第26話
全校幻影演舞祭で、三年B組の創作劇が大成功を収めてから一週間。
教室には未だに達成感が漂い、生徒たちは次の目標に向かって熱を帯びていた。
しかし――その熱狂から外れ、教室の窓際でたった一人、冷めた溜息をつく男子生徒がいた。ヒカルだ。
実家は裕福な上流貴族。容姿も頭脳も平均以上。だがヒカルは、何でも親の資本と魔力で与えられてきた結果、「何をやっても手応えがない」「本気になって汗をかくのは無能のやることだ」と、すべてにおいて無気力な態度を決め込んでいた。
今回の劇でも、言われた通りの道具係を無難にこなしただけだ。周囲が涙を流して成功を喜び合う姿を、どこか羨ましさと、強烈な虚無感が混ざった瞳で見つめていた。
そんなヒカルの視線が、昼休みの廊下で立ち止まった。
ベンチの傍らで、進学を諦めた平民のユウイチが、劇で壊れた旧式の魔導照明器を、油にまみれた手で黙々と修理していたのだ。
「……おい、ユウイチ」
「ん? どうした、ヒカル」
ヒカルはポケットに手を突っ込み、不機嫌そうな顔でユウイチを見下ろした。
「お前さ……なんでそんなゴミに必死になれるわけ?」
「え……?」
「たかが学院の劇の備品だろ。お前、進学もしないで卒業したらすぐ実家の底辺修理屋で働くんだろ? そんなガラクタ直して、何になるんだよ。親が敷いたレールもねえ、出世の先も見えてる底辺のくせに、熱くなってバカじゃねえの」
投げやりで、他人の人生を土足で踏み躙る残酷な言葉。
ユウイチはドライバーを持つ手を止め、ゆっくりと立ち上がった。
「ヒカル。お前の人生は、親が手配した高級な特急列車に乗って、終点まで自動で運ばれるだけの退屈な旅だ」
「あぁ?」
「俺は、そのエリートのレールからは降りた。だけどな……」
ユウイチは油で汚れた指で、ヒカルの胸元をトンと突いた。
「俺は自分の足で、好きなところで途中下車して、壊れた景色を自分の手で直しながら進むんだ。親の金で終点に直行するだけの空っぽなお前より、泥にまみれて寄り道してる俺の旅のほうが、何百倍も手応えがあって面白いんだよ」
「てめぇ……ッ!」
図星を突かれたヒカルの顔が怒りで歪み、ユウイチの胸ぐらを掴もうとした。
その時。
ガシィッ!!
「うおっ!?」
ヒカルの首根っこを、背後から分厚い掌がわし掴みにした。白褌一枚の俺、坂本エルロンドだ。
「ひっ……ふ、ふんどし先生!?」
「ヒカル。お前、自分の人生が退屈な理由を、金とレールのせいにして逃げてるな?」
「な、何を……離せッ!」
俺はヒカルを引きずったまま、学院の地下深く、轟音と熱気が渦巻く『中央魔導ボイラー室』の重い鉄扉を蹴り開けた。
ブワァァァッ!!
五十度を超える灼熱の蒸気と、鼓膜を破るような機械の駆動音。
「ヒィッ! あ、熱い! なんだここは!」
「この学院のすべての魔力インフラを底辺で支えている、心臓部だ」
俺はヒカルを、真っ赤に焼けた巨大な歯車の前へ突き飛ばした。
そこには、俺に呼ばれて先回りしていたユウイチが、分厚い耐熱革エプロンを纏い、汗だくになってボイラーのバルブを調整していた。
「ユウイチ!? なんでこんな所に……」
「ユウイチは今、学院の機関技師から直々に技術指導を受けている。卒業後の『現場』に備えるためにな」
俺は白褌の帯を固く締め直し、ヒカルを怒鳴りつけた。
「ヒカル! お前は金で買える新品の魔導具しか知らん! だがな、この世界を本当に動かしているのは、親の金でも貴族の特急列車でもねえ! こうして灼熱の底辺で泥水をすすりながら、壊れた部品に『労働の熱』を叩き込んで息を吹き返す、職人たちの血と汗だ!!」
「っ……!」
「何をやっても心が満たされないだと? 当たり前だ! お前は一度も、自分の指を火傷するほどの『熱』に触れたことがないからだ! 他人が用意したレールの上で、安全な窓枠から景色を眺めているだけの傍観者が、生きる手応えなんか掴めるわけがねえだろうが!!」
圧倒的な熱量と、物理的な灼熱の重圧。
ヒカルはボイラーの炎に照らされながら、ガタガタと震え出した。自分が今まで必死に隠してきた『空っぽな自分』の輪郭が、エルロンドの炎のような言葉と、目の前で汗を流すユウイチの姿によって、残酷なまでに暴き出されていく。
「俺は……俺だって……!」
ヒカルの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「俺だって……こんな空っぽのまま生きたくない……っ! 親の金じゃなくて、俺の……俺自身の手で、熱いものを掴んでみたいよぉぉぉっ!!」
無気力という名の冷たい鎧が溶け落ち、十五歳の本当の渇望が灼熱の地下室に響き渡った。
ユウイチはバルブを締め終わると、油だらけのタオルで顔の汗を拭い、ヒカルの前に歩み寄った。
「……ヒカル」
ユウイチは、真っ黒に汚れた分厚い手をヒカルに差し出した。
「明日、俺の実家の修理屋に来いよ。特急列車から途中下車して、泥にまみれる覚悟があるなら……壊れたものを直した時の『自分の命が燃える感触』ってやつを、俺が教えてやる」
真っ直ぐな誘い。上辺の格好つけではない、泥臭い情熱の差し出し。
ヒカルは涙を拭い、やがて呆れたように、しかしこれまでにないほど晴れやかな顔で息を吐いた。
「……ハッ。エリートの俺が、お前の底辺の店なんかに行ってやるかよ。……でも、手応えがねえ仕事だったら、すぐ帰るからな」
ぽつりと零した憎まれ口。だがその瞳からは、あの冷たい無気力の影が完全に消え去っていた。
ヒカルは、ユウイチの油だらけのその手を、力強く握り返した。
教壇の上……ではなく、灼熱のボイラー室のど真ん中で、俺は汗だくの白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 三年B組! 親のレールなんかぶっ壊せ! 自分の足で途中下車して、泥臭い熱と友情をその手で掴み取れよ、お前ら!!」
「「「おうッ!!」」」
地下の轟音を掻き消すほどの二人の少年の力強い叫びが、初夏の王立ブロッサム学院の土台から、世界を揺るがすように力強く響き渡ったのだった。




