第六話 堕天使
『緊急速報です』
テレビ画面が切り替わった。
『東京上空のヘブンズゲートに、動きが確認されました』
その一言で。
店内の空気が変わった。
ベルのバー。
円卓を囲んでいた七人が、一斉にテレビへ視線を向ける。
東京上空。
数日前から沈黙していた巨大な門。
閉ざされていた扉が、
ゆっくりと開き始めている。
『政府は周辺地域へ避難指示を発令』
『自衛隊はすでに迎撃態勢に入っています』
白い光が、
門の隙間から溢れ出した。
そして。
翼が見えた。
一つ。
二つ。
十。
次々と、
白い翼を持つ人型が地上へ降りてくる。
「……来たか」
流架が立ち上がった。
「行くのね」
シェイラが聞く。
「ああ」
「俺も行く」
アレクがグラスを置いた。
「私も」
シェイラも席を立つ。
ベルが、
三人を見る。
「三人で足りるか?」
流架はテレビを見る。
空を埋め始めた天兵。
その向こう。
門の奥には、
もっと大きな影が見えている。
「十分」
即答だった。
「随分な自信だな」
アレクが笑う。
「自信じゃねえよ」
流架は店の出口へ向かう。
「知ってるだけだ」
「何を?」
扉へ手を掛ける。
「あいつらが」
振り返る。
「俺らより弱いってことを」
◇
東京では、
すでに戦闘が始まっていた。
乾いた銃声。
空を裂くミサイル。
爆発。
白い翼。
自衛隊が相手にしているのは、
アメリカ戦でも猛威を振るった翼人型。
流架たちが、
《天兵》と呼ぶ存在だった。
天兵の前面に、
半透明の光が展開される。
銃弾が弾かれた。
別方向から放たれた攻撃が障壁へ命中する。
亀裂。
それでも、
破れない。
天兵は無表情のまま、
槍を地上へ向けた。
穂先に、
白い光が集まる。
そして。
放たれた。
その軌道上へ、
一人の男が現れた。
突然だった。
本当に、
何もなかった場所に現れた。
神城流架。
「相変わらず」
迫る白光を見ながら、
右手を横へ伸ばす。
「ワンパターンだな、お前ら」
空間に、
光が集まった。
柄。
鍔。
刀身。
何も握られていなかった流架の右手に、
一振りの長剣が現れる。
《神装顕現》。
かつて。
天にあった頃から、
流架と共にあった武器。
白い光が迫る。
流架は、
ただ剣を振った。
一閃。
白光が、
真っ二つに割れた。
左右へ逸れた光が、
遠くの地面を穿つ。
爆発。
衝撃。
巻き上がる土煙。
その中心。
流架は、
もうそこにいなかった。
◇
天兵が振り返る。
いない。
右。
いない。
左。
いない。
「後ろ」
声がした。
振り返る。
遅い。
長剣が、
天兵の胴を薙いだ。
半透明の障壁が生まれる。
刃が止まった。
「あ?」
流架が眉を上げる。
「こんなもん付けるようになったのか」
剣へ、
僅かに力を込める。
亀裂。
次の瞬間。
障壁が砕け散った。
長剣が天兵を斬り抜ける。
白い翼が、
地上へ落ちた。
だが。
一体だけではない。
三体。
左右。
正面。
天兵が同時に流架へ迫る。
「流架」
声。
シェイラだった。
「左。一秒後」
「あいよ」
流架が消える。
一秒。
天兵が左を見る。
そこへ。
流架が現れた。
「遅い」
一閃。
一体目。
直後。
槍が流架の背後から迫る。
「二秒後、上」
「はいはい」
「返事は一回」
「母親かよ」
軽口を叩きながら。
流架は身を逸らす。
槍が鼻先を通過した。
二秒。
上空から、
別の天兵が急降下する。
だが。
その先には、
すでにシェイラがいる。
長槍。
《神装顕現》。
構えている。
天兵が、
自ら槍へ飛び込んだように見えた。
一突き。
障壁。
破砕。
そして。
シェイラの槍が、
天兵の胸を貫いた。
「次」
シェイラは、
倒した相手を見もしなかった。
「三秒後。流架の右後方に二体」
「了解」
「アレク」
「聞こえてる」
少し離れた場所。
アレクが右手を上げる。
光。
その手の中へ、
弓が現れた。
矢を番える。
放つ。
一射。
一体目の障壁を貫く。
そのまま胸へ。
二体目がアレクへ迫る。
弓を放した。
光になって消える。
次。
斧。
振り抜く。
天兵が吹き飛んだ。
「これ重いな」
斧が消える。
剣。
一体。
短剣。
一体。
大槌。
二体。
槍。
投げる。
障壁を貫いた。
天兵をそのまま、
