第二十九話 コマリの戦い
タラルイド子爵領、領主館。
豪華絢爛とまでは行かないものの、この子爵領内で言えば間違いなくもっとも大きく立派なその屋敷の中。天気が悪化し、猛吹雪が窓を叩く室内にて、領主たるバルボアは今にも鼻歌を口ずさみそうなほどご機嫌な様子で足元の少女を見下ろしていた。
「さて……そろそろ、言うことを聞いてくれる気になったかな?」
全身を縄で縛られたまま無造作に床に転がされているのは、桃髪桜眼の獣人少女、コマリ。
いたたた、と呟きながら顔を上げた少女は、バルボアの命令に対し不服そうに頬を膨らませる。
「何度も言ってるけど……私のスキルは、使えって言われてすぐ効果が出るようなものじゃないんだってば。私が好きになれた人が笑顔になれるようにって、ちょっとずつ力を分けてあげるくらいで……」
「それじゃあ困るんだよ。せっかくの神級スキルだ、一発で分かりやすい効果を発揮してくれなければ、地味過ぎて何の自慢にもならないじゃないか。それとも……私のことが誰よりも好きになれば、少しは効果も大きくなるのかな?」
「っ~~~~~!!!!」
バルボアがコマリの頭を踏みつけた途端、声にならない絶叫が屋内に響き渡る。
部屋の隅で護衛として一部始終を見守っていた騎士団長……ドルグ・ソードマンは、今日何度目かも分からないその声に、そっと目を逸らす。
「どうかな? そろそろ私のために頑張って貰える気になっただろうか?」
「はあっ、はあっ、はあっ……好きになって、欲しいなら……ちゃんと、お互いの目を見て、自己紹介して、一緒に遊んで……少しずつ、お互いに好きにならなきゃ、ダメだよ……」
全身から脂汗を流しながら、それでも変わらぬ態度でバルボアを見上げるコマリ。
そんな少女の様子に、バルボアは「ふむ」と困ったように眉を潜めた。
「まさか、私の【火炎王】スキルを受けてこうも耐えられる者がいるとはね。少し自信を無くしそうだよ」
大仰な仕草で肩を竦めるバルボアだったが、彼の言葉は誇張でも何でもない。
炎系王級スキル、【火炎王】。その力の真髄は、単なる炎に限らずあらゆるエネルギーを操作することにある。
たとえば……他人の体温を操作し、外からは分からないように神経を直接焼いてみたり。
筋肉のエネルギーを一部暴走させ、断裂させたり。
あるいは、呼吸する力を一時的に奪い、強制的に酸欠状態に持ち込むことだって出来る。
もちろん何の制限もないわけではなく、それだけ深く他者へ干渉するには、相手を完全に無抵抗な状態にした上で、彼自身が直接触れる必要があるのだが……拷問や調教を行う上では、この上なく性質が悪い力となっていた。
もっとも、このスキルに目覚めてそのような使い方を思いつき、実行にまで移すのはこの男くらいのものだろうが。
「まあ、それならもう少し強めに使えばいいだけかな」
「ひぐっ……!!」
見た目の上では何も変わらないまま、コマリの体を内側から痛めつけるバルボア。
どうなっているか外からは分からないからこそ、どこまでも苛烈に責め立てる彼のやり口は、部下であるドルグの目から見ても忌避感を覚えるものだった。
しかし、コマリは。
「私の、名前は、コマリ……あなたの、名前は……?」
このやり取りが始まってから終始一貫し、バルボアに歩み寄ろうとしている。
その異常なまでの精神性が理解出来ず、ドルグは主の行為を諌めるでもなく、ただただ息を呑んでいた。
「私はバルボア・タラルイド。お前の新しい飼い主になる男だ。その矮小な頭にしっかりと叩き込んでおくといい」
「バルボアおじさん……」
「バルボア“様”だ、間違えるな」
「うぐっ……!!」
あまりにもフレンドリーな呼び方に機嫌を傾けたバルボアが、思い切りその背を踏み抜いた。
