第八話 陰陽師
「神城流架」
その名前を聞いた瞬間。
流架の中で、一つの疑問が生まれた。
――なぜ、知っている?
◇
黒塗りの車両が、
東京の街を走っていた。
窓の外には、
先ほどまでの戦闘の痕跡が残っている。
規制線。
自衛隊車両。
破壊された道路。
避難誘導を続ける警察官。
そして。
遥か上空。
再び閉ざされたヘブンズゲート。
後部座席に座るのは、
神城流架。
シェイラ・ハザウェイ。
アレク・ゼイン。
三人の正面には、
一人の自衛隊員が座っている。
誰も喋らない。
気まずいほどの沈黙。
「なあ」
最初に耐えられなくなったのは、
アレクだった。
「俺たち、これ捕まった扱い?」
「違うでしょう」
シェイラが答える。
「じゃあ何?」
「任意同行」
「銃向けられて?」
「…………」
「それ任意って言う?」
「本人たちに聞きなさい」
アレクが正面を見る。
自衛隊員は、
まっすぐ前を向いたまま微動だにしない。
「聞ける雰囲気じゃねえな」
「なら黙っていなさい」
「はいはい」
アレクは窓の外を見る。
「しかしよ」
「何?」
「俺ら、助けたよな?」
「ええ」
「東京」
「そうね」
「なのに銃向けられて」
「ええ」
「車に乗せられてる」
「そうね」
「人間って薄情じゃね?」
シェイラが、
ゆっくりアレクを見る。
「あなた」
「何?」
「つい数日前まで、人間は神軍が何なのかすら知らなかったのよ」
「うん」
「そこへ今度は、何もない場所から武器を出して天兵と神獣を倒す三人組が現れた」
「…………」
「しかも身元不明」
「俺たち?」
「私たち」
アレクは少し考えた。
「怪しいな」
「でしょう?」
「でも流架は身元割れてたじゃん」
「…………」
二人の視線が、
流架へ向いた。
流架は窓の外を見ている。
「流架?」
「ん?」
「さっきから静かね」
「考え事」
「珍しいな」
「失礼だなお前」
アレクを見ることもなく返す。
だが。
実際。
流架は考えていた。
神城流架。
自衛隊員は、
確かにそう呼んだ。
名乗っていない。
身分証も見せていない。
そもそも。
戦場へ入ってから、
自分の名前を口にした覚えすらない。
それなのに。
政府は知っていた。
神城流架という、
地上で使っている名前を。
なら。
誰かが知っている。
政府の中に。
自分を知っている何者かがいる。
「……誰だ?」
流架が小さく呟く。
「何が?」
「いや」
窓の外へ視線を戻す。
「独り言」
思い当たる者が、
いないわけではない。
だが。
もし、そいつなら。
「……まさかな」
千年以上前の話だ。
人間なら。
とっくに死んでいる。
◇
車両が、
厳重に警備された地下施設へ入った。
何重ものゲート。
身分確認。
武装した警備。
流架たち三人だけが、
何の確認もなく奥へ通されていく。
「俺ら身分証ないけど?」
「今さらでしょう」
「欲しいな」
「持ってないの?」
「どっかいった」
「あなたね……」
「何千年も同じ財布使えると思う?」
「そういう問題じゃない」
案内された先は、
大きな会議室だった。
すでに、
数人の人間が待っている。
スーツ姿。
制服姿。
机の上には資料。
壁には巨大なモニター。
その一つには、
先ほどの東京上空での戦闘映像が映し出されていた。
三人が入る。
全員の視線が、
流架たちへ集まった。
「どうぞ、お掛けください」
中央の男が言う。
「どうも」
流架は遠慮なく座った。
アレクも続く。
シェイラだけが、
軽く頭を下げてから席についた。
「まず」
政府側の男が口を開く。
「東京での戦闘について、感謝を」
「どういたしまして」
流架が返す。
早い。
「流架」
「何?」
「もう少し真面目に」
「ちゃんとお礼に答えたじゃん」
「そういう問題じゃない」
政府側の人間たちが、
僅かに困惑する。
アレクは、
笑いを堪えていた。
「では」
男が続ける。
「いくつか、お尋ねしたい」
「どうぞ」
「あなた方は何者ですか?」
「…………」
流架は黙った。
「先ほど使用していた武器は?」
「…………」
「敵性存在について、なぜあれほど詳しい?」
「…………」
「あなた方が《天兵》《神獣》と呼んでいた存在についても説明を願いたい」
「…………」
「ヘブンズゲートについて、何を知っていますか」
「結構あるなぁ」
