254 なかなおり
売り言葉に買い言葉。こぐまは煽られもう“やる気”になってしまっていた。
『ジスカール! こいつきらい! ころしていい!? きらい!』
「駄目だ! 約束しただろう? 殺して良いのは殺されそうになった時だけだ……!」
『うー! だって! ぼくのことばかにする! くやしい! くやしい!』
ジスカールの返事にこぐまが地団太を踏む。まるで子供の癇癪だ。
「駄目だ! 馬鹿にされただけで人を殺してはいけないんだよ、ウルズス……!」
「そうよォ~! こういう時は“殺し合い”じゃなくてするなら“喧嘩”だワッ!」
「ジラフ……!?」
重ねられたジラフの声に、ジスカールが瞠目する。『大丈夫』と片目を瞑りジラフがシートから立ち上がった。
『けんかってなに! しらない!』
「じゃあ教えてあげる! いらっしゃい!」
少し離れた砂浜に、颯爽とジラフが歩いて行く。ぐるぐる唸りながらこぐまも後をついて行った。
「ああ……」
「大丈夫。ジラフは“まとも”だ。心配してるような事は起きねえよ」
「だが……!」
「いいからこれ持ッててくれ。絶対離すなよ」
ガンが手早くパラソルを畳み、ジスカールに抱えさせる。それから一度広げた弁当に蓋をして、守るように抱えた。
「ガンナー、何を……?」
「結構風圧があるんだ。あんたも伏せといた方が良い」
「……何が起きるんだ?」
怪訝な顔をしたタイミングで、離れた砂浜でこぐまとジラフが向き合った。
「いい? ウルズスちゃん、喧嘩っていうのは『意見が違う時に争う』コトよ! 言葉だけでもいいし、殴り合ってもいい。けど『殺す』も『食べる』もしてはダメ! それに喧嘩の後は仲直りもした方が良いわネッ!」
『ふんだ! 食べなくても、ぼくが殴ったらおまえなんかしんじゃうよ!』
「ウフッ! 生憎死ぬほどヤワじゃないのよねェ~!」
また馬鹿にされたと思って、こぐまがだんだん砂を蹴る。
『うそだ! うそうそ! 人間はよわいから! ぼくとジスカールをつかまえて、りようしようとするんじゃないか! いっぱいずるくてひどいことしたくせに!』
唸り怒るこぐまの姿が心なしか“膨れて”いた。ジスカールに言われたから必死で堪えているが、抑えきれないのだろう。これは自分や人間に対する『怒り』というより『恐怖』だと思った。
「もう世界が違うから、アナタ達に酷いことする人間は居ないのよ。この世界に居るのはアナタと同じか、それ以上に強い人間ばかり。アナタとジスカールちゃんを利用する必要は無いわ」
『うそつき! うそつき! 今までそんな人間なんかいなかったもん!』
「言葉だけじゃ信じられないし怖いわよネェ。だからアタシを殴っていいわよ」
『……!』
ジスカールが目を剥いて飛び出そうとするが、ガンに腕を掴まれる。
「駄目だ! ジラフ! やめるんだ! ウルズスも!」
「大丈夫よ、ジスカールちゃん。『此処では戦う必要は無い』のだと、一度ちゃんと教えてあげた方が良い。ずっと人間に怯えている方が可哀相だわ」
「……ッッ」
微笑むジラフの顔を見て、ジスカールが呻いて俯いた。肩が小さく震えている。
「…………ウルズス、“第一段階”までだ。一度、たった一度殴るだけだ」
『ふん! 一度でじゅうぶんだよ!』
「ウフッ! 思い切り全力でいらっしゃァい!」
『ムキー!』
ジラフの満面に更に怒ったこぐまの身体が破裂するように膨れた。次の瞬間には、体長10m近い凶悪な異形の熊へと変化している。立ち上がったその姿は、巨大過ぎるヒグマやグリズリーに似ていた。だがそれよりずっと禍々しく、手足の爪は大きく鋭く、分厚い毛皮の上からでもはち切れんばかりの筋肉が窺える。
ただの熊でも木をなぎ倒し、人の頭蓋を簡単に砕く程の力があるのだ。一番弱い“第一形態”とはいえ、この状態の一撃は地に大穴を穿ち、人を一瞬で肉塊に変える。それを知るからこそジスカールは怖くて仕方が無かった。彼自身はいくら強力な遺物を手にしたとしても、少し特殊なだけの常人だ。
「大丈夫だよ。ジラフを信じてやッてくれ」
「…………ああ」
ガンが励ますようにジスカールの肩を叩いた。苦心して俯いていた顔を上げる。自分にはウルズスを解き放った者として責任がある。目を反らさず見届けなくてはならない。ジスカールの双眸に二人の姿が映った瞬間、ウルズスが動いた。
