第17話
卒業式が終わった日の夕方。
王立ブロッサム学院の豪奢な大ホールでは、教頭主催による卒業記念の『謝恩会』が催されていた。
豪勢な料理、気取ったグラス、大人たちの形式的な挨拶。
しかし――大ホールの末席に用意された三年B組のテーブルには、誰一人として座っていなかった。
「さ、坂本先生! これはどういうことですか!? 貴族の方々も列席する謝恩会をクラス全員でボイコットなど、学院の面子を何だと……!」
胃薬の瓶を片手に激怒する教頭に、俺、坂本エルロンドは白褌一枚で堂々と胸を張り、ニヤリと笑ってみせた。
「教頭。あいつらはな……大人が用意したお仕着せの舞台なんざ求めちゃいねえのさ。自分たちの足で、自分たちの決めた場所へ『本当の卒業』をしに行ったんですよ」
――学院の旧校舎裏。かつて俺が『無我の籠もり堂』を設置した、夕陽が差し込む空き教室。
そこに、三年B組の全員が集まっていた。
黒板には、カラフルな魔法光で描かれた『三年B組・俺たちの門出』の文字。テーブルの上には、スラムの闇市から仕入れた火竜の炙り肉と、安っぽい発酵果実水が無造作に並べられている。
バカーンッ!!
「貴様ら! こんな底辺の掃き溜めのような場所で何を――」
扉を蹴り開け、教頭と数名の武装した警備教師たちが雪崩れ込んできた。
俺もその後ろからゆっくりと教室に踏み込む。
「教頭先生。底辺とはご挨拶ですね」
ガブリエルが、串焼きを片手に優雅に微笑んだ。
「王宮の気取ったパーティで、腹の探り合いをするだけの薄っぺらい会話など、今の私たちには一秒の価値もありません。私たちはこの泥臭い教室で、自分たちの言葉で宴を開きたいのです」
「屁理屈を! 貴族社会の礼儀も守れん野生児どもが……力ずくでも大ホールへ連行しろ!」
教師たちが杖を構えた、その瞬間。
「動くな」
カズヒコが片手を上げた。教頭たちの懐で、彼らの持つ通信魔導石が一斉にエラー音を鳴らし始める。
「教頭先生の端末の魔力回路、すでに僕が掌握しています。これ以上野暮な真似をするなら、あなたが過去三年間で上位貴族から受け取った『不適切な寄付金』のリストを、王都の監査局へ一斉送信しますが?」
「なっ……貴様、いつの間に……!?」
「腕力で来るなら、相手になりますよ」
ケンとダイゴが一歩前に出る。彼らの身体からは、極東の歩法で練り上げられた尋常ではない『氣』の圧と、研ぎ澄まされた魔力の殺気が放たれていた。
「……ッ」
暴力でも、権力でも、情報戦でも、もはやこの生徒たちを抑え込むことはできない。大人たちは冷や汗を流し、完全に沈黙した。
「……教頭。手出し無用だと言ったはずですよ」
俺が静かに歩み出ると、教頭はギリッと歯を噛み締め、教師たちを連れて逃げるように教室を去っていった。
残された教室に、ドッと歓声が沸き起こる。
「来たな、ふんどし先生!」「遅いぞ!」
「ふっ……最後まで大人を舐め腐った、生意気なガキどもだ!」
俺は豪快に笑うと、教壇の上にドスンと腰掛けた。
大人たちを実力で追い払い、勝ち取った自分たちだけの宴。
宴が最高潮に達した時、教室の奥の扉が静かに開いた。
そこにいたのは、油に汚れた作業着に身を包んだシンゴと――彼に車椅子を押されて入ってきた、シルフィだった。魔力循環バイパスの手術を終えたばかりの彼女はまだ顔色が青白いが、その瞳にはかつてないほどの強い生命力が宿っていた。
「シルフィ! 退院おめでとう!」「シンゴ、よくやったな!」
ケンやユージたちが歓声を上げる。
ガブリエルが教壇の前に立ち、彼らに一つの大きな包みを手渡した。
「二人とも。……これは、私たち三十人からの餞別よ」
