第45話
梅雨の気配が近づく6月初旬。
地下の隔離教室『3年F組』は、いつもとは違う異様な「絶対零度の空気」に支配されていた。
「ちょっと、シンイチ。あんたのその呪詛の痣……空間の魔力が濁るから、近づかないで。マジで不潔」
「デイビッドも、スラムのヘドロの臭いが染み付いてる。息をするだけで空気が汚染されるわ」
教室の後ろで、女子生徒のレイカが冷酷な言葉を放っていた。
ただの悪口ではない。彼女の極度の潔癖症は、彼女自身の特異な魔力と直結していた。彼女が「不潔」とみなした瞬間、レイカの周囲から『絶対浄化の白炎』がチロチロと立ち上り、周囲の空気を強制的に漂白(燃焼)し始めるのだ。
少しでも気を抜けば、他者の魔力残滓や貧困の泥ごと、人間を物理的に灰にする危険なバケモノ。それがレイカがF組に隔離されている理由だった。
シンイチとデイビッドは、命の危険を感じて顔を真っ青にし、まるで罪人のように教室の隅へと追いやられていた。
教壇の上でその光景を見ていた俺、坂本エルロンドの胸の奥で、苦々しい怒りのマグマがフツフツと滾った。
(無菌室の綺麗事だけで、他人の生きた証を否定し、焼き尽くす……。なんて傲慢な魔力だ)
俺は白褌の帯をギュッと締め直すと、重い足音を立ててレイカのもとへ歩み寄った。
「レイカ。言いたい放題言ってくれたな。他人が生きるために負った泥と傷を、お前のその炎で焼き尽くす権利があるのか?」
俺の制止に対し、レイカは悪びれる様子もなく、掌に白炎を浮かべたまま嘲笑うように言い放った。
「権利も何も、事実じゃないですか! 不潔なゴミを浄化して何が悪いの?」
レイカは腕を組み、ついでとばかりに俺の全身を指差した。
「だいたいね、坂本先生! 先生のその白褌姿だって、生徒の血やら呪いの瘴気やらが染み付いてて、見ているだけで不潔で不快なんです! 私の視界を汚さないで!!」
ゴォォォォッ!!
レイカの感情の昂りとともに『絶対浄化の白炎』が暴走し、猛烈な熱波となって俺と男子生徒たちへ襲いかかった。
「「「うわぁぁぁッ!?」」」
シンイチたちが悲鳴を上げて頭を抱える。
ダンッ!!
俺は一歩も退かず、猛り狂う白炎の壁の前に、白褌一枚で堂々と仁王立ちした。
「さ、坂本先生!? 避けて、燃やされる!!」
「バカヤローッ!!」
俺の雷鳴のような叫びが、地下教室の空気を激震させた。
ジュゥゥゥッ……!
レイカの浄化の炎が俺の肉体と白褌を包み込む。だが、極東の『氣』を練り上げられた俺の身体も、そして煤と泥に塗れた白褌も、一ミリたりとも灰にはならなかった。
「なっ……なんで!? 私の絶対浄化が、効かない……!?」
「『不潔』だと……!? お前は……この俺の褌のどこが不潔だと言うんだッ!?」
俺は炎を強引に掻き分け、レイカの目の前に踏み出した。
「この白褌はな……お前たちが絶望して垂れ流した呪詛を拭い、命を懸けて泥水すすってきた『生存の証』だ! 無菌室の温室で育ったてめえの空っぽな炎ごときで、俺たちが血反吐を吐いて刻み込んだ『命の泥』が燃やせるわけがねえだろうがッ!!」
俺はレイカの腕をガシッと掴み、自分の分厚い胸板と、傷だらけの白褌を直視させた。
「シンイチの痣はな、妹の呪いを一人で背負おうとした『覚悟の証』だ! デイビッドの臭いはな、おふくろさんのために廃棄物を喰らって命を繋いだ『戦士の匂い』だ!」
「っ……! 離して……汚い……っ!」
「見た目の小奇麗さだけで人間を切り捨てるな! 泥を被り、傷だらけになって生きている奴のどこが不潔だ! 他人の痛みを漂白して見ないフリをする、お前のその無菌室の心の方が……よっぽど不細工で不快なんだよぁぁぁっ!!」
圧倒的な魂の叫びと、命の熱量。
レイカの掌から、絶対浄化の白炎がシュンと音を立てて消え去った。
彼女は言葉を失い、ガタガタと唇を震わせた。実はレイカ自身も、「完璧に綺麗でなければ、誰にも愛されず捨てられる」という強迫観念に苛まれ、必死に自分と世界を漂白し続けていた臆病な少女だったのだ。
「先生……私……っ。私だって、本当は……泥だらけになっても、誰かに……っ」
レイカはその場に崩れ落ち、顔を覆って声を上げて泣きじゃくった。
シンイチとデイビッドが、怯えるのをやめ、ゆっくりとレイカへ歩み寄った。
「レイカ……俺たちの泥、そんなに怖がらなくていいんだぜ。……生きてる証拠だからさ」
無菌室の壁を越え、生身の心で触れ合った生徒たち。
男子も女子も、お互いの「傷だらけの素顔」を認め合い、静かに息を吐いたのだった。
教壇の上で、俺は焦げた白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 3年F組! 見た目の飾りなんざ全部燃やし尽くせ! 泥臭く、ありのままの生身の心で……最高の未来を泥の中から掴み取るぞ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
地下教室へ響き渡る三十人の温かい叫び。
3年F組はまた一つ、綺麗事ではない「本物の命の美しさ」を手に入れたのだった。
――だが、その熱狂の裏で、暗闇に紛れて暗躍する影があった。
カルロスである。
彼は夜の旧校舎の最深部、誰にも使われていない廃棄区画で、静かに『魔力圧縮爆弾』のコア回路を接続していた。
「……フフッ。無駄な青春ごっこだ。明日、この学院ごとすべてを吹き飛ばしてやる……」
新たなる絶望のカウントダウンが、静かに時を刻み始めていた。




