第22話
初夏の風が吹き抜ける王立ブロッサム学院に、前代未聞の暗雲が立ち込め始めたのは、月曜日の朝のことだった。
「さ、坂本先生……! 大変な生徒が、よりにもよってうちの三年B組に編入されることになりました」
校長室で、教頭が震える手で一枚の指導要録を提出してきた。
写真に写っていたのは、鋭い三白眼でカメラを睨みつける少年――ガトー。
前の魔法学院で上級生や教師と幾度も流血沙汰を起こし、『札つきの異端児』として追放されてきた問題児だ。
「彼は魔力回路が根本から破綻しています。怒ると周囲の空間の魔力まで歪ませる『不適合者』なのです。一つのノイズが、他のエリートたちの純粋な魔力まで濁らせてしまう。彼が暴れれば、即刻退学処分にします!」
「ノイズだと……? 生徒を機械の部品みたいに選別しやがって」
俺、坂本エルロンドは白褌の結び目をギュッと締め直した。
「教頭。俺たちは完璧な機械を組み立てているんじゃねえ。血の通った人間を教えているんだ。俺の三年B組に来たからには、どんなノイズだろうが、俺の生徒だ」
――朝のホームルーム。
三年B組の教室は、噂を聞きつけた生徒たちの不安と緊張で、刺すような静寂に包まれていた。
ガラリ、と前扉が開く。
白褌一枚の俺の後ろから歩み出てきたのは――豪奢な学院の制服を無造作に着崩し、むき出しの殺気を隠そうともしない少年、ガトーだった。
ポケットに手を突っ込み、教壇から教室を見下ろすその目には、「触る奴は焼き尽くす」という強烈な拒絶の色が宿っている。
「今日から三年B組の新しい仲間になる、ガトーだ」
俺が紹介した、まさにその瞬間だった。
「ケッ……仲間だあ? 笑わせんじゃねえよ、ふんどし野郎」
ガトーは舌打ちをすると、靴の裏で教壇の角を蹴り上げ、最前列のデスクへ無作法に腰を下ろした。
「なんだと……!?」
その態度に、血気盛んな男子生徒、ヒロユキが激怒して立ち上がった。
「おい転校生! 坂本先生に向かってその口の利き方はなんだ! 初日からイキがってんじゃねえぞ!」
「あぁ……?」
ガトーはゆっくりと立ち上がると、ギラリと猛獣のような瞳でヒロユキを射抜いた。
「ノロマが吼えてんじゃねえよ。エリート崩れのゴミが、俺に気安く話しかけるな」
「てめえッ!!」
頭に血が上ったヒロユキが、ガトーの胸元を目がけて掴みかかった。
その瞬間――ガトーの全身から、空気を直接焼き焦がすような『黒い魔力炎』が間欠泉のように噴き出した。周囲の空間の魔力が不協和音を立てて歪み、生徒たちが一斉に呼吸困難に陥って喉を掻きむしる。
「消し炭になりな!」
ガトーはヒロユキの手首を掴むと、灼熱の黒炎を纏った右拳を、ヒロユキの顔面めがけて容赦なく振り下ろした。明らかな殺意。
「ひっ……!」
死を覚悟し、ヒロユキが目を閉じた、その刹那。
ドンッ!!
俺は白褌の『締込み』により一歩で二人の間に割り込み、極東の理『合気』を用いて、振り下ろされるガトーの腕の関節に滑り込んだ。
一切の筋力で抵抗せず、黒炎の拳の直進ベクトルを、俺自身の背骨の旋回運動に乗せて真上へと逸らす。
「なっ!?」
ズドゴォォォォンッ!!!
行き場を失った黒炎が天井へ向かって炸裂し、分厚い石造りの天井を瞬時にドロドロのマグマへと変え、吹き飛ばした。粉砕された瓦礫と熱風が教室に降り注ぐ。
「あ……あぁぁっ……!」
ヒロユキは腰を抜かし、床に這いつくばって失禁寸前で震えていた。他の生徒たちも、本物のバケモノの暴力を前に悲鳴すら上げられず、凍りついている。
「俺の炎を……腕力じゃなく、円運動で逸らしただと……!?」
ガトーの瞳に、動揺の色が走った。
ジュゥゥゥゥッ!
肉の焼ける悍ましい匂いが教室に充満する。
黒炎の軌道に直接触れた俺の右腕は、手首から肘にかけて皮膚が炭化し、肉が爆ぜてドクドクと血を流していた。
「先生ッ!?」
生徒たちが悲鳴を上げる中、俺は顔色一つ変えず、血の滴る右腕でガトーの胸ぐらをガシッと掴み上げた。
「ガトー。……お前、いい殺気を持っているな」
「っ……! 狂ってんのか、テメェ! 俺のノイズの炎に触れたら、魔力回路ごと肉が腐り落ちるんだぞ!!」
「だからどうした!!」
俺の雷鳴のような咆哮が、天井の開いた教室から青空へと突き抜けた。
「この程度で俺の魂が腐るか! お前がどこへ行ってもバケモノ扱いされて、周りを壊すことでしか自分を守れなかったのは知っている! だがな、ガトー!」
俺は炭化した腕で、ガトーを引き寄せた。
「この三年B組では、その手は通用せんぞ! お前がどんなに周りを焼き尽くそうが、俺はお前を絶対に捨てん! 世間がお前をノイズと呼ぼうが、俺がこの白褌一枚で、お前の炎も責任も、全部背負って立ち塞がってやる!!」
圧倒的な血の熱量。そして、自身の炎を浴びてなお、一歩も退かずに自分を受け入れようとする狂気の男。
どこへ行っても「不適合者」として拒絶され続けてきたガトーの心に、理解不能な恐怖と混乱が渦巻いた。
「せ……先生……あんた……頭がおかしい……っ」
ガトーは悪寒に身を震わせ、俺の手を乱暴に振り払った。
「触るな! 俺は誰の指図も受けねえ! ふざけるなッ!!」
ガトーは自分の黒い炎を恐れないこの異常な教師から逃げるように、教室の扉を蹴り破り、廊下へと走り去っていった。
残された教室には、瓦礫の山と、焦げた匂いだけが漂っている。
腰を抜かしていたヒロユキが、俺の血まみれの腕を見てガタガタと震え出した。
「せ、先生……俺のせいで……っ! あいつ、本物のバケモノだ……っ!」
「バケモノで上等だ!」
俺は腕の血を白褌で無造作に拭うと、教壇の上にドスンと仁王立ちした。
「ノイズを追い出すのではなく、ぶつかり合って新しい和音を作るのが三年B組だ! アイツの炎にビビッて下を向くような奴は、俺のクラスにはいらん!!」
生徒たちの強い眼光。そこには排除の冷たさではなく、ガトーという圧倒的な嵐への恐怖と、それでも逃げずに向き合おうとする三年B組の泥臭い熱気が、確かに芽生え始めていた。
教壇の上で、俺は無事な左手で、白褌の帯をパチンと弾いた。
「よし! 新・三年B組! まずはこの瓦礫の片付けだ! あのバカヤローが明日戻ってこられるように、教室をピカピカに磨き上げるぞ!!」
「「「おうッ!!」」」
荒れ狂う転校生・ガトーを迎えた三年B組。
血を流しながらも笑い飛ばすふんどし先生の叫びが、初夏の王立ブロッサム学院の空へと、どこまでも力強く響き渡るのだった。




