第35話
寒風が吹き荒れる二月の朝。
本命である王立総合高等学院の入試を数日後に控えた三年B組に、先行して行われた『私立魔導高等学院』の合格発表がもたらされた。
「う……ウソだろ……俺の番号……ない……っ!?」
掲示板の前で膝から崩れ落ちたのは、誰よりも真面目に泥臭く勉強を重ねてきた男子生徒・トモだった。
トモの不合格を皮切りに、数人の生徒たちが『不合格』の残酷な通知を手に、真っ青な顔で立ち尽くした。
貴族の資本とエリートの壁。それが初めて明確な「敗北」という形となって、平民の生徒たちに叩きつけられたのだ。
その日の放課後。
三年B組の教室は、通気口から吹き込む冬風の音だけが虚しく響く、お通夜のような重苦しい雰囲気に包まれていた。
「……坂本先生さ、『お前たちの泥臭い汗を信じろ』って言ったよな」
教室の隅で、トモと親しい生徒がポツリと呟いた。その言葉が、暗い教室に猛毒のように広がっていく。
「そうだよ……泥水すすって頑張れば、滑り止めくらい受かるって思ってたのに……」
「気休め言ってただけじゃんか……! あんなふんどし教師の熱血を信じた俺たちが、バカだったんだよ……っ!」
不合格のショックと、直前に迫った本命試験への絶対的な恐怖。
追い詰められ、行き場を失った生徒たちの感情が、最も近くにいる担任・坂本エルロンドへの怨嗟と不満となって噴出していた。
トモは自分のデスクに突っ伏し、肩を震わせて声を殺して泣いている。
「僕が……僕の頭が悪いからダメだったんだ……。でも……先生の嘘つき……っ」
「……言いたいことは、それだけか」
ドスン。
重厚な足音が、教室の空気を一瞬で凍りつかせた。
教壇の上。夕闇に沈む教室の最前列で、逃げも隠れもせず、白褌一枚で腕を組み、仁王立ちしている男がいた。
坂本エルロンドだ。
俺は生徒たちの濁りきった怨嗟の視線を、その分厚い胸板で正面からすべて受け止めていた。
「さ、坂本先生……」
「努力すれば勝てる。泥水をすすれば、必ず結果がついてくる……お前たち、心の底でそんなおとぎ話を信じていたのか?」
俺の低く冷徹な声が、教室に響く。
「っ……! なんだよそれ!」
トモが涙で顔をぐしゃぐしゃにして立ち上がり、教壇へ駆け寄った。
「先生が言ったんじゃないか! 泥臭い汗を信じろって! 僕、毎日睡眠削って死ぬ気でやったのに……落ちたんだよ! 不合格だったんだよ! 先生の嘘つきッ!!」
トモが泣き叫びながら、俺の胸に拳を叩きつけた。
ドンッ! ドンッ!
だが俺は、一歩も退かなかった。
極東の『氣』を練り上げた筋肉は鋼のように硬く、トモの拳の方が赤く腫れ上がり、跳ね返される。
「……痛ぇか、トモ。それが『敗北』の味だ」
俺はトモの拳をガシッと掴み、その涙で濡れた顔を真っ直ぐに見据えた。
「世の中はな、頑張ったからって必ず勝てるほど甘くはねえ。どれだけ汗を流そうが、理不尽なオッズに弾き飛ばされて泥を舐める日が必ず来る。……だがな!」
俺の雷鳴のような咆哮が、教室の窓ガラスを激震させた。
「一度の転倒で人生が終わるか!!」
ビクッと、トモが息を呑む。
「一枚の紙切れで不合格の烙印を押されたくらいで、お前が今日まで仲間と流してきた汗と血反吐が『嘘』になるのか!? てめえの生きてきた時間を、一枚の紙切れの評価なんぞに委ねるなァッ!!」
俺はトモの細い肩を掴み、教室全体を睨み据えた。
「いいかお前ら! 滑り止めに余裕で受かって、慢心したまま本命の試験会場に向かうような奴は、実戦では使い物にならねえ!」
俺は自らの分厚い胸を、ドスンと叩いた。
「ここで不合格の泥を舐め、己の無力さを骨の髄まで知り、絶望の底で『それでも勝ってやる』と飢え渇いている今のテメェらの方が……何百倍も強くて恐ろしいバケモノに仕上がっているんだよ!!」
圧倒的な魂の叫び。
ただの慰めでも、謝罪でもない。敗北という絶対的な事実を、「本命を喰い破るための最大の武器」へと強制的に反転させる、狂気じみた生存戦略。
トモの胸の奥で、冷え切り、燻っていた情熱の火が、爆発的な業火となって燃え上がった。
「先生……! 僕……悔しいよ……! 本当は……めちゃくちゃ悔しいよぉぉぉっ!!」
トモは俺の白褌にしがみつき、獣のように声を上げて大泣きした。
「泣け! その悔しさを細胞の隅々まで叩き込め!!」
俺はトモの頭を乱暴に撫で回した。
「不合格の痛みを知り、己の弱さを知ったお前はな……昨日の自分より何十倍も強いんだよ!!」
その圧倒的な熱量に当てられ、教室の空気が完全に一変した。
「トモ! 泣いてる暇はねえぞ!」
ガトーがバンッと机を叩いて立ち上がった。
「私立なんてただの前座だ! その悔しさ、本命の試験で全部あの貴族どもにぶち撒けてやろうぜ!!」
レオも、ヒロユキも、ユウコも。
不合格の孤独と恐怖に震えていた生徒たちの目に、かつてないほどの鋭く飢えた『戦士の光』が宿っていた。
トモは涙を何度も袖で乱暴に拭い、俺から離れて仲間たちへ向き直った。
「……僕、絶対に逃げない! 本命の試験、全員でぶっ潰してやる!!」
暗雲を完全に引き裂き、不合格の痛みを極上の飢えへと変えて立ち上がった三年B組。
教壇の上で、俺は白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 勝負はここからだ! 泥を舐めて這い上がった奴から順番に強くなる! 全員で本命の扉をぶち破りに行くぞ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
夕空へ響き渡る三十人の、腹の底からの咆哮。
真の強さと野心を手に入れた新・三年B組の戦士たちは、いよいよ最終決戦(本命入試)という血みどろの戦場へと突入していくのだった。




