第41話
新設された地下隔離教室『3年F組』。
春の穏やかな日差しなど一切届かないその冷たい石室は、集められた規格外のバケモノたちの放つ殺気で、相変わらず殺伐としていた。
2時限目。教壇の上で白褌一枚で熱弁を振るう俺、坂本エルロンドの目に、最前列に座る少年・デイビッドの異変が飛び込んできた。
痩せこけた頬、青白い唇。彼は必死にペンを握り締めようとしていたが、視線が定まらず、いまにもデスクへ崩れ落ちそうになっていた。
「おい、デイビッド。顔色が悪いぞ」
「あ……いえ、大丈夫です、坂本先生……」
デイビッドは慌てて背筋を伸ばそうとしたが、その直後だった。
――ギュルルルルルッ……!!
静まり返った教室の空間そのものが歪み、空気が嫌な音を立てて軋んだ。
単なる腹の虫の音ではない。デイビッドの肉体が発した「飢餓の防衛本能」が、周囲の生徒たちの魔力を無意識に吸引し始めたのだ。
「チッ、またかよ……」「あいつの『魔力捕食』が始まったぞ。近づくな、魔力を吸い尽くされて干からびるぞ」
他の危険な問題児たちすらも、顔をしかめてデイビッドから距離を取る。
デイビッドは顔を真っ赤にし、必死に自分の腹を殴って暴走を抑え込もうと肩を震わせた。
俺は眉をひそめた。……これで今週に入って三度目だ。
放課後。フラフラと逃げるように教室を出たデイビッドの跡を追い、俺は下町の路地裏に建つ、古びた木造アパートの前へとやってきた。
薄暗い階段を上がり、扉を叩く。
「デイビッド! 坂本だ、開けろ!」
「えっ……!? さ、坂本先生!?」
驚いて扉を開けたデイビッドの隙を突き、俺は室内へと足を踏み入れた。
――狭く、冷え切った六畳一間の部屋。
部屋の隅には乾いた固いパンのクズが転がっていた。台所には、生活の温もりを示すものが何一つない。
俺は冷蔵庫の扉を無造作に開けた。中にあったのは、冷えた水道水のボトルだけだった。
「デイビッド……お前、自分の特異体質を知っていながら、なぜ高カロリーな魔力食を摂らない? 毎朝何を食っている」
「それは……」
デイビッドは気まずそうに目を逸らし、ぼそりと呟いた。
「水……と、廃棄されたパンの耳です……」
「朝食抜きで……限界まで飢餓状態を我慢して学校へ来ていたのか!?」
俺の声に、デイビッドは怯えたように肩をすくめた。だが、すぐに泣きそうな顔で叫んだ。
「仕方ないじゃないですか! うちにはお金がないんです! 僕の『魔力捕食体質』を満たすための特別な食事なんて……高くて買えるわけない!」
デイビッドの細い拳が、固く握り締められる。
「お母さんは僕を隔離施設から出すために、昼も夜も工場で働きづめなんです! 僕のために命を削ってるお母さんに、『腹が減った』なんて言えるわけないじゃないですか! 僕が我慢して魔力を抑え込めば……お母さんの負担が減るんだから!!」
健気すぎる十五歳の我慢。
親を想うがゆえに自らの命を削り、結果として危険なバケモノとしてF組に叩き落とされた少年の悲痛な本音。
俺の胸の奥で、激しい怒りと涙がマグマのようにこみ上げてきた。
「バカヤローッ!!」
俺の咆哮が、狭いアパートの壁を激震させた。
デイビッドがビクッと息を呑む。
「親に遠慮して命を削ってどうする!『自分が我慢すればいい』だなんて傲慢に思い上がるな! お前が限界を迎えて暴走し、化け物として騎士団に射殺されることが……おふくろさんにとって一番の絶望なんだよ!!」
俺は自分の分厚い胸を、ドスンと重い音を立てて叩いた。
「いいかデイビッド! 腹が減ってちゃ戦はできん! 心まで冷え切って、世界全体が敵に見えてくるんだ! メシを食うことは……生き残るための最大の『武器』なんだよ!!」
俺は白褌の帯をギュッと締め直すと、持参していた汚い麻袋を台所にドサリと広げた。
「おい、デイビッド! 鍋に湯を沸かせ!!」
「え……? 先生、それ……」
「下町の肉屋でタダ同然で貰い受けてきた『魔獣の硬いスジ肉』と、廃棄寸前のクズ野菜だ! 俺特製の『極東・氣脈鍋』にしてやる! 手伝えッ!!」
常人では噛み切ることも消化することもできない、魔力を多分に含んだ粗悪なスジ肉。
俺は腕まくりをすると、包丁の峰に極東の『氣』を極限まで練り込み、スジ肉の繊維と魔力波長を物理的な衝撃波で叩き潰し、強制的に柔らかく分解していった。
ダンダンダンダンッ!!
