第28話
蒸し暑さが増してきた六月の放課後。王立ブロッサム学院の旧校舎で、命に関わる大事件が発生した。
学院の地下深く、全生徒が日常的に排出する魔力の残留カスと汚物を処理する『地下排魔浄化施設』のメイン配管が、長年の老朽化で完全に閉塞。圧縮された致死性の『魔力瘴気』が、旧校舎全体へ大逆流を始めたのだ。
「ひぇぇぇっ! なんという有毒な悪臭! 魔導浄化業者を手配しましたが、到着まで三日はかかります! 直ちに旧校舎を封鎖し、来期まで立ち入り禁止の放棄区画とします!」
防毒マスクを被った教頭が、顔を青ざめさせて叫んだ。
そこへ、白褌一枚の俺、坂本エルロンドが立ちはだかった。
「待て教頭! 生徒たちが毎日笑い合う城を、業者が来ないからと見捨てる気か! 専門家がいねえなら、俺たちが自分たちの手で直せばいいだろうが!!」
「な……あなたが直すのですか!? 致死量の瘴気が溜まる汚水槽ですよ!? 誰も手伝いません!」
「手伝う奴なら、ここに六人いる!」
俺が指差したのは、今日の放課後、たまたま居残り掃除をしていた六人――ガトー、ヒカル、ユウコ、レオ、ヒロユキ、そして実家が修理屋のユウイチだった。
「「「えぇぇぇぇッ!? 俺たち(私)が地下のドブさらい!?!?」」」
悲鳴を上げる六人。
「ふざけるなよ! なんで俺が他人のクソと魔力の残骸を掃除しなきゃなんねえんだ!」と吠えるガトー。
「毒素で皮膚が荒れます……絶対に行きません」と拒絶するユウコとレオ。
「俺、そういう泥臭いのパスで……」と逃げようとするヒカル。
「問答無用! 極東において、厠と浄化槽を清めることは、己の魂の『穢れ(けがれ)』を祓う最高の禊だ! 自分たちの城のインフラを、自分たちの命で死守してみせろッ!!」
――十分後。旧校舎の最下層、地下排魔浄化プラント。
「うっ……目が開けられない……息が……っ」
致死性のアンモニアと魔力瘴気が充満する薄暗い地下室。
俺は白褌の結び目をギュッと締め直すと、巨大な工具箱を床に叩きつけ、毒の泥水が膝上まで浸かる汚水槽の中へズカズカと踏み込んだ。
「ユウイチ! この巨大なメインバルブの構造はどうなっている!」
異臭に顔を歪めながらも、ユウイチが図面を広げて叫ぶ。
「先生! この配管は旧式の『魔導双流弁』です! 中には数百トンの汚水圧がかかってる。ただ回せば、圧力が爆発して俺たち全員、汚水と瘴気に吹き飛ばされて死にます!」
「なんだと!?」
「待って……その双流弁の圧力配置、これって『3階次魔導流体力学』の循環理論と同じよ!」
ユウコがハンカチで口を押さえながら、図面を覗き込む。
「本当だ! ただのドブ管じゃない。校舎全体の魔力と水流を制御する、とんでもなく緻密なアルゴリズムの塊だ……!」
レオが驚愕に目を見開いた。
「ユウイチ、どうすればいい!?」
「まず、バイパス管の逆ネジを緩めて圧力を別系統に逃がし、その数秒の隙にメインバルブの腐食したパッキンを交換するしかない! でも、あのボルトは魔力錆で完全に同化してて、工具じゃもう回りません!」
「ならば、俺が溶かす」
不機嫌そうに舌打ちをしながら、ガトーが泥水の中に足を踏み入れた。
「おいガトー! お前の炎で引火したら、充満してるメタン瘴気で大爆発するぞ!」
「素人が俺の炎に口出しすんじゃねえよ。対象の錆びた金属の分子だけを焼き切る……極小の黒炎だ」
ガトーは集中し、指先から放つ針のような黒炎で、巨大なボルトの錆だけを精密に融解させていく。あの狂犬が、破壊ではなく「修繕」のために己の殺気を使っていた。
「よし、錆が溶けた! 俺とヒロユキでバイパス管の圧力を物理的に押さえ込む! レオ、ユウコ! 圧力を逃がす絶妙なバルブの開度を計算しろ!」
「任せて! 開度43パーセント、制限時間はたったの五秒よ!」
「ヒカル、ユウイチ! 俺たちが圧力を逃がしたその五秒間で、新しい魔導パッキンを正確に組み込め!」
「「おうッ!!」」
白褌一枚の俺の咆哮に、六人の生徒たちが泥と汚水にまみれながら、命懸けの連携を開始する。
「うおおおおぉぉぉぉッ!!」
俺とヒロユキが、極東の『合気』と筋力のすべてを動員し、何百トンという汚水の水圧が暴れ狂うバイパス管のジョイントを素手で強引に固定する。全身の筋肉が悲鳴を上げ、毛穴から血が滲む。
「今だ! ユウイチ、ヒカル!!」
「いくぞ!」
ヒカルが震える手で古いパッキンを引き抜き、ユウイチが油まみれの手で新しい魔導パッキンをミリ単位の狂いもなく嵌め込む。
普段は「無気力」を気取っていたヒカルの顔に、悪臭も汚れも忘れた、極限の「生存と労働の熱」が宿っていた。
「入った!! メインバルブ、開けろォッ!!」
ユウイチの絶叫。
ガガガガガッ……ドッシャアァァァンッ!!
