第三話 七人
神との戦争が始まって、四日目。
アメリカ合衆国が降伏して、一夜が明けた。
世界は、その事実をまだ受け入れられずにいた。
◇
『アメリカ全土では現在、神軍による武装解除が進められています』
『旧アメリカ軍施設については順次接収され――』
『各国政府では、神軍から同様の降伏要求を受けた場合の対応について緊急協議が――』
『一方、各地では抗議活動も――』
テレビから流れるニュースを、
黒崎鈴司は厨房で聞いていた。
「……旧アメリカ軍、ねえ」
フライパンを振りながら呟く。
つい昨日まで世界最大級の軍隊だったものに、もう「旧」が付いている。
たった三日。
たった三日で、
一つの国が過去になった。
「ベル」
「あ?」
「まだ?」
「うるせえ。店主を急かすな」
「腹減った」
「だったら手伝え」
「客に働かせんなよ」
「今日は営業してねえよ」
カウンターの向こう。
神城流架が椅子に座っていた。
テーブルの上には、すでに空になった皿。
鈴司がちらりと見る。
「それ誰が食った?」
「俺」
「人の飯に手ぇ出すなよ」
「名前書いとけよ」
「七人しかいねえんだから分かるだろ」
「ベルの分かと思った」
「だったらなおさら食うな!」
昨夜。
人類最強クラスの軍事国家が神軍へ全面降伏した。
そして今。
世界の命運を左右するかもしれない会議の準備をしている二人が、
食い物の取り分で揉めていた。
鈴司が大きくため息をつく。
「……本当に来るのか?」
「連絡はした」
「返事は?」
「三人」
「残りは?」
「既読」
「それ返事じゃねえよ」
「来るだろ」
「どっからその自信出てくんだ」
「俺だから」
「傲慢だなぁ、お前」
「知ってる」
流架は悪びれもしない。
鈴司はもう一度ため息をつき、
料理を皿へ盛った。
そのとき。
店の扉が開いた。
まだ営業時間ではない。
表には「CLOSED」の札も出してある。
それでも入ってきた男は、
そんなものを気にする様子すらなかった。
「相変わらず、分かりにくい店だな」
黒髪。
無精髭。
使い込まれた革のジャケット。
手には小さな工具箱。
どう見ても、これから神との戦争について話し合う男には見えない。
鈴司が片手を上げた。
「久しぶり」
「おう」
男は流架を見る。
数秒。
「……老けたか?」
「お前に言われたくねえよ」
「俺は渋くなった」
「自分で言う?」
男は鼻で笑い、
カウンターへ工具箱を置いた。
「酒」
「何がいい」
「強いの」
「雑だな」
「あと飯」
「お前もかよ」
流架が笑う。
「変わってねえな、アレク」
アレク・ゼイン。
現代では、
小さな金属加工会社を営んでいる。
機械部品。
精密加工。
オーダーメイドの工具。
頼まれれば、たいがいのものを作る。
仕事は丁寧。
口は悪い。
「で?」
アレクがグラスを受け取る。
「神から人類を守る会でも始めんのか?」
「だいたい合ってる」
「帰っていい?」
「座れ」
「面倒なんだよ」
「アメリカ見ただろ」
アレクの表情から、
僅かに笑みが消えた。
テレビへ視線を向ける。
そこには、
破壊された戦闘機が映っていた。
「……見たよ」
短い返事。
「随分とまあ」
グラスを傾ける。
「人間も、立派な武器を作るようになった」
それだけ言った。
流架は何も返さなかった。
◇
二人目は、
女性だった。
「こんばんは」
穏やかな声とともに扉が開く。
柔らかなブラウンの髪。
眼鏡。
片手には鞄。
もう片方の手には、
なぜか本が三冊抱えられている。
流架が眉を上げた。
「会議に本持ってくる奴、初めて見た」
「移動中に読んでいたの」
「三冊?」
「一冊では足りないでしょう?」
「何時間移動するつもりだったんだよ」
ペネロペ・エマーソン。
出版社勤務。
編集者。
彼女が人間として選んだ仕事だった。
人間が物語を書き、
知識を書き、
失敗すら文字として残していく。
その営みを、
彼女はとても気に入っていた。
「ベル。何か食べるものある?」
「あるぞ」
「軽いものでお願い」
「分かった」
「流架に食べられてなければ」
「おい」
流架が抗議する。
アレクが笑った。
ペネロペは流架の隣を通り過ぎ、
店の中央にある丸いテーブルへ向かう。
