第5話
シルフィが教室で倒れてから数日。
過酷な魔力突発性過敏症により体内の魔力回路が損壊しつつある彼女は、学院の特別隔離病棟に収容されていた。血統の純潔を重んじる一族にとって、魔力障害は致命的な汚点だ。実家からの廃嫡と、学院からの追放処分は目前に迫っていた。
放課後の教室。沈む夕陽の中、一人席に残っていたのは、魔法工学の特待生である平民の男子生徒――シンゴだった。
彼の机の上には、俺が配った『魂の日報』たる木簡が置かれている。
「……先生」
背後に立つ俺の気配に気づき、シンゴが絞り出すような声を上げた。
「俺……気づいてたんです。シルフィが激痛を抑えるために、違法薬の空き瓶を捨てていたのを。でも、平民の俺が貴族の彼女に踏み込んだら、トラブルに巻き込まれるって……怖くて、見て見ぬふりをした。俺が弱かったから、あいつをあんな目に……っ!」
後悔に苛まれ、自分の髪を掻きむしって涙を流す十五歳の背中。
俺は無言で歩み寄ると、シンゴの前にドスンと腰を下ろした。
「シンゴ。後悔して泣く暇があるなら、その木簡に書け。己の指を噛み切り、誰にも見えないお前の魂の叫びを、血で俺に叩きつけろ!」
シンゴは震える手で木簡を握りしめ、自らの親指を噛み破った。滲み出る血をインク代わりに、ただ一言だけを乱暴に書き殴る。
『あいつを救う装置の計算式は組めた。だが、命を捨てる馬鹿な協力者がいない』
木簡の血文字を読み取った俺は、ニヤリと笑って白褌の胸をドンと叩いた。
「ここにいるだろうが」
「え……?」
「魔法工学の特待生だろう。一時的に魔力を体外へ迂回させるバイパスの理論はできたんだな?」
「……徹夜で計算はしました。でも、暴走する二つの魔力を一時的に引き抜き、中和するには、強靭な肉体を持った別の人間を『ヒートシンク(放熱器)』にして、直接熱量を引き受けるイカれた仕組みしかできない。生身の人間なら、内臓が焼き切れて死にます……っ」
「俺は魔法が使えん。だが、肉体の頑丈さと『氣』による熱量相殺ならこの国で誰にも負けん。作れ、シンゴ。お前の求める最強の放熱器ならここにある!」
シンゴは目を見開いた。変質者と嗤われながらも、白褌一つで立っているこの男の瞳には、狂気にも似た圧倒的な覚悟が宿っていた。
「……実験室のスクラップを掻き集めて、明朝までに急造のプロトタイプを組み上げます」
――翌朝。特別隔離病棟、シルフィの病室。
ベッドで死人のように青ざめるシルフィを取り囲むように、彼女の両親と教頭ら上層部が揃っていた。彼女の追放と廃嫡の最後通牒を突きつけるための、冷酷な儀式だ。
「エルフの血を汚した恥晒しめ。今日限りで我が家との縁は――」
父親が冷酷に言い放とうとした瞬間。
バコンッ!!
