第16話
王立魔法高校の合格発表の日の、薄明るい早朝のことだった。
王立ブロッサム学院の校務員室に飛び込んできた一報が、静寂を打ち破った。
「坂本先生! 下町の工房からです! シルフィさんの魔力循環バイパスの最終定着手術で、異常な魔力反発が発生! 執刀していた貴族の魔導医が、責任を恐れて手術を放棄したと……!」
「なにッ……!」
教壇で書類を整理していた俺、坂本エルロンドは、黒い外套を羽織り、白褌一枚の足で学院の門を蹴り破った。
合格発表の緊張感に包まれた朝の王都を、白褌の巨漢が疾風のごとく駆け抜ける。
(待っていろ、シンゴ、シルフィ!)
氷点下の朝風を切り裂き、白い吐息を散らしながら、俺は下町の魔導医療工房へと爆走した。
――工房の手術室。
バカーンッ!!
分厚い扉を叩き開けると、そこには手術台の上で致死量の魔力熱を発して痙攣するシルフィと、一人で必死に機械の制御を試みながら絶望の涙を流すシンゴの姿があった。
「ふ、ふんどし先生!? ダメだ……俺の作ったバイパス回路が、彼女の魔力熱に耐えきれずに焼き切れる……! 医者も逃げた……俺じゃ、どうにも……っ!」
「諦めるな、シンゴ!!」
俺は白褌一丁で手術台の前に立ち、シルフィの腹部にあるバイパス回路のコアに、己の両手を叩きつけた。
「せ、先生!? 生身で触れたら腕が炭化しますよ!」
「上等だ! お前がこの数ヶ月、睡眠を削って組み上げた技術を信じろ! 焼き切れる分の熱量は、俺の『氣』とこの白褌の肉体が全部ヒートシンクになって引き受けてやる!!」
「先生……っ!」
「さあ、お前の手で回路を繋げ! 二人でこの命をもぎ取るぞ!!」
俺の全身の血管が悍ましく浮き上がり、毛穴から血混じりの蒸気が噴き出す。凄まじい激痛の中、俺とシンゴは血と油にまみれながら、必死に命のバトンを繋いだ。
――数時間後。王立学務省・中央広場。
全学府の合否が一括掲示されるその場所には、すでに三年B組の生徒たちが集まっていた。
そこへ、両腕に包帯を巻き、血と煤でドロドロになった俺とシンゴが到着した。
「先生!」「シンゴ!」
「みんな……どうだった……!?」
俺が肩で息をしながら尋ねると、生徒たちは一斉にこちらを向いた。
「俺、見事に落ちましたよ!」
ケンが、太陽のように明るく笑ってサムズアップをした。
「でも全然悔しくねえ! 貴族の理不尽な試験なんざこっちから願い下げだ! 俺は明日から親父の馬車ギルドに入って、王都の物流を牛耳ってやりますよ!」
「私もダメでした!」
イズミが清々しい顔で胸を張る。
「でも、最後までパニックにならずに解ききれました! 私、東方の交易ギルドで実務会計の道へ進みます。鈍行列車でも、必ず自分の城を築いてみせます!」
全員が受かったわけではない。貴族の壁に弾き返され、無慈悲な不合格を突きつけられた者も半分近くいた。
だが、誰一人として絶望して泣いている者はいなかった。
彼らはすでに、貴族の敷いたレールの上で一喜一憂する弱い子供ではない。泥を舐め、己の武器を見つけ、自分の足で理不尽な世界を歩き出す「本物の覚悟」を宿していた。
受験資格を剥奪されたカズヒコも、不敵な笑みを浮かべている。
「僕は学内の奉仕労働を利用して、王立学院のシステムごと裏から支配してやりますよ」
「……そうか。お前ら、最高の面構えになったじゃねえか」
俺がニヤリと笑うと、ガブリエルやダイゴたち合格組が、シンゴの背中を力強く叩いた。
「シンゴ! お前の夜間課程の番号、ちゃんとあったぞ!」
「え……!」
「で……シルフィは、どうなったんだよ?」
全員が息を呑んで見つめる中、シンゴはボロボロの顔をくしゃくしゃにして、春の青空に向かって叫んだ。
「大成功だ!! 俺たちの手で……あいつの命、勝ち取ったぞぉぉぉッ!!」
広場に、この日一番の、雷鳴のような歓声と拍手が巻き起こった。
合否という紙切れの枠を超え、理不尽な世界に己の魂で打ち勝った三十人の、誇り高き凱歌だった。
――数日後。王立ブロッサム学院・卒業式。
式のすべてが終わり、誰もいなくなった三年B組の教室。
夕陽が茜色に室内を染め上げる中、俺はたった一人、教壇の前に立っていた。
俺の教卓の上には、三十枚の『原稿用紙』が、無造作に積み上げられていた。
それは、第一話の時のように綺麗な白紙ではなかった。
四百字のマス目など完全に無視され、余白の隅々に至るまで、極太のインクで真っ黒に文字が書き殴られていた。
『権力なんかクソ食らえ』『絶対に一番になってやる』『泥水すすってでも笑ってやる』――。
嘘の美辞麗句など一つもない。インクと手垢と、時に涙の染みで汚れた、三十人分の生々しく暑苦しい「魂の咆哮」。
これ以上の強烈な置き土産はなかった。
俺はその真っ黒に汚れた原稿用紙の束を愛おしそうに手に取ると、白褌の結び目をギュッと締め直した。
「……生意気なガキどもめ。百点満点だ」
春風が吹き抜ける誰もいない教室に向かって、俺は高らかに声を張り上げた。
「三年B組――卒業、おめでとう!!」
ふんどし先生の熱苦しく、どこまでも温かい高笑いが、春の青空高く、いつまでも、いつまでも響き渡るのだった。