そこで足を止めた。
「これ」
「ん?」
「前からあった?」
丸いテーブルを指差す。
鈴司が答える。
「あった」
「こんな都合よく?」
「たまたまだ」
「本当に?」
「細かいこと気にするな」
「職業病よ」
編集者は疑わしそうな顔をしたが、
とりあえず座った。
◇
三人目は、
男だった。
「遅くなった」
年齢は五十代ほどに見える。
落ち着いたスーツ姿。
細い眼鏡。
片手には古びた革鞄。
大学教授。
そう紹介されれば、
十人中十人が納得するだろう。
実際、その通りだった。
「アルバート」
流架が呼ぶ。
アルバート・ロス。
大学で古代宗教と言語を研究している。
人間たちからは、
失われた時代に異常なほど詳しい研究者として知られている。
当然だった。
その時代を、
本人が知っているのだから。
「ニュースを見た」
アルバートが言う。
「あれは以前より洗練されている」
「何が?」
「天兵だ」
流架が頷く。
「俺も思った」
「神獣も見たことのない種類が混ざっていた」
「何千年経ってると思ってんだよ」
「だから興味深い」
「楽しそうだな、お前」
「未知とは、そういうものだ」
「敵だけどな」
「それとこれとは別だ」
アレクが呆れた顔をする。
「学者ってのはこれだから」
「職人に言われたくない」
「何?」
「やめろ、お前ら」
鈴司が料理を運んでくる。
「店壊したら修理代取るぞ」
「俺が直す」
「じゃあいいか」
「いいのかよ」
流架のツッコミが飛んだ。
◇
四人目。
扉が開いた瞬間、
店内の空気が少しだけ変わった。
長身の女性。
黒いコート。
無駄のない動作。
視線はまっすぐに流架へ向けられていた。
「久しぶり」
「おう」
「それだけ?」
「他に何て言うんだよ」
女性が小さくため息をつく。
「あなたは昔から変わらないわね、流架」
「褒め言葉?」
「いいえ」
シェイラ・ハザウェイ。
国際支援に関わる仕事をしている。
複数の国を行き来し、
紛争地域や災害地域にも足を運ぶ。
人をまとめる。
危機の中で決断する。
何千年経っても、
彼女のやることは昔とあまり変わらなかった。
アレクが手を上げる。
「よ」
「久しぶり、アレク」
「何百年ぶり?」
「覚えていない」
「みんな数える気ねえな」
鈴司が呟く。
シェイラは丸テーブルを見る。
「あと一人?」
「ああ」
「来るの?」
「来る」
流架が即答する。
「あなた、返事を確認した?」
「してない」
「流架」
「来るって」
「あなたという人は……」
シェイラがこめかみを押さえる。
鈴司は笑った。
「懐かしいだろ?」
「そこだけは否定しないわ」
◇
最後に現れたのは、
金髪の女性だった。
「遅れてごめんなさい」
整った顔立ち。
静かな声。
彼女は店に入るなり、
誰にも挨拶せず窓へ向かった。
そして空を見る。
東京上空。
巨大なヘブンズゲートは、
今もそこにある。
「変わった?」
流架が聞いた。
「少し」
女性は答える。
「脈動の間隔が短くなってる」
「分かるの?」
「私を誰だと思ってるの」
コレット・ベルナール。
天文学者。
天文台勤務。
何日でも空を見ていられる女だった。
もっとも。
彼女が見てきたのは、
星だけではない。
コレットがようやくテーブルへ向かう。
その途中。
テレビに映る映像を見た。
ワシントン。
神軍。
占領された政府施設。
彼女の足が、
一瞬だけ止まる。
何も言わない。
だが。
流架は見逃さなかった。
「コレット」
「何?」
「今はいい」
「……そう」
短いやり取り。
シェイラだけが、
二人を静かに見ていた。
◇
「これで全員か」
アレクが言った。
「ああ」
流架が答える。
鈴司も厨房を出て、
最後の一席へ座った。
七人。
丸いテーブルを囲んだ。
神城流架。
黒崎鈴司。
シェイラ・ハザウェイ。
アレク・ゼイン。
コレット・ベルナール。
アルバート・ロス。
ペネロペ・エマーソン。
表向きは、
それぞれ違う仕事をしている人間たち。
自由人。
バーの店主。
国際支援。
職人。
天文学者。
大学教授。
編集者。
共通点など、
どこにもない。
だが。
七人の間には、
人間の歴史そのものより長い時間が流れていた。




