第33話
王立魔法高校の入試まで、残すところ一ヶ月あまり。
合格に向かってラストスパートをかけていた三年B組に、突如として氷点下の悲劇が襲いかかった。
一限目の授業中。血の気の引いた顔をしたヒロユキが、ガタガタと全身を震わせながら教室に飛び込んできたのだ。
「坂本先生……! 助けてくれよぉぉぉっ!!」
ヒロユキの手には、一枚の黒い『魔力譲渡の誓約書』の写しが握られていた。
蒸発した父親が残した莫大な借金。追い詰められた臨月の母親が、スラムの『闇の魔力質屋』に自らの命(魔力コア)と、お腹の赤ん坊の将来の魔力素質を担保に差し出し、ヒロユキの借金を帳消しにする契約を結ぼうとしているのだ。
「母ちゃんが……俺のために、闇ギルドに命を売りに行ったんだよぉぉぉっ!!」
俺、坂本エルロンドは、何も言わずに白褌の結び目をギュッと締め直した。
「行くぞ、ヒロユキッ!!」
俺はヒロユキの首根っこを掴むと、冬の凍てつく風が吹く学院を飛び出し、下町のスラムへと脱兎のごとく爆走した。
――スラムの地下深く。悪臭の漂う『闇の魔力質屋』。
怪しげな魔導具が並ぶ部屋の奥で、青ざめた顔の母親が、悪徳業者の差し出す契約書に今まさに血のサインをしようとしていた。
「母ちゃんッ!!」
バァァァンッ!!
分厚い鉄扉を蹴り破り、俺とヒロユキが雪崩れ込む。
「ヒロユキ……来ちゃダメ……!」
母親は大きなお腹を庇いながら、絶望に濁った目で叫んだ。
「私がこの命と、お腹の子の魔力を売れば……借金取りはもうあなたを追わない……! あなたは、安全な場所で立派な魔法使いになれるのよ……っ」
「やめろおぉぉぉっ! 俺のせいで母ちゃんが死ぬなんて嫌だッ!」
ヒロユキが土下座するように床に這いつくばり、業者に向かって叫んだ。
「俺の魔力を買ってくれ! 学校なんて行かなくたっていい! 俺が一生奴隷になって働くから、母ちゃんを解放してくれよぉぉぉっ!!」
「バカヤローッ!!」
ドゴォォォンッ!!
俺の雷鳴のような怒号と、床を叩き割る『発勁』の衝撃波が、地下室を激震させた。
「さ、坂本先生……!?」
「ヒロユキ! お前はまた、自分の未来を安売りして現実から逃げる気か!」
俺はヒロユキの胸ぐらをガシッと掴み上げた。
「おふくろさんが何のために自分の命を天秤にかけたと思ってる! お前が学校で学び、未来を掴み取る姿を見たいからだろうが! お前がここで学校を捨てて奴隷になれば、この母親の血を吐くような覚悟は全部ドブに捨てることになるんだぞ!!」
「っ……! でも……金がなきゃ、母ちゃんが……っ!」
「金なら、この俺が白褌一枚で稼いで返してやる!」
俺は業者たちの前に立ちはだかり、極限の殺気を放った。
「この親子の契約は白紙だ! 文句があるなら、俺の極東の『氣』と命を担保に持っていけ。……ただし、取り立てに来る命の覚悟があるならなッ!!」
魔力を持たない生身の肉体から放たれる、規格外のプレッシャー。業者たちは腰を抜かして後ずさった。
「先生……」
母親が呆然と俺を見上げる。
「消えて楽になろうとするな、おふくろさん! 泥まみれになって、ヒロユキと新しい赤ん坊の手を握りしめて生きろ! 命から逃げる奴を、この坂本エルロンドが許すと思うかぁぁぁっ!!」
圧倒的な命への尊厳。
母親の瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。死を覚悟していた胸の中に、あたたかい生きる希望の火が蘇る。
「ヒロユキ……っ! ごめんねぇぇぇっ! 私……生きたい……っ! あなたと一緒に、この子を産んで生きたいよぉぉぉっ!!」
その時だった。
「うっ……あぁぁぁっ……!」
極度のストレスと魔力空間の圧迫により、母親がお腹を押さえて倒れ込んだ。破水だ。
「母ちゃん!? どうしたんだ!?」
「陣痛だ! 動かすのは危険すぎる……ここで産むぞ!」
俺が叫んだ直後、質屋の扉が開かれ、息を切らせた三年B組の仲間たちが次々と駆け込んできた。
「ヒロユキ、遅くなった!」
真っ先に飛び込んできたのは、自作の医療用『魔力循環バイパス』の機材を抱えたシンゴと、魔導エンジニアとして見習い中のシルフィだった。
「シルフィ! 母体から魔力が抜けている、安定させろ!」
「はいっ! シンゴくん、バイパスを直列に繋いで! 母体の魔力低下を防ぎます!」
二人が即座に機械を組み上げ、ガトーとケンが業者の動きを封じるために部屋の入り口を占拠。ユウコとレオが計算した『無菌結界』の術式を、クラス全員で展開する。
受験という戦場で培ってきた知識と技術のすべてが、今、一つの命を救うためにこの薄暗いスラムの地下室で完璧なハーモニーを奏でていた。
「ヒロユキ! お前は母親の手を握ってやれ!!」
「母ちゃん、頑張れ! 頑張れっ!!」
ヒロユキが必死に叫び、三年B組の仲間たちが結界の中で命の灯火を守り抜く。
「オギャアァァァ! オギャアァァァッ!!」
スラムの冷たい空気を切り裂き、元気で力強い赤ん坊の産声が響き渡った。
元気な男の子だった。
シルフィが涙ぐみながら、タオルで包んだ赤ん坊を母親の胸に抱かせる。
「お母さん……新しい命です」
「あぁ……っ、私の子……っ」
涙を流して微笑む母親。ヒロユキはその小さな手を握り、涙を拭いながら強く誓った。
「母ちゃん……俺、絶対に合格してみせる。学校へ行って、偉くなって、この弟を胸を張って育てられる、カッコいい兄ちゃんになるよ!」
「ええ……ええ……っ! 待ってるわ、ヒロユキ……!」
命の誕生。家族の再生。
受験という過酷な試練の直前、三年B組は自らの手で「最も尊い奇跡」を掴み取ったのだ。
スラムの地下室で、俺は汗だくの白褌の帯をパチンと弾いた。
「ふっ……命より重い合格なんざ存在しねえ! だが、命を背負ったお前たちは、もう誰にも負けん! 新しい命を迎えた三年B組、全員で未来へ向かって爆走するぞ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
地下室から地上へ突き抜ける、三十人の力強い歓声。
白褌教師と生徒たちが紡ぐ熱き物語は、いよいよ奇跡のフィナーレへ向かって、圧倒的な熱量で加速していくのだった。