武術による究極の調理。冷え切っていたアパートに、力強い命の音が響き渡る。
やがて、鍋からぐつぐつと温かい出汁の湯気が立ち上り、濃厚な獣の脂と野菜の芳醇な香りが、魔力となって部屋いっぱいに広がっていった。
「うわぁ……すごい魔力の密度……それに、いい匂い……」
デイビッドの瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
そこへ、ガチャリと玄関の鍵が開き、夜勤明けの疲れ切った顔をした母親が帰ってきた。
「ただいま、デイビッド……あら? あなた様は……?」
「おふくろさん!」
俺は白褌姿のまま仁王立ちし、湯気と魔力が立ち昇る特大の丼を二人に向かって差し出した。
「3年F組担任、坂本エルロンドです! 仕事で疲れているところ申し訳ねえが……四の五の言わず、まずこの温かい飯をデイビッドと一緒に食ってくれ!!」
母親は呆然としながらも、暴力的なまでの良い香りに抗えず、デイビッドと並んでちゃぶ台につき、お椀を手にとった。
「いただきます……」
一口、スープを口に含んだ瞬間。
強烈な魔力のカロリーと熱い旨味が、飢餓状態だった二人の細胞の隅々にまで染み渡り――デイビッドと母親の目から、溢れ出る涙が止まらなくなった。
「温かい……すごく温かいよ、母さん……っ!」
「デイビッド……ごめんね……ごめんね……っ! お母さん、あなたにお腹いっぱい食べさせてあげられなくて……一人で我慢させて……っ!」
働きづめの母親もまた、我が子を飢えさせている罪悪感に押し潰されそうになっていたのだ。
俺は二人の震える肩に、大きな手をドンと置いた。
「おふくろさん! もう一人で背負い込むな!」
俺はドスンと自分の胸を叩いた。
「学院の食堂と取引をしてきた! エリートどもが残した魔力食材の端材や、処理に困る廃棄物を、今後F組がタダで引き受けて処分する! それをデイビッドの餌に回せば、こいつの暴走は完全に防げる! 予算も同情も要らん、完璧な等価交換だ!!」
「先生……っ!」
「デイビッド! お前はもう二度と、遠慮して腹を空かせる必要はねえ! 廃棄物を喰らい尽くし、世界で一番強いバケモノになって……胸を張って学校へ来い!!」
圧倒的な生存戦略。命を繋ぐ野戦食の教え。
デイビッドはボロボロと泣きながら、夢中で肉とご飯を口に放り込んだ。
「うん……! うん……っ! 僕、いっぱい食べて……学校で絶対に生き残るよ、先生ぇぇぇっ!!」
冷え切っていたアパートに、久々の親子の笑顔と、あたたかい「食卓の熱」が戻った瞬間だった。
翌朝。
地下のF組の教室で、食堂から回収した端材のスープを満足そうに飲み干し、穏やかな顔で机に向かうデイビッドの姿があった。彼の周囲から、危険な魔力捕食のノイズは完全に消え去っていた。
教壇の上で、俺は白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 3年F組! 腹がいっぱいになれば、どんな理不尽だって喰い破れる! 温かい飯を食って、反撃の最前線へ向かって爆走するぞ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
絶望の底に落とされた3年F組の最初の一歩は、泥臭い生存術とあたたかい飯によって、力強く踏み出されたのだった。