流架が呟く。
「重大な問題です」
「分かってる」
流架は、
政府側の男を見る。
「でも、その前にさ」
さっきまでの気の抜けた表情が、
消えた。
「俺から一個だけ、質問していい?」
空気が変わる。
「……何でしょう」
「誰から」
流架の目が、
僅かに細くなる。
「俺の名前を聞いた?」
誰も答えない。
「俺」
流架は続ける。
「あそこで名乗ってないんだよね」
沈黙。
「なのに」
自衛隊の人間は、
神城流架という名前を知っていた。
「誰?」
返事はない。
「答えられない?」
流架は背もたれへ身体を預けた。
「じゃあ、俺も答えなくていい?」
「流架」
「いや」
シェイラへ視線を向ける。
「ここ大事だろ」
シェイラは、
何も言わなかった。
否定もしない。
政府側の男が、
短く息を吐いた。
「……分かりました」
「教えてくれる?」
「私たちから説明するより」
男は席を立った。
「直接会っていただく方が早いでしょう」
流架の眉が、
僅かに動いた。
◇
三人は、
さらに施設の奥へ案内された。
「どこまで行くんだよ」
アレクが言う。
「地下深すぎね?」
「あなたの会社よりは広いでしょうね」
「比べんなよ」
「ねえ、流架」
シェイラが呼ぶ。
「何?」
「心当たりは?」
「…………」
「あるのね」
「なんで分かった?」
「顔」
「そんな出てる?」
「少し」
流架は頭を掻く。
「一人だけ」
「誰?」
「いや」
すぐに首を振る。
「ないない」
「何が?」
「人間だから」
「…………?」
「さすがに死んでる」
シェイラが、
じっと流架を見る。
「何年前?」
「千年くらい」
「なら普通はそうね」
「だろ?」
「でも」
前を歩く政府職員を見る。
「あなたの名前を知っていた」
「だから気持ち悪いんだよ」
アレクが笑う。
「お前が人間に気味悪がられるんじゃなくて?」
「うるせえ」
やがて。
案内役が一つの扉の前で止まった。
「こちらです」
「一人?」
「はい」
「偉い人?」
「……ご本人にお尋ねください」
「何その答え」
扉が開いた。
◇
部屋は、
驚くほど普通だった。
机。
椅子。
本棚。
大量の資料。
モニター。
そして。
一人の男。
和装でもない。
烏帽子もない。
札を持っているわけでもない。
現代的なスーツを着た、
どこにでもいそうな人間。
その男が、
机の向こうから三人を見る。
「久しいな」
流架の足が止まった。
男は、
懐かしい名を口にする。
「ルシファー」
流架が、
完全に止まった。
シェイラの目が僅かに細くなる。
アレクも、
男を見る。
「…………」
流架は何も言わない。
男が眉を上げる。
「何だ」
「…………いや」
「随分な再会だな」
「ちょっと待って」
流架が、
男を指差した。
「何だ」
「お前」
まじまじと見る。
「まだ生きてたの?」
「千年ぶりに会った人間への第一声がそれか」
「いや普通死んでるだろ!」
「失礼な奴だな」
「どっちが!?」
男は平然としている。
流架だけが、
明らかに調子を狂わされていた。
「いやいやいや」
頭を押さえる。
「待て」
「待っている」
「そうじゃない」
「相変わらず注文が多いな」
「人間は千年生きねえんだよ!」
「数千年生きている堕天使に言われたくない」
「俺は元から人間じゃねえんだよ!」
「私は人間だ」
「だから、それがおかしいって言ってんの!」
シェイラが、
隣のアレクへ小さく聞く。
「知ってる?」
「いや」
「私も」
二人が、
男を見る。
流架と、
千年以上前から知り合い。
それなのに。
本人は、
自分を人間だと言っている。
男は椅子から立ち上がった。
「自己紹介がまだだったな」
「いる?」
流架が言う。
「お前は知っているだろう」
「俺はな」
男は、
シェイラとアレクを見る。
「安倍晴明」
僅かに笑う。
「陰陽師だ」
安倍晴明。
今から千年以上前。
平安の世に生きた、
希代の陰陽師。
そして。
神城流架が知る限り。
間違いなく、
人間だった男。
◇
「……本物?」
アレクが聞いた。
「本人だよ」
流架が答える。
「マジ?」
「たぶん」
「たぶんとは何だ」
晴明が流架を見る。
「千年経ってんだぞ」
「お前は私を何だと思っている」
「今まさにそれを考えてんだよ」
シェイラは、
晴明をじっと見ている。
「天使ではない」