建物の壁へ縫い止める。
そして。
もう次の武器が、
アレクの手に収まっている。
「相変わらず節操ないわね」
シェイラが言った。
「言い方」
「一種類くらいに絞ったら?」
「嫌だね」
アレクは笑った。
「使えるもんは」
剣を振る。
天兵の障壁が砕ける。
「全部使う」
一閃。
「それが俺のやり方だ」
天兵が落ちる。
◇
流架が消える。
現れる。
斬る。
また消える。
一撃。
一体。
時には二体。
白い翼が、
次々と空から落ちていく。
シェイラの槍は、
敵を追わない。
敵が来る場所に、
先に存在している。
防御も。
回避も。
攻撃も。
数秒先の未来を見てから動く彼女にとって、
天兵の動きは遅すぎた。
そして。
アレク。
距離など、
意味がない。
離れれば弓。
近づけば剣。
数が増えれば大槌。
守れば槍。
攻めれば盾。
武器が変わる。
戦い方が変わる。
次に何を出すのか。
敵には読めない。
三人。
ただ、
三人。
それだけだった。
アメリカ軍が、
三日三晩にわたって戦った敵。
世界中へ恐怖を刻み込んだ、
天の兵士。
それが今。
一方的に、
狩られていた。
◇
そして。
空が震えた。
三人が、
同時に上を見る。
ヘブンズゲート。
門を満たす白い光。
そこから、
巨大な爪が現れた。
続いて。
純白の鱗。
鋭い角。
巨大な翼。
咆哮。
大気そのものが震える。
「神獣か」
アレクが呟いた。
「ああ」
流架が長剣を肩へ乗せた。
「でけえな」
「前にも見ただろ」
「何千年前だと思ってんだよ」
「忘れすぎだろ」
シェイラが二人を睨む。
「来るわよ」
神獣の口が開いた。
喉の奥へ、
白い光が集まり始める。
シェイラの瞳が、
僅かに細くなった。
未来。
一秒。
二秒。
三秒。
白光が地上へ落ちる。
避難する人々。
炎。
崩れる街。
「……駄目」
シェイラが言った。
「流架!」
「分かってる」
流架が、
消えた。
次の瞬間。
上空。
神獣の真正面。
何の足場もない空に、
流架が現れる。
神獣が、
白光を放つ。
真正面。
流架へ。
「三秒!」
シェイラが叫ぶ。
「十分」
一秒。
光が迫る。
二秒。
流架が長剣を引く。
三秒。
振った。
白光が、
二つに割れた。
流架の左右を、
巨大な光が通り過ぎていく。
地上へは届かない。
「アレク!」
「待ってました!」
アレクの両手へ、
巨大な弓が顕現する。
今までのものとは、
大きさが違う。
一本の光が、
矢を形作った。
「シェイラ!」
「右翼」
「了解!」
未来に見えた位置。
まだ、
神獣の翼はそこにはない。
だが。
アレクは構わず矢を放った。
轟音。
光の矢が空を突き抜ける。
神獣が身体を傾ける。
右翼が動く。
その先に。
すでに矢があった。
貫通。
咆哮。
純白の翼が、
大きく裂ける。
巨体が傾いた。
「今!」
「あいよ!」
流架が消える。
転移。
神獣の頭上。
両手で、
長剣を握る。
神獣が流架を見る。
「悪いな」
剣を振り上げる。
「今日は」
一閃。
「お前の相手してる暇ねえんだわ」
純白の鱗。
人間の銃弾を弾き。
ミサイルすら耐えた、
天界の獣の身体。
そこへ。
一本の線が走った。
一拍。
亀裂。
そして。
割れた。
刃が振り抜かれる。
神獣の巨体から、
力が抜けた。
落ちる。
轟音。
大地が揺れた。
砂煙が、
高く舞い上がる。
流架は地上へ降りる。
「終わり?」
アレクが聞く。
流架は、
答えなかった。
空を見ている。
「流架?」
シェイラも空を見る。
ヘブンズゲート。
そこには、
もう新たな敵の姿はない。
代わりに。
音がした。
重く。
低い。
空そのものが軋むような音。
巨大な扉が、
ゆっくりと動き始める。
「……閉じる?」
アレクが眉を上げた。
「ああ」
流架が答える。
門を満たしていた白い光が、
少しずつ細くなっていく。
天界へ続いていた道が、
閉ざされていく。
やがて。
最後の光が消えた。
巨大な扉は、
再び完全に閉ざされた。
ヘブンズゲートそのものは、
東京上空に残っている。
ただ。
門は沈黙した。
「引いたのか?」
「さあな」
流架が神装を消す。
長剣が、
光の粒子となって消えていく。
「でもまあ」
地上へ落ちた天兵。
倒れた神獣。