病室の重厚な扉が蹴り破られ、俺とシンゴが踏み込んだ。
「何だ貴様らは! ここは隔離病室だぞ、警備の騎士を呼べ!」
「静かにしやがれェッ!!」
俺の雷鳴のような怒号が、病室の空気を物理的に凍りつかせる。
俺の後ろから、油と煤にまみれたシンゴが一歩前へ踏み出した。その両手には、廃棄予定の歯車と放熱管をワイヤーで強引に縛り上げた、今にも火を吹きそうな歪なキメラ魔導具。そして、血と機械油で汚れた羊皮紙の『計算式』が握られていた。
「シルフィのお父さん、お母さん……そして教頭!」
シンゴの叫びが響く。
「彼女の過昇ショックは、俺の魔法工学で進行を止めます! 体内で衝突する魔力を一時的に体外へ迂回させ、別の人間の肉体を放熱器として中和する魔導具です!」
シンゴは魔導具から伸びる極太のケーブルの先――剥き出しの魔力伝導パッドを、俺の腹部、氣の源である『丹田』へと直接押し当てた。
「先生、固定を! その白褌じゃ熱で発火します!」
「案ずるな!」
俺は備え付けの水差しを頭から被り、白褌をびしょ濡れにさせた。水と氣を練り合わせた極東の『禊の結界』。俺は濡れた帯をギュッと引き絞り、伝導パッドを自身の皮膚に食い込むほどの圧力で密着させた。
「接続ッ!」
「ぐ、おおおおぉぉぉぉッ!!」
装置が起動した瞬間、シルフィの体内で暴れ狂っていた超高温の魔力熱が、ケーブルを通じて俺の肉体へと雪崩れ込んでくる。
ジュゥゥゥッ! と濡れた白褌が沸騰し、皮膚が焼け焦げる悍ましい音が病室に響いた。俺は全身の毛穴から血混じりの蒸気を噴き出しながら、丹田の『氣』を極限まで練り上げて魔力の熱を相殺し続ける。
「……っ、先生!?」
ベッドの上のシルフィが、自身の激痛が急速に引いていくことに気づき、驚愕に目を見開いた。
「き、貴様ら狂っているのか! 騎士団、そいつらをひっ捕らえろ! 装置ごと叩き斬れ!」
教頭の命令で、抜刀した騎士たちが踏み込んでくる。
「動くなッ!!」
シンゴが血走った目で叫び、血と油にまみれた羊皮紙をシルフィの父親の足元に叩きつけた。
「よく見ろ! この『魔力循環バイパス技術』が完成すれば、ハーフエルフは欠陥種なんかじゃない! 人間とエルフ、二つの魔力を同時に駆動できる『次世代の最高戦力』になるんだ!」
「たかが平民のガキが……その程度のハッタリで誤魔化せると思うな。ここで貴様らを切り捨て、その技術は我が一族が没収する!」
父親が冷酷に手を挙げた、その時だった。
「没収できるものならやってみろ。この理論の原本と特許申請書は、昨夜のうちにスラムの『闇ギルド』へ預けてある」
シンゴはニヤリと、悪鬼のように笑った。
「もし俺や彼女が今日死ぬか、不当に追放されれば、明日の朝には隣国の帝国軍へ情報が渡る契約だ。俺は平民だ、失う家名なんて初めからねえんだよ」
「なっ……!?」
絶対的な権力を持っていたはずの父親が、初めて顔色を変えて絶句した。
「彼女をここで見捨てれば、お前たちの一族は『莫大な富と魔法の歴史を変える技術を、自ら敵国へ投げ捨てた愚か者』として歴史に名を残すことになる。……大人が世間体を気にして切り捨てる命には、莫大な価値が眠っているんですよ!」
十五歳の平民が突きつけた、自らの命をチップにした完璧な「実利」と「脅迫」。
死線を越える俺の圧倒的な気迫と、少年の提示した冷徹な政治的駆け引きを前に、貴族の大人たちは完全に沈黙した。
――数日後。王立ブロッサム学院の第三魔導実験室。
油まみれになって装置の小型化調整を進めるシンゴと、その傍らで真剣な表情で数式を解き続けるシルフィの姿があった。社会の冷たい偏見が完全に消えたわけではない。だが二人は確かに、大人の理不尽なルールを実力と知恵でねじ伏せ、誰にも奪われない自分たちの居場所(城)をこの学院に築き上げていた。
俺は教室の窓からその光景を眺め、焼け焦げた白褌をパチンと鳴らした。
「よし! 今日も魂を燃やすぞ、三年B組!」
ふんどし先生の熱き叫びが、秋晴れの空へと力強く響き渡った。