「当然だ」
「悪魔でもない」
「当然だ」
「神性も感じない」
「私は人間だからな」
流架が口を挟む。
「だから千年生きてる人間がおかしいって」
「細かいことを気にするな」
「そこ一番細かくしちゃ駄目なところだろ!」
晴明は無視した。
「座れ」
「話逸らしたな?」
「座れ、ルシファー」
「流架」
「失礼」
全く失礼と思っていない顔だった。
三人が席につく。
「で?」
流架が聞く。
「今のお前、何者?」
「言っただろう。人間だ」
「仕事」
「ああ」
晴明は机の上の資料を閉じる。
「内閣官房参与」
流架が黙った。
「特殊災害対策特命担当だ」
「…………」
「何だ」
「いや」
流架は、
本気で意外そうな顔をした。
「お前が?」
「不満か」
「千年前から国の犬じゃねえか」
「朝廷と政府を一緒にするな」
「似たようなもんだろ」
「数千年生きて、その程度の政治認識とはな」
「喧嘩売ってんの?」
「事実を述べただけだ」
アレクが笑いを堪えている。
シェイラは、
こめかみを押さえた。
「お願いだから話を進めて」
「こいつが」
「流架」
「はい」
◇
「七日前」
晴明が言った。
「空にあれが現れた」
モニター。
映し出されたのは、
東京上空のヘブンズゲート。
「政府は当然、情報を集めた」
「分かった?」
「ほとんど何も」
「だろうな」
「だが」
晴明が流架を見る。
「私には一つだけ心当たりがあった」
「天界?」
「正確には違う」
「じゃあ?」
「お前だ」
流架が眉を上げた。
「俺?」
「ああ」
「なんで」
「あれほど妙なものが空に現れて」
晴明は平然と言う。
「お前が何もせずにいるとは思えなかった」
「どういう評価?」
「非常に面倒な性格をしているという評価だ」
「悪口じゃねえか」
「褒めてはいない」
晴明は続ける。
「だから政府には伝えておいた」
「何を?」
「神城流架という男が現れた場合」
晴明の声が、
少しだけ低くなる。
「攻撃するな」
流架の表情が変わる。
「私のところへ連れて来い、と」
そこで。
流架はようやく理解した。
「それで」
椅子の背へ身体を預ける。
「自衛隊が俺の名前知ってたのか」
「ああ」
「最初から?」
「正確には、特徴と名前を伝えていた」
「写真は?」
「持っていなかった」
「そりゃそうか」
「相変わらず写真嫌いだろう」
「よく覚えてんな」
「お前ほど昔から変わらない男も珍しい」
「お前に言われたくない」
千年以上、
死んでいるはずの人間が、
平然と言った。
◇
「では」
シェイラが口を開いた。
「一つ質問があります」
「どうぞ」
「あなたは」
晴明を見る。
「神軍について、どこまで知っていますか?」
「ほとんど知らん」
即答だった。
シェイラが、
少し意外そうに目を細める。
「随分正直ね」
「知らないものを知っていると言うほど耄碌していない」
「千年以上生きてるくせに?」
流架が口を挟む。
「黙っていろ」
「はい」
晴明は、
モニターへ視線を向ける。
映像には、
白い翼を持つ天兵。
「ただ」
晴明が言った。
「これは天使ではないな」
今度は。
流架が黙った。
「…………」
「何だ」
「いや」
天兵の映像を見る。
「なんで分かった?」
「逆に聞こう」
晴明が答える。
「お前と同じに見えるか?」
「全然」
「なら違う」
「雑じゃない?」
「千年も人ならざるものを見ていれば」
晴明は、
淡々と言った。
「何となく分かる」
「何となくで分類すんなよ」
「では教えろ」
流架が天兵を見る。
「あれは天兵」
「天兵」
「そう。兵隊」
次。
ドラゴン型。
「こっちは神獣」
「神獣」
「天界にいる生き物」
「なるほど」
そして。
環状の異形。
「これは?」
「異形」
「随分そのままだな」
「俺に言うなよ」
「天使は?」
晴明が聞いた。
流架の表情が、
僅かに変わる。
「まだ」
「何?」
「今回の戦争で」
流架は、
画面に映る天兵を見る。
「本物の天使は一人も地上に出てきてない」
部屋が、
静かになった。
晴明は少しだけ目を細める。
「アメリカを三日で落とした軍勢に?」
「ああ」
「一人も?」
「いない」
「……なるほど」
晴明は、
しばらく黙った。
「想像以上に悪いな」
その声から、
先ほどまでの軽さが消えていた。
◇
「単刀直入に言おう」
