの仮面を脱ぎ捨て、泥と涙に塗れて罪を白状する少年。俺は血まみれの腕で、静かにその背中を抱きしめた。
――翌日。王立ブロッサム学院の懲罰委員会。
カズヒコに対する「即時退学および異端審問への引き渡し」を主張する教頭と理事たちに対し、俺は全身に包帯を巻いた姿で立ちはだかった。
「教頭、理事長。カズヒコが犯した罪は重い。本年度の王立魔法高校の受験資格剥奪と、長期間の『学内謹慎処分』は当然受けさせます。だが……退学にして処刑することだけは、思いとどまっていただきたい」
「坂本先生! 大魔導水晶の改ざん未遂など、国家への反逆に等しい! 切り捨てるのが当然です!」
「切り捨てて、根本的な解決になりますか?」
俺は冷徹な声で、理事たちを鋭く見据えた。
「あなた方が数百万Gの予算をかけて構築した絶対の防壁結界を、一介の十五歳のガキが、たった数分で突破したんですよ。彼を処刑したところで、お前たちのセキュリティは脆弱なゴミのままです」
「っ……!?」
「彼を退学にするより、学内に留め置くべきです。彼の並外れた魔力解析スキルを、システムの防壁再構築のための『無期奉仕労働』として徹底的に搾取する。もし彼が再びシステムを裏切るようなことがあれば――」
俺は腰の刀を抜き、自らの白褌の前に突き立てた。
「連帯責任として、担任であるこの坂本エルロンドが、あなた方の前で腹を切ります」
圧倒的な覚悟。己の命を担保として差し出した、大人の完璧な交渉ロジック。
その狂気と、事実上の「最高峰の技術者のタダ働き」という実利を前に、理事長は静かに頷き、退学処分を留保して「長期謹慎とシステム補強の無期奉仕活動」へと処分の決定を下した。
――夕方。誰もいない三年B組の教室。
謹慎に入り、一人で荷物をまとめに来たカズヒコが、教壇の前に立っていた。
「……先生。僕は……すべてを失いました。受験資格も、一族の期待も、優等生としてのプライドも……」
カズヒコは消え入りそうな声で呟いた。
「誰のせいでもない。お前が自分の弱さから招いた結果だ」
俺は静かに答えた。
「ですが……先生はどうして、命を懸けてまで、僕を守ってくれたんですか……? 僕は、あなたを殺そうとしたのに……っ」
俺は歩み寄ると、火傷を負った腕で、カズヒコの頭に力強く手を置いた。
「点数が高くても低くても、罪を犯して泥に塗れても……お前が反省してやり直そうと這い蹲る限り、俺はお前の担任だからだ」
「先生……っ」
俺は教壇の上から、真っ白な一冊の東方の『原稿用紙』を取り出し、カズヒコの手の中に握らせた。
「この謹慎期間中、四百字のマス目に……お前の本当の弱さと、これからどう生きていくかの『血を吐くような本音』を毎日書き殴って俺に提出しろ。数字や他人の顔色をうかがう不細工な嘘じゃない、お前自身の言葉をな」
「原稿用紙……」
「今年の試験には落ちた。だが、人生から落第したわけじゃねえ! 泥を舐めて、自分の足で立ち上がってみろ!!」
カズヒコは原稿用紙を両手で強く抱きしめ、ボロボロと溢れ出る涙を拭いもせずに深々と頭を下げた。
「はい……! はい……! ありがとうございました、坂本先生……っ!!」
過ちを犯し、すべてを失った少年が、本当の自分として生き直すための第一歩を踏み出した。
三年B組の教室に、春を待つ静かな、しかし確かな熱気が満ちていたのだった。