包みを開けると、中に入っていたのは分厚く頑丈な、手縫いの『火竜の革の防護外套』だった。これから下町の工房で火花と泥に塗れて働く二人のための、過酷な現実を生き抜く「鎧」だ。
「みんな……」
シンゴが声を震わせる。
「俺たち……まだ十五歳で、一人前の職人でもない。世間からは笑われるかもしれない。でも……この工房着をまとって、俺は昼間働き、夜間校へ通う。シルフィと二人で、この残酷な世界を絶対に生き抜いてみせる!」
シルフィも、革の外套を胸に強く抱きしめ、涙ぐみながら深く頭を下げた。
「シンゴ! シルフィ!」
俺の声が、夕暮れの教室に地鳴りのように響き渡る。
「お前たちはもう、立派な大人だ! 世間の形式なんざ関係ねえ。お前たちは命から逃げず、修羅の道を共に歩む『本物の覚悟』を決めたんだ!」
俺は教卓の上にあった東方の平盃に強い酒を注ぎ、二人の前に差し出した。
「極東の作法だ。修羅場を共に生き抜く者たちが、生涯の命を分かち合う『血盟の契り』だ。俺の氣と、お前たちの魔力を注ぎ込め!」
俺が盃に手を添えると、シンゴとシルフィもその上に手を重ねた。氣と魔力が交わり、盃の酒がカッ!と黄金色に沸騰する。
二人は顔を見合わせ、その熱く煮えたぎる酒を、一口ずつしっかりと分け合って飲み干した。
「俺が……この坂本エルロンドが、お前たちの覚悟を世界で一番最初に承認してやる! 生涯どんな嵐が吹こうとも、互いの手を放すな! 生き抜け、お前らぁぁぁッ!!」
「「先生……っ! ありがとうございましたぁぁぁっ!!」」
ふたりの涙が溢れ出し、固く手を握り合った。
教室中に割れんばかりの歓声と、門出を祝う拍手が二人を包み込んだ。
――お別れ会の終わり。
陽が完全に落ち、一番星が夜空に輝く頃。
生徒たちが一人、また一人と、俺に最後の言葉を残して教室を後にしていった。
「ふんどし先生……またね!」「泥水すすっても勝ってやるからな!」「先生の生徒で、本当によかった!」
最後まで残っていたガブリエルが、扉の前で振り返り、深々と頭を下げた。
「さようなら、坂本先生。……私たちの、一生の『ふんどし先生』」
「おう! さようなら、三年B組!!」
パタンと扉が閉まり、静寂が訪れた。
誰もいなくなった教室。
俺はたった一人、教壇の上に白褌一枚で立っていた。
机の上に残されたのは、三十人分の『東方の原稿用紙』の束。
それは、決して白紙ではなかった。四百字のマス目など完全に無視され、余白の隅々に至るまで、極太のインクで真っ黒に文字が書き殴られている。
『権力なんかクソ食らえ』『絶対に一番になってやる』『泥水すすってでも笑ってやる』――。
嘘の美辞麗句など一つもない。インクと手垢と、時に涙の染みで汚れた、三十人分の生々しく暑苦しい「魂の咆哮」。
彼らは「これから自分の足跡で汚していく」などという綺麗事は言わない。すでに己の野心で真っ黒に汚れたこの野望の塊こそが、俺への強烈な置き土産だった。
俺はその真っ黒な原稿用紙の束を愛おしそうに撫で上げると、窓を開け放ち、春の夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ふっ……ハハハハハ! 最高に汚ねえ野心じゃねえか。いい顔になって旅立っていきやがったぜ、あいつら!」
白褌をパチンと鳴らす音。
無魔力の熱血教師と、落ちこぼれ三年B組が紡いだ、奇跡のような一年の物語。
教え子たちはそれぞれの新しい戦場へ走り出し、白褌の熱血教師は、また次の『迷える魂』を迎えるために、この教壇に立ち続ける。
春の嵐が吹き抜け、彼の白褌が、夜空の下で力強く揺れていたのだった。
(シーズン1、完)




