第6話
ことの始まりは、三年B組の力自慢の男子生徒、ジェイクが登校してきた火曜日の朝のことだった。
「おい……見ろよ、あれ」
「黒い……まさかスラムの闇市で出回ってる『黒死の外套』か……?」
教室にどよめきと緊張が走った。
ジェイクが身にまとっていたのは、指定の制服ではない。襟ぐりが顎の下まで高々と削り出され、裾が膝下まで届く重厚な漆黒の外套。違法な対魔布を継ぎ接ぎして作られたそれは、かつて王都を火の海にした平民の武装テロ組織が身に纏っていた『反逆の死装束』の模造品だった。
「フッ……見とれるなよ、お前ら」
ジェイクはポケットに手を突っ込み、肩を怒らせながら貴族生徒たちを睨みつける。
「貴族どものヒラヒラした服なんざ、俺たちにはお似合いじゃねえ。魔法を弾くこの黒い服こそ、誰の支配も受けねえ俺たちの鎧だ」
(……馬鹿なガキだ。歴史的な大罪の象徴とも知らず、魔法を弾くという性能と、不良のファッション感覚だけであのタブーに手を出したか)
教壇に立つ俺は、白褌の結び目に手を当てながら深く静かに息を吐いた。
だが、思春期特有の無知な反抗心は、恐ろしい速度で平民男子たちの間に伝染していった。
――翌日。
教室のドアを開けた瞬間、異様な熱気が俺を迎えた。
「「「押忍!! 坂本先生、おはようございますッ!!」」」
野太い歓声。平民出身のケンやユージまでもが、ジェイクと同じ漆黒の『耐魔外套』に身を包み、徒党を組んで笑っていた。
「なんじゃあぁぁぁ、この反逆者集団はッ!!」
悲鳴のような声とともに飛び込んできたのは、教頭だった。
「貴様ら! 王立学院の神聖な教室で『黒の乱』のテロ装束を纏うなど……王家への明確な武装蜂起とみなす! 直ちに治安維持騎士団の『処刑部隊』を呼べ! こいつらは全員、この場で叩き斬って地下牢へ放り込め!!」
教頭の絶叫とともに、廊下から重武装の騎士たちが十数名、躊躇いなく真剣を抜いて雪崩れ込んできた。
殺意。
本物の国家権力の暴力による、合法的な『処刑』の空気。
単なるツッパリファッションのつもりだった生徒たちは、突きつけられた本物の死の重圧に顔面を蒼白にし、腰を抜かして床に這いつくばった。
「ひっ……!」
「け、けっ! 来るなら来い! 俺たちにはこの外套がある! 魔法なんて弾き返して――」
虚勢を張るジェイクの脳天に向かって、騎士の冷酷な大剣が振り下ろされた。魔法ではない。純粋な鉄の質量と物理的な斬撃。布切れ一枚で防げるはずもない、絶対の死。
「あ……」
ジェイクが絶望に目を閉じた瞬間。
ガギィィィンッ!!
鼓膜を破るような金属音と、鮮血が舞い散った。
「せ、先生……!?」
大剣の刃を、俺は交差させた素腕で受け止めていた。氣を極限まで練り上げた肉体とはいえ、鋼の刃は無情にも俺の腕の肉を裂き、骨に到達して白褌を赤く染め上げている。
「……教頭。コイツらはテロの歴史も知らん、ただ服に着られているだけの無知なガキだ。俺の生徒の首を刎ねるなら、まず俺の死体を踏み越えてからにしろ」
「さ、坂本先生!? 貴方まで反逆者に与するおつもりですか!」
俺は腕に食い込んだ刃を弾き飛ばし、血まみれの顔でジェイクの胸ぐらを掴み上げた。
「いいか、ジェイク! お前たちが着ているその服が、魔法を防いだか!? 貴族が『権力』と『物理的暴力』を使ってお前たちを路頭に迷わせた時、その布切れ一枚が命を守ってくれるのか!?」
「あ、あぁ……っ」
ジェイクは、俺の腕から流れるおびただしい血を見て、ガタガタと歯の根を鳴らして震えていた。
「強力な布切れを羽織って大人を威嚇し、戦った気になって悦に浸ることが『硬派』だと!? 笑わせるな! それはただの現実逃避だ!」
俺はジェイクを床に叩きつけ、血まみれの白褌をパチンと弾いた。
「見ろ! 俺のこの白褌を! 呪術繊維など一糸も編み込まれちゃいねえ、ただの布切れだ! 俺が強いのは、服がすごいからじゃない! 俺自身が『坂本エルロンド』として、一切の虚飾を捨て、全裸で死線を越える覚悟を持っているからだ!」
圧倒的な氣の暴風。物理的な重圧を伴う『魂の質量』の前に、黒い鎧を着込んだ生徒たちは次々と泣き崩れた。
「教頭! コイツらの命は俺が預かった! 文句があるなら王宮の軍法会議でもどこでも、この坂本エルロンドが一人で出向いてやる!!」
俺の狂気に満ちた咆哮と、死を恐れぬ威圧感の前に、騎士たちも教頭も完全に気圧され、ジリジリと後ずさるしかなかった。
「く、狂犬め……覚えていろ!」
教頭が捨て台詞を吐き、騎士たちを撤退させる。
血の匂いだけが残る静まり返った教室。
俺は教壇の上に、三十枚の真新しい『木簡』を叩きつけた。
「武装するなら服じゃない、魂だ! 己の血を垂らしてこの木簡に遺書を書く覚悟がないのなら、そんな重いタブーの服は今すぐ脱ぎ捨てろ!」
沈黙の後――ジェイクが荒い息を吐きながら立ち上がり、自らの手で漆黒の外套を剥ぎ取った。
「……負けたよ、先生。ごめんなさい……俺が、馬鹿だった……っ!」
ジェイクは大粒の涙を流して泣き崩れた。ケンもユージも、次々と外套を脱ぎ捨て、己の無知と弱さを恥じるように嗚咽を漏らす。
「よし!」
俺はその脱ぎ捨てられた外套を丁寧に畳み、教卓の下へ押し込んだ。
「この服は、お前たちが鎧に食われないよう俺が預かる。服の威光に頼らず、己の実力と学力でこの理不尽な社会を生き抜いた時、ただの『記念品』として返してやる!」
教室に響くのは、見栄を剥ぎ取られ、己の弱さと向き合う生徒たちの無骨な泣き声だけだった。
「三年B組! 虚飾の鎧に騙されず、今日も己の魂をゴシゴシ鍛え上げるぞ!!」
「「「押忍……ッ!!」」」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、生徒たちの腹の底からの声が、血塗られた教室に力強く響き渡った。