晴明が、
流架たちを見る。
「日本政府は、お前たちとの協力を望んでいる」
流架が眉を上げる。
「俺らを信用すんの?」
「していない」
「…………」
「そこ即答する?」
「事実だからな」
「もうちょっと迷えよ」
「信用と協力は別だ」
晴明が続ける。
「政府はお前たちを知らない」
「どこから来たのか」
「何が目的なのか」
「何ができるのか」
「何も分からない」
「なら普通」
アレクが口を挟む。
「組まないんじゃねえの?」
「平時ならな」
晴明が答える。
モニターへ、
アメリカの映像が映った。
占領された街。
その上空には、
ヘブンズゲート。
「人類は」
晴明が言った。
「すでに一度負けた」
誰も軽口を挟まない。
「日本も今日」
「お前たちがいなければ」
東京の戦闘映像へ切り替わる。
神獣。
白光。
天兵。
「同じ道を辿っていた可能性が高い」
流架は黙って聞いている。
「神軍には勝てない」
「少なくとも」
「今の人類だけではな」
晴明の視線が、
流架へ向く。
「現状」
「我々はお前たちにも勝てない」
「おい」
「事実だ」
「そこはもうちょい悔しがれよ」
「悔しがれば勝てるのか?」
「正論やめろ」
晴明は、
僅かに笑った。
「ならば」
「話の通じる怪物とは」
「手を組むべきだろう」
「誰が怪物だ」
「自覚がないのか?」
「失礼だな」
「今日だけで何体倒した」
「数えてねえ」
「ほら見ろ」
「何がだよ」
アレクが、
とうとう笑った。
「流架」
「何?」
「お前、こいつ苦手だろ」
「嫌い」
「即答ね」
シェイラが呆れる。
「昔からこうなんだよ」
流架が言った。
「こいつ」
晴明は気にした様子もない。
「具体的な協力内容はこれから詰める」
シェイラが頷く。
「情報共有は必要ですね」
「ああ」
「神軍については」
シェイラが流架を見る。
「私たちが提供できる」
「現代の軍事情報や各国の状況については」
晴明が続ける。
「政府側が提供する」
アレクが言う。
「悪くないんじゃね?」
「そうね」
二人が、
流架を見る。
「何?」
「あなたが決めなさい」
「なんで俺?」
「円卓を招集したのはあなたでしょう」
「そうだけど」
流架は、
晴明を見る。
千年以上前から知っている男。
人間。
少なくとも。
昔は間違いなくそうだった。
今も本人は、
人間だと言い張っている。
「一個だけ」
流架が言った。
「何だ」
「人間を駒にするなら」
晴明の瞳を、
真っ直ぐ見る。
「俺は組まない」
シェイラとアレクが黙る。
「国を守るためだから」
「世界を守るためだから」
「必要な犠牲だから」
流架は、
淡々と続けた。
「そういう理由で」
「死んで当然の奴を作るなら」
空気が変わる。
「俺は親父と戦うのと同じように」
「お前らとも戦う」
晴明は、
何も言わなかった。
数秒。
流架の目を見る。
「安心しろ」
静かな声だった。
「私も」
晴明は答える。
「人間を守るためにここにいる」
「…………」
流架の表情が、
僅かに緩む。
「なら」
手を差し出す。
「よろしく」
晴明は、
その手を見る。
「随分軽いな」
「握手に重さ必要?」
「相変わらずだな」
「そっちも」
晴明が、
流架の手を握った。
この日。
天より堕ちた者たちと。
地上に生きる人類が。
初めて。
同じ敵を見ることになった。
◇
話を終え。
三人が部屋を出ようとする。
「流架」
晴明が呼び止めた。
「何?」
流架が振り返る。
晴明の表情から、
僅かな笑みが消えた。
「一つだけ言っておく」
「何を?」
「今度の戦い」
晴明は、
三人を見る。
「人類も」
静かに言った。
「お前たちに守られているだけで終わるつもりはない」
流架は、
しばらく晴明を見る。
そして。
少しだけ笑った。
「そうこなくちゃな」
扉が閉じた。
一人残された晴明は、
机の上に置かれた資料へ視線を落とす。
世界各地に浮かぶ、
ヘブンズゲートの写真。
「さて」
晴明が呟いた。
資料を閉じる。
「こちらも」
その指先が、
表紙をゆっくり撫でた。
「準備を始めるか」
人類にはまだ、
神へ届く力などない。
だからこそ。
届かせるための方法を、
作らなければならない。
天界も。
堕天使たちも。
まだ知らない。
人類もまた。
神との戦争へ向けて、
動き始めていた。