斬り裂くような颶風を纏い、巨熊が前脚を振り下ろす。ジラフは構えもせずただ見上げるだけだ。全ては一瞬の事だった。剣呑な前脚がジラフに触れる直前、血のように赤い“力場”が溢れる。同時に前脚がぶつかり、砂浜を激しい風圧が吹き抜けた。
「……ッッ」
「だから言ったろ……ッ!」
見ていた二人の方が身を縮めて吹き飛ばされないように堪える。砂嵐のような風に咄嗟目を閉じてしまい、風圧が過った後にすぐ開くが――全ては終わっていた。
『う、そ…………うそ、うそうそうそ……!』
「ウフーッ! 死ぬほどヤワじゃないって言ったでしょッ!」
力場を纏ったままのジラフは目を閉じる前と姿勢が変わっていない。ウルズスの前脚は殺す事も吹き飛ばす事も出来ず、ジラフにただ触れただけみたいに止められていた。驚いて固まるウルズスにジラフが手を伸ばす。
『わ、わあっ』
「もう一度言うわよウルズスちゃん! アナタ達に酷いことをする人間はこの世界には居ない。居てもアタシ達が守ってあげる! 村の皆はアナタと同じかそれ以上に強いんだからッ! 利用なんかしないわヨッ!」
ジラフより何倍も大きい熊だが、一杯に腕を伸ばして子供を抱き締めるよう、抱擁して撫ぜてやった。
『う、ううー……!』
「村の人達も、アナタ達みたいに理由があって前の世界には居られなかったの。だからこの世界では、みんなで優しく幸せに暮らしたいのよ」
ジラフの言葉が嘘ではない事は、殴った今だからこそ理解出来た。ジラフが纏う血色の力場の強さは、触れて見るだけで明確に感じる。自分も本気を出していないが、ジラフだって出していない。『同じかそれ以上に強い』は本当だと本能で解る。それに、こぐまではなく恐ろしい形相の自分を抱く腕は――ジスカールと初めて会った時と同じように優しい。『守ってあげる』も本当だと思えた。
『…………り、……る……』
「なあに?」
『……なかなおり、……する……』
小さな声でウルズスが呟いて、するすると小さな元のこぐまに戻っていく。聞こえた言葉にジラフが目を丸くして、すぐに満面で力場を解いた。目線を合わせるように屈むと、こぐまが抱っこを求めてくっ付いて来る。喜んで抱え上げた。
『けんか……おわりなの。おまえ、ジラフ……もうきらいじゃない。すき』
「ンマッ! 嬉しい! アタシも大好きよウルズスちゃん……ッ!」
『殴って……ごめん。いたかった……?』
「いいえ、アタシは頑丈だからちっとも痛く無かったわヨッ!」
『わあ』
驚くこぐまをにこにこしながらジラフが連れ帰って来る。ジスカールは動けないままで、ガンが慣れたようにシートとパラソルを直していた。
「ちなみにおれはあの一撃で潰れちまうから、殴る相手は選ぶんだぞ」
『わかった!』
「そうね。ケンちゃんなら大体何をしても良いけど他は確認してからネッ!」
そっとこぐまを地面に下ろすと、嬉しそうにジスカールに飛びついていく。
『ジスカール! きらいじゃなかった! ぼく、ここすき! すきだよ!』
「ああ……!」
ジスカールが声を震わせて、俯きウルズスをきつく抱き締めた。
『ガンナーもジラフも小人もやさしい! 他の人間もきっとこわくない! もういじめられないんだよ! 守ってくれるって! もう二人でにげなくても、たくさん殺さなくてもいいんだよ! よかったね、ジスカール! よかったね!』
「ああ……ああ……」
『あのね、ジラフにけんかを教えてもらったの! ころすも食べるもしないの! 終わったらなかなおりするんだよ!』
「そうか……そうか、……良かったな……ッ」
嗚咽を飲み込むジスカールを見て、ガンとジラフが顔を見合わせ笑った。何度も息を飲み込み、ジスカールが瞳を潤ませたままやっと顔を上げる。
「……ウルズス。この世界で、君に教えたいことが沢山ある。前の世界では教えられなかった、素敵な事を……沢山だよ」
『ほんと!? たのしみだなあ……!』
微笑んで絞り出すと、見上げたこぐまが嬉しそうに手足をばたつかせた。
「そうね、まずはお弁当の美味しさに――夜はお風呂かしらッ」
「そうだな、リョウの飯は美味えんだぜ。食ってみろ、ウルズス」
『わあ、食べる!』
はしゃぐこぐまの嬉しそうな声と共に、三人は今度こそお弁当を広げた。
お読み頂きありがとうございます!
次話はちょっと風邪を引いてしまい体調悪いので明後日になると思います!