重厚な轟音とともに、詰まっていた魔力瘴気とヘドロが一気に浄化槽へ押し流され、清浄な魔力と水流が勢いよく配管を駆け抜けていった!
シュウゥゥゥ……!
充満していた致死の毒ガスが換気扇から吸い出され、地下室に新鮮な空気が流れ込む。
「通ったぁぁぁぁぁッ!!」
「「「やったぁぁぁぁぁッ!!」」」
頭から他人の汚水と泥を被った六人が、悪臭も気にせず抱き合い、ハイタッチをして歓声を上げた!
ガトーとヒロユキが肩を組み、ユウコとレオが涙目で笑い合い、ヒカルとユウイチが泥だらけの手を固く握り合う。
そこへ、騒ぎを聞きつけた教頭が、恐る恐る地下室へ降りてきた。
瘴気が消え、完璧に稼働音を取り戻した巨大プラントを見て、教頭は開いた口が塞がらなかった。
「な……本当に直してしまったのですか……!? エリートの生徒たちに、こんな他人の排泄物と泥にまみれる汚い仕事をさせるなんて……!」
教頭の言葉に、俺は血と泥にまみれた白褌の帯をパチンと弾いて仁王立ちした。
「教頭先生! 汚い仕事だと!?」
俺の声が、巨大な浄化施設に雷鳴のように響き渡った。
「上階の綺麗な教室で、エリートどもが涼しい顔をして高尚な魔法を語れるのはなぜだ!? それはな……こうして見えない地下の底で、他人の泥とクソにまみれて命懸けでバルブを締める『労働者』がいるからだ!!」
俺は泥だらけの六人の肩を力強く抱き寄せた。
「書類の上で文句を言うだけの奴より、こうして現場で泥水すするこいつらの方が、何百倍も尊くてカッコいいんだよ! こいつらは今日、魔法の点数より重い『世界を支える誇り』を学んだんだ!!」
圧倒的な熱量と、労働への真実の賛歌。
泥まみれの六人は、教頭の前で誰一人として下を向かず、誇り高き「戦士の顔」で胸を張っていた。
教頭はぐうの音も出ず、深々と頭を下げて去っていった。
作業が終わり、夕陽の差し込む校庭の水道で、頭から水をかぶって泥と汚水を洗い流す俺と六人の生徒たち。
「あー! 臭ぇけど、なんか最高の気分だな!」
ガトーやヒロユキが爽やかに笑う。
ヒカルが自分の泥だらけの手を眺め、ユウイチに向かって不敵に微笑んだ。
「ユウイチ。……お前の実家の仕事、半端じゃねえな。自分の手でインフラ(世界)を直す手応え……俺、骨の髄まで分かったよ」
「だろ? モノを直すってのは、命を繋ぐことと同じなんだよ」
夕陽が茜色に染める校庭で、俺は洗い立ての白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 三年B組! どんな泥仕事でも胸を張って汗を流せ! 自分の手で理不尽な世界を直せる、本物の人間になれよ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
夕空の下、極限の修羅場を乗り越え、本当の労働の重みを知った六人と熱血教師の力強い笑い声が、どこまでも高く、高く響き渡ったのだった。




