第6話:魅惑の李家食堂と、脳髄を溶かす至高の魯肉飯
総統府の危機を秒速で救い去り、海洋連盟の大人たちを完璧にフリーズさせた後。
俺は誰にも認知されない亡霊として、総統府を後にした。
頼総統の密命により、俺の身辺警護兼居候先として案内されたのは、台北の路地裏だった。
一歩足を踏み入れた瞬間、鼓膜を激しく震わせるのは、凄まじい地鳴りのような駆動音。
信号が青に変わった瞬間に、数千台の単気筒が一斉に放つ爆発的なエンジンの喧騒だ。
じっとりと湿気を含んだ、肌にまとわりつくような生暖かい夜風が、路地裏の隙間を吹き抜けていく。
風に乗って鼻腔を暴力的に突き刺すのは、醤油が煮詰まった匂いに混ざり合う、八角の独特で甘くスパイシーな熱気だ。
路地裏全体を支配する、圧倒的な人間の活気と匂いの塊。
(うるさいほどのバイクの喧騒に、鼻腔を突く八角の熱気。ああ、すべてがモノクロだったあの処刑台に比べて、この世界はなんて騒がしくて生きている実感がするんだ)
幾多の死線のなかを潜り抜けた死神の魂が、愛すべき平和な混沌のノイズを深く吸い込む。
俺の前を歩く小梅は、まだ総統府での驚愕と、先ほどのヤシの木での壁ドンの動揺から立ち直れていないらしかった。
彼女は顔を耳の先まで真っ赤に変形させ、高めのポニーテールをきゅっと片手で掴んで下へ引っ張りながら、不機嫌そうに俺を睨みつけてきた。
その激しい呼吸に合わせて、特殊ナノ繊維の警護服が、彼女の驚異的に豊満な胸の柔らかさに耐えかねてギチギチと密かに軋む音を立てている。
「ここが、あんたの新しい潜伏先よ」
「……言っておくけど、頼総統の命令だから案内しただけなんだからね。妙な真似をしたら、今度こそ私のキャリアを賭けて射殺するわよ」
氷のSPとしての威厳を必死に保とうとするが、至近距離での密着で免疫を完全に失った彼女の瞳は、どこか潤んで落ち着きがなかった。
(相変わらず物騒なSPだ。……だが、このうるさいくらいの活気と騒がしい案内役は、擦り切れた俺の心には悪くない)
俺たちは、八角の匂いがひと際濃く漂う、ひっそりと佇む定食屋の暖簾の前へと立ち止まった。
◆ ◆ ◆
ひっそりと佇む定食屋の暖簾をくぐる。
使い込まれた飴色の木のカウンターの向こうから、おっとりとした美しい微笑みを浮かべた女性が迎えてくれた。
小梅の母親であり、食堂を一人で切り盛りする未亡人女将・李蘭である。
黒のノースリーブのタートルネックにエプロン姿という出で立ちは、完全に成熟しきった、大人の女性にしか許されない究極の豊満な肉体美をこれでもかと強調していた。
蘭さんは俺の顔を見た瞬間、右目の下の泣きぼくろを人差し指の先でトントンと軽く叩く。
すべてを見透かしたような妖艶な笑みを浮かべ、出来立ての至高の味をカウンターへと滑らせた。
「いらっしゃい、可愛い男の子。お腹が空いているでしょう?」
「難しいお仕事のお話は終わりにして、まずはこれを食べなさいな」
差し出された小ぶりな茶碗には、炊きたてで一粒一粒が真珠のように艶やかに立つ白米が、こぼれんばかりに高く盛られている。
その上には、深い飴色の秘伝のタレを纏った豚バラ肉が、じっくりと時間をかけて煮込まれ、ドロリと贅沢に乗せられていた。
極上の脂身の部分は、南国の太陽の光を浴びたようにキラキラと黄金色の輝きを放ち、器を動かすだけでぷるぷると小刻みに揺れる。
厨房の巨大な煮込み鍋からは絶え間なく湯気が立ち上り、醤油と黒糖が極限まで煮詰まった甘辛く香ばしい匂いが漂う。
そこに台湾の空気感を象徴する八角のエキチックな香りが混ざり合い、鼻腔を暴力的に突き刺してきた。
(……うそだろ。なんだこの、五感を狂わせるような暴力的な匂いは……っ)
俺は我慢できず箸を滑り込ませ、ホロホロと崩れる肉と白米を一緒に掬い上げて口の中へと掻き込んだ。
その瞬間――俺の脳内で、何かが音を立てて消し飛んだ。
うまい。美味すぎる。
口に入れた刹那、豚の濃厚なコラーゲンと極上の脂身の甘みが、舌の上で文字通り「一瞬で溶けて蒸発」した。
噛む必要すら一切ない。
とろけるような肉のコクと甘辛いタレの旨味が、白米の甘みと完璧に融合し、怒涛の勢いで喉の奥へと滑り込んでいく。
(う、美味すぎる……っ! 脳の髄まで味が染み渡る……っ!)
(泥水と冷え切った戦闘糧食しか知らなかった俺の胃袋が、歓喜の悲鳴を上げてやがる……!)
あまりの衝撃に、俺は涙目になりながらガツガツと猛烈な勢いで茶碗を掻き込み続けた。
カウンターの向こうで、蘭さんはその慈愛に満ちた大人の包容力で、俺の食べる様を優しく見守っていた。
擦り切れた死神の魂が、内側から完全に骨抜きにされていくのを、俺は確かに感じていた。
◆ ◆ ◆
次回予告:第7話『深夜の完全沸騰エラーと、大人の極上バブみ膝枕』
(次号、美味すぎる魯肉飯に救われたのも束の間、深夜の演算処理で超未来デバイスがまさかの大暴走!? 脳が完全沸騰して昏倒した志明を待っていたのは、妖艶な寝巻き姿の女将・蘭さんによる究極の「吸熱膝枕」だった――!)
【読者のみなさまへ】
「面白い」「続きが気になる!」と思ってくださったら、
ページ下部にある【ブックマーク登録】や、【評価システム(★★★★★)】で応援していただけると、執筆の非常に大きな励みになります!
何卒よろしくお願いいたします。
◆【作品をより深く楽しむための補足ページ】
本編の戦況マップ、地政学・ミリタリーの裏設定などはX(旧Twitter)にて随時公開・更新しています!
ぜひこちらもチェックしてみてください。
▼作者X(旧Twitter)アカウント
https://x.com/shinsannov




