第27話
王立ブロッサム学院で、期末の『魔導数理テスト』が返却されたその日の放課後。
三年B組の教室は、まるで爆発寸前のマグマのような殺気と怒号に包まれていた。
「ふざけるなッ! こんなのテストじゃねえぞ! ただのひっかけだ!!」
「そうだ! 問5の前提条件、よく見たら魔力法則と矛盾してて、絶対に答えが出ないようになってるじゃねえか!」
壇上に立つ数学担当のチャーリーに向かって、ヒロユキやガトーたちが激しい怒声を叩きつけていた。
今回のテストの最終問題『問5』。それは、巧妙に矛盾が仕組まれた「絶対に正解にたどり着かない罠」だった。
チャーリーは分厚い眼鏡を冷たく光らせ、教本で机をパチンと叩いた。
「静かにしなさい! これは受験、ひいては戦場の現場において、出題者(敵)の罠を見抜くためのテストです。見抜けずに時間を空費した君たちの力不足です」
その言葉に、教室の隅にいたユウコが静かに立ち上がった。
彼女の手には、解答欄にびっしりと数式が書き込まれているにも関わらず、非情な赤ペンで大きく『0点』と書かれたテスト用紙が握られていた。
「チャーリー先生。私はあの問題を見た瞬間、前提の破綻に気づきました。だから、この数式を用いて『問題が論理的に成立していないこと』を完璧に証明し、記述しました。一箇所の計算ミスもありません」
ユウコの静かな、しかし怒りに震える声が教室に響いた。
「私のこの証明の、どこが間違っているのですか!? 罠だと見抜いた上で、あなたの用意した矛盾を完璧に論破したはずです! それに0点をつけるなど、学問への侮辱です!!」
「そうだ! ユウコは正しい!」「意地悪で点数を毟り取ったくせに、言い訳するな!」
ユウコの叫びが火種となり、クラス全体の怒りが爆発した。
生徒たちが一斉に席を立ち、チャーリーを取り囲んで詰め寄る。完全な学級崩壊の危機。
その時――。
ドスン……ッ!!
床を力強く踏み鳴らす、地鳴りのような足音が響いた。
白褌一枚の俺、坂本エルロンドが、生徒とチャーリーの間に仁王立ちしていた。
「全員……そこへ座れ」
地の底から響くような低音。
怒り狂っていた生徒たちが気圧され、ジリジリと後退る。
俺は静かに歩みを進めると、0点のテスト用紙を握り締めるユウコの目の前に立った。
「ユウコ。お前は……自分が正しいと思っているのか」
「当然です! 私の論理は完璧です!」
「バカヤローッ!!」
俺の雷鳴のような叫びが、教室の全窓ガラスを震わせた。
ユウコが思わず肩を跳ねさせる。
「チャーリー先生の0点が理不尽だと!? ふざけるな! お前は致命的なミスを犯している!!」
「な……どこがですか!」
「『時間』だ!!」
俺はユウコの答案用紙を指差し、叫んだ。
「お前は罠だと見抜いたにも関わらず、出題者であるチャーリー先生を論破してやろうという『知の傲慢』にとらわれ、この無駄な証明に三十分の時間を空費した! その結果、確実に点が取れたはずの問6と問7を白紙のまま終わらせているじゃねえか!!」
「っ……! それは……」
ユウコが目を見開き、息を詰まらせた。
俺は集団でチャーリーを取り囲んでいた生徒たちを鋭い眼光で睨みつけた。
「お前らがこれから出るのは、綺麗な学問の場じゃない! 理不尽で残酷な戦場だ! 敵の偽情報(罠)に引っかかり、意地になって『お前は間違っている!』と証明している間に……お前たちの部隊は全滅するんだよ!!」
ガトーもヒロユキも、圧倒的な戦場のリアリティを突きつけられ、ぐっと言葉を詰まらせた。
俺はチャーリーの方へと向き直った。
「チャーリー先生! お前さんの意図を、こいつらに叩きつけてやれ!」
チャーリーは分厚い眼鏡を押し上げ、冷ややかな、しかし深い熱を帯びた声で口を開いた。
「……ユウコさん。あなたの数学的証明は、学術的には完璧です。ですが、現場では『死』を意味します」
チャーリーの言葉が、教室に重く響く。
「罠だと気づいた瞬間に、あなたのプライドを捨てて『解答不能・作戦放棄』とだけ書き、次の問題へ進む。……それが、この問題における唯一の『正解』です。私は君たちに、罠に固執して死んでほしくはない。だから、心を鬼にして0点をつけました」
単なる意地悪ではない。教え子を理不尽な世界で生き残らせるための、血を吐くような冷徹な教育。
ユウコは0点の答案用紙を見つめ、やがてギュッと唇を噛み締めると、深く頭を下げた。
「……私の、負けです。自分の知識に溺れ、目的を見失っていました。申し訳ありませんでした、チャーリー先生」
プライドの塊だった天才少女が、自らの未熟さを認め、さらに一段階上の『実戦の思考』を手に入れた瞬間だった。
ガトーもヒロユキも文句を言うのをやめ、真剣な表情でノートを開き直した。
教壇の脇で、俺は白褌の帯をパチンと弾いた。
「ふっ……理不尽を怒りで誤魔化さず、飲み込んで己の血肉に変える。少しは『戦士』の面構えになってきやがったな」
夕陽が差し込む三年B組の教室に、再びチョークの走る力強い音が、いつまでも心地よく響き渡っていたのだった。




