第32話
寒風が校舎を揺らす十二月の午後。
三年B組の教室では、俺、坂本エルロンドによる熱血国語授業が行われていた。
黒板に大きく書かれた『己の言葉で生きる』という文字。俺が白褌一枚で熱弁を振るっていた、まさにその時だった。
ガラリッ!!
「坂本先生ぇぇぇっ! 決まったよーっ!!」
前扉が開かれ、世話好きの女子生徒・タマコが、息を切らして教室に飛び込んできた。その手には一枚の分厚い羊皮紙の契約書が握られていた。
「どうしたタマコ、授業中に大声を出しやがって!」
「ガトーちゃんの就職先だよ! 私のおじさんが経営してる『王立魔導具整備工房』に掛け合ったらね、来春から見習いとして雇ってくれるって!」
「なに……!? ガトーの就職口だと!?」
教室中に大歓声が上がった。
「やったじゃねえか、ガトー!」「あの名門工房に拾ってもらえるなんて最高だぞ!」
ヒロユキやレオたちが、ガトーの肩を叩いて喜んだ。かつて他校を追放され、裏社会に落ちかけていたガトーに提示された、願ってもない正規ルートへの復帰。
しかし――渦中のガトーは、タマコの差し出した契約書を一瞥すると、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「……タマコ。この条件欄の『隷属的魔力封印』ってのはなんだ」
「えっ……と、それは……」
タマコが言葉を詰まらせる。契約書の隅には、小さくこう記されていた。
『対象は過去に重大な魔力暴走を起こした異端児であるため、就業中は常に【魔力封じの首輪】を装着し、工房の所有物として一切の反抗を禁ずる』
それは、過去の罪を盾に取った、奴隷同然の足元を見た条件だった。
「……けっ、お節介なんだよ」
ガトーは契約書を破り捨て、床に吐き捨てた。
「俺は……誰かのコネと同情で首輪をつけられ、尻尾を振る犬になるために、この三年B組で炎の制御を学んできたんじゃねえんだよ!!」
タマコが青ざめ、祝福していたクラスの空気が凍りついた。
「待てよガトー! お前の経歴じゃ、どこも雇ってくれないんだぞ! 首輪くらい我慢しろよ!」
ヒロユキが思わず声を荒らげたが、ガトーは「うるせえ!」と吠え、鞄を掴んで教室を出て行こうとした。
ドンッ!!
俺は教卓を飛び越え、ガトーの胸ぐらをガシッと掴み上げた。
「……待ちやがれ、ガトー」
「離せッ! ふんどし野郎! 同情で拾われて『よかったな』なんて言われて、何がやり直しだ! 俺は一生『腐ったミカン』のままでいい!!」
「バカヤローッ!!」
俺の咆哮が、教室の窓ガラスを激しく震わせた。
「誰が腐ったミカンだ! 自分の力を信じて、首輪を拒絶したお前のその誇りこそが、このクラスで手に入れた『本物の魂』じゃねえか!!」
「っ……! 先生……」
「タマコ! お前がこいつのために走り回ってくれた心意気は百点満点だ! だがな、こいつの『炎の価値』を見誤ったおじさんには、直々にクレームを入れに行くぞ!」
俺はガトーの首根っこを引きずり、タマコを伴って、夕闇迫る下町の『王立魔導具整備工房』へと直接殴り込みをかけた。
――王立魔導具整備工房。
油と魔力インクの匂いが立ち込める巨大なガレージ。そこにいた厳格な顔つきの工房長(タマコの叔父)は、白褌の男と不良少年の登場に眉をひそめた。
「タマコ、そのチンピラを連れて何をしに来た。大人しく首輪をつけて働く気になったのか?」
「工房長!」
俺は一歩踏み込み、ガレージの奥に放置されていた『巨大な魔導エンジン』を指差した。
「あの廃棄エンジン……何重にも呪詛の錆がこびりついて、普通の魔法炎じゃ溶かせず、長年放置されているな」
「いかにも。呪詛と同化した錆は、少しでも火力を間違えればエンジン本体ごと爆発する。熟練の職人でも手が出せん」
「ならば、こいつの首輪が必要かどうか……こいつの炎を見てから決めろ!」
俺はガトーの背中を、ドンと力強く突き飛ばした。
「やれ、ガトー! お前の『ノイズの黒炎』が、ただ周りを焼き尽くすだけの呪いじゃねえってことを、その手で証明してこい!」
ガトーは俺を睨みつけると、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、巨大エンジンの前へ歩み出た。
「俺を首輪で繋ごうとしたこと、後悔させてやるよ……ッ!」
ゴォォォォッ!!
ガトーの右手から、空気を歪める漆黒の『ノイズ魔力』が間欠泉のように噴き出した。
「バカな! そんな荒狂う炎を近づければ、エンジンが爆発するぞ!」
工房長が悲鳴を上げた、その刹那。
「舐めんな……俺は半年間、あのふんどし野郎のしごきに耐えてきたんだ!」
ガトーは黒炎の威力を極限まで収束させ、針の先ほどに細く、鋭く研ぎ澄ました。
チィィィィッ!!
漆黒の炎のメスが、エンジン本体には一ミリの傷もつけず、こびりついた『呪詛の錆』の波長だけを正確に捉え、音もなく蒸発させていく。破壊の力を極限の集中力で支配し、究極の「修繕の力」へと反転させた、圧倒的な魔力制御。
「ば、バカな……呪われた錆だけを、ピンポイントで焼き切っているだと……!? これほどの魔力制御、宮廷魔導師でも不可能だぞ……!」
工房長は腰を抜かし、ガタガタと震えながらその光景に魅入られた。
数分後。完全に呪詛が取り払われ、新品同様の輝きを取り戻した魔導エンジンがそこにあった。
ガトーは額の汗を乱暴に拭うと、工房長を見下ろした。
「俺の炎に、首輪は必要か?」
工房長は言葉を失い、やがて震える手で自身の帽子を取り、ガトーに向かって深々と頭を下げた。
「……恐れ入った。私の目が腐っていた。お前のような逸材を奴隷扱いしようとしたこと、深く詫びる。……どうか、我が工房に『正規の職人』として来てくれないか」
同情でもコネでもない。己の圧倒的な実力で、大人に頭を下げさせて勝ち取った未来。
ガトーはフンと鼻を鳴らすと、後ろで呆然としているタマコに向かって歩み寄った。
「タマコ」
「ひゃ、ひゃいっ!」
「お前が頭を下げて紹介してくれなきゃ、俺はこの炎を証明するステージにも立てなかった。……恩に着る」
ガトーは照れ隠しにそっぽを向きながら、ボソリと感謝の言葉をこぼした。タマコの顔がパッと明るくなり、満面の笑みが弾けた。
ガレージの入り口で、俺は白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 自分の足で立て! 自分の誇りを胸に、内定も未来も全部その手で引き寄せろよ、ガトー!!」
「……おう! 任せとけ、ふんどし野郎!!」
夕空へ響き渡る、一人の男の力強い咆哮。
腐ったミカンと呼ばれた少年が、今、首輪を引きちぎり、本物の「一人の戦士」として未来へ向かって走り出したのだった。




