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第二十三話 崩壊の序章

「うっ……あれ……私は、一体……?」


 ガンガンと痛む頭を押さえながら、私は目を開ける。


 ここは……どこだろう? 木張りの小さな部屋……ううん、いくらなんでも狭いし、椅子の上だし、馬車……? 動いてはいないみたいだけど、どうしてこんな場所に……。


「そうだ、私……後ろからいきなり襲われて……」


「ははっ、気が付いたみたいだな」


「っ!?」


 記憶が途切れる寸前の出来事を思い出した私の耳に、この世界で一番聞きたくなかった声が響く。


 咄嗟に体を起こせば、私の対面に座る二人の人物がいた。


 一人は、無機質な表情と栗色の長い髪が特徴的な、奴隷の少女。ルンさんと同い年くらいだろうか?


 そして、そんな少女の隣にもう一人……私の父親、ガイゼル・スプラウトがそこにいた。


「どうして、あなたがここに……!」


「実の父親に対して、随分と他人行儀じゃねえか。それに、どうしても何も、これは俺の馬車だからな。当然だろ?」


「そうじゃない……あなたは私が嫌いなはずでしょ、それが今になって、どうして!」


「ああ、そりゃ決まってるだろ? お前にようやく利用価値が出来たから、伝えに来てやったんだよ」


 あくまで私を物としか見ないその態度に、やっぱりかと納得の感情が浮かぶ。


 この男に、肉親としての情なんか期待してない。

 それを寂しく思う心がないわけじゃないけど……私自身、思っていた以上にショックはなかった。


 ……もう前の私とは違う。こんな男の愛情なんかなくたって、私にはコマリちゃんがいるんだから!


「逃げようとしたって無駄だぞ? この奴隷は腕利きだからな、お前みたいなガキが逃げ切れるわけがねえ」


「っ……!!」


 チラリとドアの方を見た瞬間、釘を刺されてしまった。

 確かに、私は体も弱いし、戦う力もない。本気で追われたら、同年代の子供にだって簡単に追い付かれるだろう。


「……私を、どうする気なの」


 少しでも考える時間を稼ごうと、私はガイゼルにそう問いかける。

 そんな私の反応に気を良くしたのか、目の前の男はごく軽い調子でとんでもないことを告げた。


「なに、簡単なことだ。ただ一人、俺のところまで獣人を連れてきてくれりゃあいい。……聖獣の娘、桜色の髪の獣人だ。仲良しなんだろう? お前」


「…………」


 今……こいつは、なんて言った?

 連れてくる? 誰を? 聖獣の娘……コマリちゃんを?


「たったそれだけでいいんだ。そうしてくれりゃあ、お前のこともちゃんと町に連れ帰って、娘として可愛がってやるよ。お前だって嫌だろう? こんなロクな魔道具もない、獣臭い村で過ごすなんざ。ただ一人獣人の娘を連れてくるだけでそんな生活とオサラバ出来るなんざ、最高だろ?」


「……ざ……るな」


「あ? なんだって?」


「ふざけるな」


 胸の内から溢れるドス黒い感情のまま、目の前の男を睨み付ける。


 コマリちゃんをこいつの前に連れてくる……それが何を意味するかくらい、私にだって分かる。


 こいつは私に、コマリちゃんを売れと言ったのだ。


 私の大切な恩人を、家族を!! 自分の私利私欲のために売り捌けって!!


「ひぃ……!?」


 大の男が私に睨まれただけで怯え、椅子に座ったまま後退る。

 情けない、と思ったけど……隣に座る奴隷の少女も、さっきまでの無表情が嘘みたいに驚いた顔をしているし、私は今、自分で考えているよりもよっぽど恐ろしい顔をしているのかもしれない。


 でも……今はそんなこと、どうでもいい。

 この無礼極まりない男に、分からせてやらなきゃならないんだ。


「私が、たかがその程度の理由でコマリちゃんをあなたのところに連れてくると? ……そもそも、この村の生活が嫌だなんて、勝手に決めつけないで」


 私はこの村に来て、コマリちゃんに出会って、それまでどんなに願っても手に入らなかったものを全部貰った。


 愛情も、幸せも、家族も、友達も、全部……全部。

 確かにこの村は小さくて、人族が住む町に比べたら不便な秘境の田舎でしかないのかもしれない。


 それでもここは……私の、大切な故郷なんだ!!


