第3話
王立ブロッサム学院三年B組の教室に、場違いな巨大建造物が持ち込まれたのは、赴任から二週間が経った木曜の朝だった。
教室の後方、大人が三人ようやく座れる程度の分厚いオーク材で組まれた『木箱』。昨夜、俺が警備の目を掻い潜って資材を運び込み、一晩で組み上げた特製の密室である。
「坂本先生……これは一体何の冗談ですか。備品管理規程に明確に違反しています」
学級委員長のガブリエルが、冷ややかな視線で教壇の俺を咎めた。
「冗談ではない。これは東方の茶の湯と修験の理を融合させた『無我の籠もり堂』だ。入り口を見ろ。四つん這いにならねば入れぬ極小の造り。ここでは一切の身分も、虚飾も、見栄も通用しない。己の裸の魂と一対一で対峙するための絶対の結界である!」
呆れ返る生徒たちをよそに、俺の鋭い視線は一人の男子生徒に注がれていた。
三年B組の特待生、ユージ。
平民出身で普段は暑苦しいほどの熱血漢である彼が、ここ数日、分厚い貴族用の詩集辞典と睨めっこをしながら、羊皮紙にちまちまと文字を書き込んでは破り捨てていた。
(……くだらん。己の身分差と無教養に怯え、借り物の言葉で魂を偽ろうとしているな)
俺は白褌の結び目をグッと引き締め、静かに教壇を降りた。
「ユージ、入れ」
「えっ!? なんで俺がこんな怪しい箱に――」
「問答無用だ!」
俺はユージの首根っこを掴むと、極小の入り口から無理やり箱の中へ蹴り込み、自らも滑り込んでバタンと扉を閉ざした。
暗黒。そして、異常なまでの熱気。
外界の音と光が完全に遮断された二畳半の密室空間に、俺の毛穴から発せられる『氣』が充満し、肌を焦がすような極限の圧を生み出していた。
「ひえっ! 先生、息が……近いです! ふんどしの圧が凄いです!」
「黙れ! この結界内では貴族も平民もない! ここ数日、お前がコソコソと羊皮紙に何を書いていたのか吐け!」
暗闇の中で俺が肩をガシッと掴むと、ユージは観念したように震える声で零した。
「……恋、です。隣町の名門・聖ルチア女学院に通うお嬢様に」
ユージは膝を抱え、筋骨隆々の体に似合わない、湿った声で呟く。
「でも、武骨で無教養な平民の僕なんか、まともに相手にされるはずがない。だから……貴族の連中が使うような、流麗な恋の詩を徹夜で辞書を引いて書いていたんです。でも、自分の字が汚すぎて、何度書いても情けなくて……」
俺の丹田の奥底で、激しい怒りの炎が燃え上がった。
「お前は馬鹿か!!」
暗闇の中、俺の咆哮が箱をビリビリと震わせた。
「お前が崇めている少女も、同じように血の通った一人の人間だ! 身分の違いに怯え、辞書から引っ張り出した借り物の言葉で己を飾り立てて、一体誰の『心』に届くというのだ!!」
俺はユージの胸ぐらを掴み上げ、暗闇の中でその両眼を睨みつけた。
「見ろ! 俺はこの白褌一つで立っている! 一切の虚飾を削ぎ落とした、これが俺の『全裸の魂』だ! 平民である己の泥臭さも、無教養も、惹かれたという純粋な狂気も……全部隠さずに、己の言葉でさらけ出してぶつけてこい!!」
俺の気迫の膨張に当てられ、参籠箱の木壁がミシミシと軋みを上げる。
「……僕、めちゃくちゃ格好悪いですね」
「おう! 分厚い辞書の後ろに隠れようとしたお前は最高に惨めだったぞ!」
「先生……僕、自分の言葉で気持ちを伝えたいです。泥臭くても、俺自身の熱で!」
「よし! その魂の叫びを待っていた!!」
バカーンッ!!
内側から爆発した氣の圧力で、参籠箱の扉が吹き飛んだ。
教室中の生徒が悲鳴を上げる中、ユージは自分のデスクへ猛ダッシュし、貴族気取りの詩を書いた羊皮紙を破り捨てた。そして、俺が配っていた東方の『原稿用紙』をひっつかむ。
「流麗な詩なんていらない! 俺の字で書きます!」
ペンが折れんばかりの筆圧で、マス目に黒々とした文字が叩きつけられていく。
書き終えたユージが顔を上げた時、時刻はちょうど昼休みの鐘を告げていた。
「よし、書き上げたな。行け!!」
「えっ!? 行けって……隣町ですよ!? 今から走ったら午後の授業は――特待生の僕がサボれば、退学になるかもしれません!」
「己の人生を懸けた女一人を口説き落とす覚悟もない奴が、学院で何を学ぶというのだ!! 午後の出席は俺がごまかしてやる。魂を込めた紙切れは、己の足と声帯で直接ぶつけてこい。走れ!!」
ユージはハッと目を見開き――原稿用紙を固く握りしめた。
「はいっ!!」
彼は教室の扉を蹴り開け、命を燃やすような猛烈な速度で廊下を駆け出していった。
――その日の夕方。
茜色に染まる教室に、ユージが戻ってきた。
その姿に、残っていた生徒たちが息を呑む。制服は泥と汗にまみれ、何よりその頬には、鋭利な刃物で浅く切り裂かれた真新しい血の線が滲んでいたからだ。
「……直接、渡してきました」
ユージは荒い息を吐きながら、誇り高く笑った。
「隣町まで走って、放課後の門前で彼女の馬車を待ち伏せしたんです。貴族の馬車を塞いだ平民なんて、不審者以外の何者でもない。案の定、護衛の騎士に無言で剣を抜かれ、頬を掠めました」
ガブリエルたち貴族の生徒が青ざめる。それは文字通りの『死』を意味する蛮行だ。
「でも、一歩も退かずに地面に這いつくばって、大声で『手紙だけでも読んでください!』って叫んだんです。死んでもこの原稿用紙だけは離さなかった。……そしたら、彼女が馬車から降りて、血のついた手紙を受け取ってくれて」
ユージは照れくさそうに頭を掻いた。
「『武骨で泥臭いけれど、あなたの命の温度が伝わる字ですね。今度、図書室でお話ししましょう』って……言ってくれました」
静寂の後、教室にどっと温かいどよめきが広がった。
また一人、生徒が身分の鎧を脱ぎ捨て、「己の熱」を手に入れた。俺は白褌の胸を張り、窓の外に沈みゆく空を見つめながら高らかに宣言した。
「よし! 明日の授業も、命懸けで全員の魂をひん剥いてやるから覚悟しろよ!!」




