第47話
梅雨の長雨が校舎を湿らせる、6月下旬の午後。
王立ブロッサム学院を、突如として轟音と爆炎が包み込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
「きゃああぁぁぁッ!?」
旧校舎の廊下で、強烈な魔力圧縮を施された『火炎瓶』が炸裂した。ガラスの破片と猛烈な炎が吹き荒れ、逃げ遅れた女子生徒が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
「伏せろッ!!」
俺、坂本エルロンドは、白褌一枚で爆風の中に飛び込み、極東の『氣』で炎を散らしながら負傷した生徒をその腕に抱き留めた。
カルロスによる無差別テロ。
学校は即座に完全封鎖され、騎士団が駆けつける極限のパニック状態に陥った。俺は血眼になってF組の生徒たちの点呼を取り、全員の無事を確認して回った。
そんな中――煤けた教室の片隅で、男子生徒・コウイチが力なく座り込んでいた。
「コウイチ! 怪我はないか!」
「あ……坂本先生。僕は大丈夫です。でも……」
コウイチはヘラヘラと力のない笑みを浮かべ、自分の足元と手元を指差した。
彼の白い上履きは原色の魔法塗料で嫌がらせのように塗りつぶされ、通学鞄は鋭利な刃物でズタズタに引き裂かれていた。
「逃げる途中、下駄箱の裏で誰かにやられたみたいです。……テロのドサクサに紛れて、僕みたいなゴミをいじめようとする奴がいるんですね。怖いなぁ」
クラスのあちこちから「テロの最中に酷いな」「やっぱりF組の奴は狙われるんだ」と、同情と不穏なざわめきが起こった。
だが、放課後。
テロの現場検証に立ち会った俺は、廊下の防犯用『魔導記録水晶』の映像を確認し、背筋に冷たい氷柱を突き立てられた。
そこに映っていたのは、爆発の混乱の中、誰もいない死角に一人潜り込み、笑みを浮かべながら『自らの手』で上履きに塗料をぶちまけ、カッターナイフで自らの鞄を切り刻む、コウイチ本人の姿だった。
(自作自演……!? テロの混乱に乗じて、わざと自分を『被害者』に仕立て上げたというのか……!)
俺は白褌の結び目をギュッと締め直すと、封鎖され、焦げ臭い匂いの残るF組の教室へと向かった。
そこには、一人ぽつんと机に座り、窓の外の雨を眺めているコウイチの姿があった。
「……コウイチ」
「え〜、何ですか坂本先生? 僕、傷ついた被害者なんですけど」
「水晶の記録を見たぞ」
俺の地鳴りのような低い声に、コウイチの肩がピクリと止まった。
「……隠さずに言え。テロの混乱の中で、なぜ自分の持ち物を切り刻んで被害者を装った。誰かの同情を引きたかったのかッ!?」
俺の雷鳴のような叫びが、焦げた教室の空気を震わせた。
いつもの生徒なら、この気迫の前に圧倒され、涙を流して本音を吐き出す瞬間だった。
しかし――。
「ふふっ……あはははははっ!」
コウイチは腹を抱え、冷たく乾いた、異様な嘲笑を漏らし始めた。
「同情を引く? そんな安いもんじゃないですよ、先生。……『被害者になること』はね、この理不尽な世界で最も強力な武器なんですよ」
コウイチの周囲の空気が、ドロリとした異質な魔力に染まり始めた。
「僕の特異体質『絶対被害の呪詛』。……僕が可哀想な被害者になればなるほど、同情した周囲の人間から魔力と生命力を搾取できる。だから、テメェで自分を傷つけるのが一番手っ取り早いんですよ」
「なに……!?」
「そして、僕を『加害』した人間には、その数百倍の呪いが自動的に跳ね返る」
コウイチは立ち上がり、狂気に満ちた瞳で俺の目の前まで歩み寄り、自分の頬を指差した。
「さあ、坂本先生。いつものように熱血指導で、僕の胸ぐらを掴んで、殴り飛ばしてみてくださいよ!」
「コウイチッ!!」
俺は怒りに任せ、白褌の大きな腕でコウイチの肩を掴み上げようと踏み込んだ。
その瞬間――!
ギィィィィンッ!!
コウイチの身体から、濃密な漆黒の呪いが刃となって噴き出し、俺の首元にピタリと突きつけられた。
「……触れれば、先生は僕を傷つけた『絶対悪の加害者』として、一瞬で呪い殺されますよ」
コウイチは、一切の感情を持たない冷え切った瞳で俺を見つめていた。
「説教も、鉄拳制裁も、熱血も。僕という『被害者』の前では、すべてただの暴力(加害)になる。先生のそのウザい白褌の熱気はね……僕には一ミリも届かないんですよ」
俺は、振り上げた拳を止めたまま、息を呑んだ。
語りかけることも、触れることすらも許されない。俺が相手を思って動くほど、相手を『被害者』にしてしまい、俺自身が『悪』にされる、完璧で理不尽な防御陣。
十分……三十分。
焦げた教室の中で、俺の拳は虚しく空を切ったまま、ピクリとも動かすことができなかった。
「あー、退屈。先生、もう帰っていいですか? 時間の無駄でしたね」
コウイチはズタズタの鞄を肩にかけ、一度も振り返ることなく、軽やかな足取りで教室を去っていった。
教壇の横で、俺は白褌一枚のまま、その場にドスンと両膝をついた。
ガタガタと震える俺の拳。
圧倒的な手応えのなさ。そして、戦術の完全なる敗北。
(届かない……。俺の熱気が……あいつの心の深淵には、物理的にも魔術的にも、一切届かねえ……!)
コウイチの「自作自演の深い闇」と「被害者という名の絶対防御」。
熱血という刃すら通さない最大の難敵を前に、白褌教師・坂本エルロンドは、かつてない冷たく残酷な敗北の味に、血の滲むような絶望を覚えるのだった――。