そして。
閉ざされた門を見る。
「今日は終わりらしい」
「じゃあ帰るか」
アレクも武器を消す。
「飯」
「あなたたちね……」
シェイラが呆れる。
「戦争中なのよ?」
「腹は減るだろ」
「それはそうだけど」
「ベルの飯冷めるぞ」
「それは大問題だな」
二人が歩き出す。
「待ちなさい」
シェイラも後を追おうとした。
そのとき。
「動くな!」
三人の足が、
止まった。
流架が振り返る。
銃口。
一つではない。
自衛隊員たちが、
三人を取り囲んでいる。
向けられた銃口は、
すべて流架たちへ向いていた。
「…………」
アレクが、
ゆっくり周囲を見る。
「おいおい」
正面。
左右。
背後。
「助けてやった直後だぞ?」
「当然の対応よ」
シェイラは平然としていた。
「どこが?」
「突然現れた正体不明の三人組」
「うん」
「武器を何もない場所から出す」
「うん」
「天兵を一方的に倒す」
「うん」
「神獣まで倒す」
「…………」
「あなたなら警戒しない?」
アレクは少し考えた。
「するな」
「でしょう?」
流架が頭を掻いた。
「まあ」
周囲を見る。
「そうなるよな」
自衛隊員の一人が、
一歩前へ出た。
「三人とも」
銃口は向けたまま。
「武器を地面に置け」
アレクが、
自分の手を見る。
「これを?」
「ゆっくりだ」
「いや」
銃口が、
一斉に僅かに上がった。
「アレク」
シェイラが低い声で言う。
「説明が足りない」
「だって置けねえだろ」
「何?」
「だから」
アレクが手を開く。
武器が、
光へ変わる。
粒子。
消滅。
「こういうもんなんだよ」
流架も長剣を消す。
シェイラも長槍を消した。
それでも。
銃口は下がらない。
「質問する」
隊員が言った。
「お前たちは何者だ?」
「…………」
「神軍なのか?」
「違う」
流架が答える。
「あの門から来たのか?」
「それも違う」
「なら何者だ」
「…………」
流架は少し考えた。
どう答えればいい。
堕天使です。
昔、神に追い出されました。
ついでに、
神は俺の親父です。
――信じるわけがない。
「説明すると長いんだよなぁ」
「流架」
シェイラが睨む。
「分かってるよ」
流架は、
自衛隊員を見る。
「少なくとも」
少しだけ笑う。
「あんたらの敵じゃない」
「それを証明できるか」
「…………」
流架は振り返る。
倒れた神獣。
無数の天兵。
それから、
もう一度隊員を見る。
「今のじゃ駄目?」
沈黙。
「駄目らしいぞ」
アレクが言う。
「世知辛いな」
「黙って」
シェイラが睨む。
そのとき。
隊員の無線へ、
何かが入った。
短いやり取り。
隊員の視線が、
流架へ戻る。
「神城流架」
「…………」
流架の顔から、
笑みが消えた。
「俺?」
「政府から要請が出ている」
一拍。
「三名とも、同行してもらう」
「…………」
流架は、
すぐには答えなかった。
神城流架。
天から堕ちた後。
人間として生きるために使っている名前だ。
この場に来てから、
一度も名乗っていない。
自衛隊に身分を提示した覚えもない。
それなのに。
目の前の隊員は、
確かに言った。
神城流架。
流架は、
隊員の顔を見る。
だが。
違う。
目の前の人間が、
自分を知っているわけではない。
今。
無線で、
誰かから名前を伝えられた。
なら。
誰だ。
流架の目が、
僅かに細くなる。
――俺の名前を知ってる奴が、政府の中にいる?
「流架?」
シェイラが呼ぶ。
流架は、
少しだけ笑った。
「いや」
銃口に囲まれたまま、
両手を軽く上げる。
「行こう」
「いいの?」
「ああ」
アレクが眉を上げる。
「珍しいな。お前が素直について行くなんて」
「気が変わった」
「何で?」
流架は答えなかった。
ただ。
政府が用意した車両を見る。
誰なのか。
なぜ、
神城流架という名前を知っているのか。
思い当たる者が、
いないわけではない。
だが。
もし。
本当にあいつなら。
「……まさかな」
小さく呟く。
その声を、
自衛隊員たちが聞き取ることはなかった。
空では。
閉ざされたヘブンズゲートが、
何事もなかったかのように沈黙している。
その下で。
神に背いた者と、
人類との最初の接触が始まろうとしていた。




