第42話
その日、3年F組の担任である坂本エルロンドは、王立教育委員会への召喚のため、朝から地下の隔離教室を留守にしていた。
代わってF組の給食指導と午後の授業を担当したのは、今年度配属されたばかりの新任教師――ケンタロウだった。
王立高等師範学校を首席で卒業した彼は、生真面目で国家への忠誠心に溢れていたが、それゆえに『規格外の例外』を一切認めない、冷徹なマニュアル主義者だった。
「いいですか、皆さん! この給食は、国家から未来の魔導士たる君たちへ支給された『標準魔力配給』です! 食べ残しは国家への反逆であり、魔力効率の軽視です!」
給食の時間。ケンタロウは教壇の上で、生徒たちに完食を強く命じた。
だが、ここは『F組』だ。
集められた生徒たちの魔力回路は、規格品とは程遠い突然変異や呪詛に侵されている。標準化された魔導食など、彼らの異端の回路には「魔力反発」を引き起こす劇薬でしかなかった。
「先生……俺の『爆炎回路』に、この水属性の標準スープを入れたら……胃袋の中で魔力が暴発して、吐血しちまう……」
「私……呪詛が拒絶して……匂いだけで皮膚が爛れてくる……」
「言い訳はいりません!」
ケンタロウは冷たく一蹴した。
「選り好みなど単なる精神の甘えです! 支給された魔力を完全に消化吸収できない者は、社会へ出る資格はありません!」
放課後――。
薄暗い地下の隔離教室。ケンタロウは、給食を食べ残した5人の生徒を教卓の前に並べ、冷め切った魔導スープの皿を突きつけていた。
「さあ、再挑戦です。全部食べ終わるまで、全員帰宅を許可しません」
5人の生徒たちは、全身をガタガタと震わせていた。
だがそれは、恐怖からではない。無理やり標準魔力を近づけられたことによる生理的な『魔力暴走(殺意)』を、ギリギリの理性で押し殺している震えだった。
暗黒魔導を宿す少女の足元から、黒い瘴気が漏れ出し、石の床を腐食させていく。爆破魔の少年の周囲の空気が、異常な熱を帯びて陽炎のように歪み始めていた。
「な、なんですかその態度は! 魔力で私を脅す気ですか! さあ、口に入れなさい!!」
国家の正義に酔いしれ、目の前の生徒たちが「一瞬で自分を肉片に変えられるバケモノ」であることにすら気づいていないケンタロウ。
限界に達した少女の瞳が、漆黒の呪詛に染まり切った。
(……もうダメ……この男、殺す……っ)
少女の指先から、致死の呪いが放たれようとした、まさにその時――!
ドゴォォォォンッ!!
分厚い鉄扉が、蝶番ごと蹴り飛ばされて吹き飛んだ。
「そこまでだァァァッ!!」
地下の冷気を一瞬で蒸発させるほどの猛烈な『氣』の陽炎を纏い、白褌一枚の巨漢――坂本エルロンドが立ち塞がった。
「さ、坂本先生……!? 出張からもうお戻りに……」
俺は地鳴りのような足音を立てて歩み寄ると、ケンタロウの手から魔導スープの皿を奪い取り、背後の石壁へ向かって全力で叩きつけた。
ガシャァァァンッ!!
壁の結界にスープが触れた瞬間、標準魔力とF組特有の残留魔力が激しく反発し、小規模な爆発を起こして壁の一部が吹き飛んだ。
「ひぃっ!?」
ケンタロウが腰を抜かして床にへたり込む。
「ケンタロウ!! お前は……こいつらの腹の中で、今の爆発を起こさせる気かッ!!」
「な、何を……私はただ、国家支給の魔導食を粗末にするなと、正しい食育を――」
「黙れッ!!」
俺の雷鳴のような咆哮が、地下教室の空気を激震させた。
「てめえのその薄っぺらい『正義』の定規で、規格外のバケモノたちを測るな! こいつらの回路はな、エリートの枠に収まりきらねえからここにブチ込まれてるんだ! 合わない魔力を無理やり流し込めば、内臓が破裂するか、防衛本能で暴走して周囲を皆殺しにする猛毒なんだよ!!」
言葉の重みと、物理的な魔力反発の現実。
ケンタロウの顔から、サッと血の気が引いていく。
「で、ですが……好き嫌いを許せば、我慢のできない欠陥品になります……!」
「欠陥品だと!?」
俺は白褌の帯をギュッと締め直すと、ケンタロウの胸ぐらをガシッと掴み上げた。
「食べるってことはな……自分の命の波長に合ったエネルギーを取り込み、明日を生き延びるための『本能』だ! マニュアル通りに規格品を詰め込むことが教育じゃねえ! てめえは『正しさ』に酔って、こいつらの命を殺そうとしたんだぞ!!」
俺はケンタロウを突き放し、ギリギリで暴走を抑え込んでいた5人の生徒たちの前に、ドスンと仁王立ちした。
「よくやった、お前ら!!」
「え……?」
「俺がいねえ間、本能が拒絶する劇薬を突きつけられながら……よくぞこの新任教師を『殺さずに』耐え抜いた!」
俺は自らの分厚い胸を、誇らしげに叩いた。
「理不尽な圧力をかけられれば、お前らの力なら一秒でこいつを消し炭にできたはずだ! だが、お前たちは自分の意思でバケモノの力を抑え込み、理性を保った! その精神力は……お前たちが己の呪いを克服し始めている『最高の証明』だ!!」
謝罪でも同情でもない。彼らが命懸けで保った「理性」に対する、圧倒的な称賛と肯定。
張り詰めていた殺意の糸が切れ、生徒たちの目から、我慢していた大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「先生……っ! 俺、暴走しなかった……! 人間のままで、耐えたよぉぉぉっ!!」
「ああ! お前らは最高に誇り高い人間だ!!」
俺は泣きじゃくる生徒たちの肩を、白褌の大きな腕で力強く抱き締めた。
ケンタロウはその光景を呆然と見つめ、やがて自分の無知な手のひらを見つめて床に膝をついた。
「私……私は『規格品』の正しさに溺れて……彼らの命の形を、見殺しにするところだったのですね……」
ケンタロウは冷や汗を流し、生徒たちに向かって深々と頭を下げる。
「みんな……すみませんでした。私の無知な指導で……命の危険に晒してしまった……」
正論で人を縛るのではなく、命の形に寄り添うことの重さを、新任教師もまた思い知ったのだった。
夕陽が差し込まない地下教室で、俺は白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 3年F組! 自分に合わねえモンは吐き出して構わん! テメェの命の燃やし方は、テメェで選んで生き残るぞ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
地下空間へ力強く響き渡る生徒たちの咆哮。
規格外のバケモノたちは、白褌の教師の熱によって、また一つ「人間の理性」を手に入れたのだった。




