第四話 世界を救うのは、天使の微笑みと私の拳
「レオノーラ様……貴方は、他の方々とは違うのですね」
ふっと花が綻ぶように笑うルシアン。その破壊力は凄まじかった。
「ブッ……!!」
「レオノーラ様!? 大丈夫ですか、鼻から血が!?」
「ええ……。少し、可愛さが限界突破いたしまして……」
ハンカチで鼻を押さえながら、尊さに打ち震える。そんな至福の時間は、品性のかけらもないドカドカという足音によって無残に引き裂かれた。
「ジ、ジョン兄上……ど、どうしてここに……?」
怯えて縮こまるルシアン。さっきまでの花のような笑顔が、一瞬で怯えた小動物のそれに変わる。その姿を見つけ、獲物を追い詰めたハイエナのように目を光らせる男。第二王子、ジョン・アノ・ルルビスだ。
「おい、ルシアン! さっさとその汚い布を離せ! 貴様のような日陰者が笑うなど不愉快だ!」
彼がルシアンの腕を乱暴に掴もうとした、その瞬間。
パチィィィンッ!!!
乾いた音が響き、ジョンの手が勢いよく弾かれた。
私の金色の瞳が、獲物を狙う猛獣のように冷たく光る。
「……あら、これはジョン殿下。私の可愛い旦那様に、何か御用かしら?」
「な、何を……! 俺たちと同族だと思っていたが……こいつは日陰者だ。生きている価値もない。あの母親のように、さっさと死ねばよかったのにな!」
嘲笑うジョンの言葉が、私の堪忍袋を内側から爆破した。
「日陰者? ……ふふ、ジョン殿下。一度、眼科にかかることをお勧めしますわ。お可哀想に、目が腐ってらっしゃるのね」
「なんだと!?」
私はルシアンを背に隠し、一歩踏み出す。背中越しに、彼の小さな体が震えているのが伝わってきた。この震えを止めるのは、私の役目だ。
「ルシアン様は、この王国のどの宝石よりも、空に輝くどの星よりも、私にとっては尊く、美しく、価値のあるお方ですわ! 誰が認めなくとも、レオノーラが認めます! ルシアン様は、そこに立って笑っていてくださるだけでいい。それだけで、世界は救われるのですから!」
背後で、ルシアンが息を呑む気配がした。
「私が、この虹色の瞳が輝く瞬間を一生守り抜くと決めたのです。今まで彼が流した涙も、その身に刻まれた傷も、すべては今日まで懸命に生きてきた誇り高き証。誰にも、彼を貶める権利なんてありません。……もしあると言うのなら、この私が、その汚い口を二度と開けないよう縫い合わせて差し上げますわ!」
「……っ、この、アマがぁ!!」
逆上したジョンが、私に向かって(あるいはルシアンに向けて)拳を振り上げる。
だが、その動きは止まって見えるほどに遅い。
私はジョンの腕を掴むと、重心を低く落とし、全身のバネを使って空へ放った。
「はあああああ!!!」
綺麗な放物線を描き、背負い投げを食らったジョンが地面に叩きつけられる。地響きにも似た鈍い音が、静かな庭に響いた。
「痛ってぇ……! な、何するんだ!」
「あら。貴方様が私を殴ろうとされましたので、淑女の嗜みとして身を守ったまでですわ」
飄々とした私の表情に、ジョンは顔を真っ赤にして「覚え……覚えてろ!」と捨て台詞を吐いて逃げ出していった。その背中が完全に見えなくなるまで、私は油断なく目で追い続けた。
「たわいもない男でしたわね」
ふぅ、と溜め息をついて振り返ると、そこには虹色の瞳から大粒の涙をポロポロと流すルシアンの姿があった。
(!?!?!? もしかして、投げ飛ばすのが怖かった!? 暴力反対派だった!?)
あわあわしながら、私はたまらず彼をぎゅっと抱きしめた。
「怖かったですね、ごめんなさい……!」
すると、ルシアンは私のドレスを小さな手でぎゅっと掴み、抱きしめ返してくれた。
「……ちがう、の……」
小さな声が、私の胸元でくぐもる。
「怖かったんじゃ、ない……。僕のために、怒ってくれる人が、いるんだって……それが、嬉しくて……」
消え入りそうな、でも確かな温もりを持った声。
「いいのですわ。世界中が敵になっても、私だけは、あなたの味方なのですから」
ルシアンの震えが、ゆっくりと止まっていく。腕の中の体温が、少しずつ、でも確かに柔らかくなっていくのがわかった。
私たちの「やり直し」は、今、確かな一歩を踏み出したのだ。