太ましい巨漢の体重が乗った一撃を容赦なく叩き付けられ、かはっ、と肺の中の空気を吐き出したコマリは、それでも絶えることなき笑みを浮かべる。
「だって……様付けじゃ他人行儀だもん。おじさん、私と仲良くなりたいんでしょ? なら、こっちの方がいいかなって……」
「お前……状況が分かっているのか? お前は私に買われた、私の奴隷だ。お前も、お前の仲間も、その生殺与奪の権は飼い主である私の手の中にある。少しはそれを考えた上で発言して貰いたいね」
ぐりぐりと少女の幼い体を踏み躙りながら、バルボアはそう忠告する。
しかし、コマリはそんな主の言葉を笑い飛ばした。
「あははは、大丈夫だよ。みんな私よりずっとずーっとすごいから、捕まったってすぐに逃げ出しちゃうもん」
「……なんだと?」
ぴくりと、バルボアの眉が跳ね上がる。
意識してか無自覚なのか、彼の力を侮るようなその発言。
なまじ本気で言っていると分かるだけに、猶更彼の神経を逆なでした。
「ゼフさんはものっすごく強いし、セイさんはめちゃくちゃ頭が良いし、おねーちゃんは誰よりも頑張り屋さん。ロブおじいちゃんだって力持ちで……おじさんの言う通り、スキルの力もちゃんと使えない私とは、全然違う」
ここに来て初めて、コマリの表情が陰った。
しかし、それすら勘違いだったのではないかというほどすぐに元の笑顔に戻ると、小さく噴き出す。
「でも……シルフィは、泣いちゃってるかなぁ」
コマリが呟いたのは、モルの村で唯一の人族の少女の名だった。
今回、バルボアと手を組んで獣人達を捕らえた奴隷商の娘であるということはドルグも知っていたが、どうして今気にするのがその少女なのか分からない。
「シルフィもね、すごいんだ。私は三年がんばっても【地母神】スキルが全然いうこと聞いてくれないのに、おねーちゃんに少し背中を押されただけで、同じくらい強いはずの【疫病神】スキルを使いこなして、みんなを助けて……でも、あの子はね、優しすぎて……すぐ傷付いちゃう」
ぐぐぐ、と、コマリがゆっくりと体を起こし始める。
バルボアがすぐさま叩き伏せようとスキルを使用し、激痛を叩き込むが……今度は、悲鳴一つ上げなかった。
「だから、そろそろ迎えに行ってあげなきゃ。私もみんなも元気だから、大丈夫だよって」
その瞬間、少女を戒めていた縄が緩み、パサリと落ちる。
は? と間の抜けた声がバルボアの口から洩れた途端、コマリの体が跳ね上がった。
「ぐあっ!?」
「バルボア様!?」
ひっくり返りそうになったバルボアを、即座に駆け寄ったドルグが受け止める。
……やはり他の獣人を捕らえるのに鎖を使い切ったからと、縄で縛るのは軽率だったか。いや、そもそも縛り方をもっと……!
コマリの縄が緩んでしまった原因をいくつか思い浮かべるドルグだったが、全ては後の祭り。
“幸運”にも戒めから解き放たれた少女は、それまで散々受けた苦痛などなかったかのように、元気いっぱいに宣言した。
「それじゃあおじさん、またね! 今度会う時は、暴力以外の方法で仲良くなろうね!」
「……調子に乗らないで欲しいね、ペットの分際で! ドルグ、あいつを捕まえろ。多少手荒にしても構わない」
「……はっ!!」
バルボアの指示を受けて、ドルグが剣を抜く。
それを見たコマリは、少しだけむっとふくれっ面を浮かべる。
「もう、次は剣のおじさんが遊びたいの? 私はシルフィのところに行かなきゃいけないから、ちょっとだけだよ!!」
「お前に恨みはない。だが命令である以上……斬る!!」
コマリの体を、桜色の魔力が覆いつくす。
手足に狼の手足を作り上げたコマリに向かって、ドルグが剣を振り上げ──シルフィが動き出すのと時を合わせ、子爵邸の屋内でもまた、もう一つの戦いが始まった。
次回、「厄災の魔女」




