第二十一話 微笑みの裏の毒、王妃イザベラ
パーティー会場の二階、喧騒を見下ろす貴賓席。そこには、煌びやかなドレスに身を包み、優雅に微笑む一人の女性が佇んでいた。
ルルビス王国一の美女と謳われ、民からは「慈愛の母」と慕われる王妃、イザベラ。
彼女は優雅に扇を広げ、階下で輝きを放つレオノーラとルシアンの二人をじっと見つめていた。その瞳は朗らかに笑っているようでいて、奥底には一切の光を通さない闇が潜んでいる。
(……おかしいわね。あの泥鼠が、なぜあんなに堂々と歩いているの?)
イザベラにとって、ルシアンは「消し去るべき汚点」でしかなかった。
かつて国王の寵愛を一身に受けた側妃——ルシアンの母。彼女の美しさと優秀さに激しく嫉妬したイザベラは、彼女を亡き者にした後、残されたルシアンをも精神的に殺そうと画策したのだ。
息子であるカロハスとジョンに、ルシアンを虐めるよう命じたのも彼女。そして、悪名高い「悪女」レオノーラとの婚姻を王に吹き込んだのも、他ならぬ彼女だった。
「レオノーラを利用して、あの泥鼠を絶望の淵で処刑台へ送る手筈だったのに……」
扇を握る指先に、ギリ、と力がこもる。
イザベラの計画では、レオノーラがルシアンを虐待し、最後には二人で大罪を犯したという筋書きで処刑するはずだった。
しかし、今、階下に見えるのは、見違えるほど凛々しく成長したルシアンと、彼を愛おしそうに見つめる、毒気の抜けたレオノーラの姿。ルシアンがレオノーラの耳元で何かを囁くたび、彼女は花のように笑い、彼の腕にそっと寄り添う。誰の目にも明らかな、深く通じ合った二人の姿。
「……計算違いね。レオノーラ、あの子。まさか毒を喰らって薬に変えたというの?」
イザベラの唇が、不気味に歪んだ。あんな薄汚い側妃の忘れ形見が、これほど幸せそうに笑う権利など、本来あるはずがないのに。自慢の息子、カロハスを次期国王にするためなら、どんな障害も排除する。その執念は、もはや狂気に近い。
(憎らしいこと。ルシアンだけではないわ。あの女――レオノーラの顔にまで浮かぶ、屈託のない笑み。あんな不細工な小娘が、まるで本物の愛を手にしたような顔をして……許せない。私が長年かけて育て上げてきた筋書きを、あんな小娘ごときが台無しにするなんて)
一方、パーティー会場。
私は、背中に突き刺さるような冷たい視線を感じ、思わず身震いした。
(……何かしら、この嫌な予感。誰かに、底冷えするような目で見られているような……)
「レオノーラ? どうしたの、顔色が悪いよ」
ルシアンが心配そうに顔を覗き込み、私の手を力強く握りしめる。彼の確かな体温に触れると、先ほどまでの寒気が嘘のように消えていく。
「いえ……少し、視線を感じただけですわ。大丈夫です、ルシアン」
「大丈夫、僕がついてる。……何があっても、絶対に離さないから」
そう囁いて、ルシアンは私の手をそっと自分の唇へと寄せた。先ほどまでの甘い余韻がまだ消えないまま、私の頬は再び熱を帯びる。
「……もう、そんな不意打ち、ずるいですわ」
「ふふ、レオノーラの照れた顔が見たくて、つい」
つい先ほど月明かりの下で交わした言葉が、まだ胸の奥で温かく灯っている。そのぬくもりのおかげで、この会場の冷たい空気すら、今は少しも怖くなかった。
「……視線、か」
ルシアンの瞳が、一瞬だけ鋭く二階の貴賓席へと向けられた。
彼は、レオノーラが気づくよりも早く、その「毒」の正体に気づいている。自分の母を殺し、自分からすべてを奪おうとしたあの人の存在に。
(……イザベラ王妃。僕はもう、貴方が思うほど弱い人間じゃない。僕にはレオノーラという、世界で唯一の味方がいる。僕を『いない者』として扱い続けてきたこと、必ず後悔させて見せる……)
ルシアンはレオノーラに見えないよう、氷のような微笑を浮かべた。だが、私に向けられた顔は、いつもの優しい「旦那様」の顔だった。
「ねえ、レオノーラ。もう疲れたよね? 帰ろう、僕たちの『家』に」
「ええ……そうですわね。ルシアンと一緒に、温かい紅茶を飲みたくなりましたわ」
微笑み合う二人。その温もりに満ちた光景とは対照的に、二階の貴賓席では、イザベラの瞳がぎらりと昏い光を宿していた。
(幸せそうに笑っていられるのも、今のうちよ。……その笑顔、私が一つ残らず引き裂いて差し上げるわ)
イザベラという巨大な影が、二人の「生存ルート」を再び断罪の淵へと引きずり込もうと、闇の中で動き始めていた。