「私はもう、あなたの娘なんかじゃない……!! モルの村の村人、狼族の仲間だ!! コマリちゃんも、ルンさんも……ここにいる誰一人、あなたなんかに渡さない!!」


「くっ……! そこまで育ててやった恩も忘れて親に逆らうなんざ、随分と生意気になったじゃねえか……!!」


 怯えの表情を怒りで塗り替え、ガイゼルが立ち上がる。

 それほど体格が良いわけではない、けれど今はまだ十歳の幼女でしかない私にとっては巨人にも等しいその男は、握り締めた拳を躊躇なく私の顔へ叩き付けた。


「あぐっ!」


 鍛えてるわけでもなんでもない私が、それを防げるはずもない。

 無様に吹っ飛んだ体が馬車の壁に叩き付けられ、苦悶の声が漏れる。


「誰がお前の父親なのか、しっかり教育し直してやる必要がありそうだな……!!」


 更なる追撃をかけようとしてか、ガイゼルが足を振り上げる。


 止めようとしてくれたのか、控えていた奴隷の少女が手を伸ばすけれど、それより早く無防備な私目掛け蹴りが叩き込まれようとして──突然、馬の嘶きが響き渡った。


「な、なんだぁ!?」


 この馬車を引いて来た馬が暴れだしたのか、大きく揺れる車内に足を取られたガイゼルがバランスを崩す。


 それに釣られ、奴隷の少女もまたガイゼルを助けようとそちらに意識を向けて──今しかない、と覚悟を決めた。


「えいっ……!」


 体ごと扉にぶつかり、馬車の外へ転がり出る。

 地面まで思った以上に高さがあって肝が冷えたけど、雪がたくさん積もっていたお陰で怪我一つせずに脱出出来た。


 けれど、今度はその雪のせいで体が思うように動かず、馬車からなかなか離れられない。

 周りを見渡しても木々が無造作に生えてるだけで、村がどっちにあるのかも分からない。


 いつの間にか空を覆っている分厚い雲と降りしきる雪が光を閉ざし、深い闇を湛えた森の景色は、まるで私を閉じ込める牢獄のように感じられた。


「このっ……ブルム、そいつを殺せ!! せっかく一番穏当に済むやり方を提案してやったのに、俺の好意を無視しやがって!! お望みなら、本命の方を動かしてやる!!」


「……承知しました」


 私の後ろで、開かれた扉から奴隷の少女が顔を出す。

 ブルムと呼ばれたその子は、無機質な表情の中にも僅かに憐憫の色を浮かべて私を見下ろしていた。


 ……私に、同情してくれてるのかな? だとしたら、少し嬉しいな。こんな人の傍にも、優しい人はいたんだ。


 でも奴隷である以上、この人はガイゼルに逆らえないはず。このままだと私は、この人の手で殺されるだろう。それは嫌だ。


「誰かっ……助けてぇーーー!!」


 だから私は、まだ体の自由が効く内に、精一杯叫ぶ。


 まだ私は死ねない、死にたくない。

 こんな私でも、死んだらきっとコマリちゃんが悲しむ。コマリちゃんだけは泣かせたくないのに。


 だからお願い、誰か……助けて……!!


「はははっ、無駄だ! 叫ばれても大丈夫なように、村からは大分離れてるからな。さあブルム、やっちまえ!!」


「…………」


 ブルムさんが、腰から短剣を取り出した。

 馬車の中から漏れ出るランプの光を受けてキラリと光るその刃は、私の命なんて一瞬で奪い取るだろう。


 私には、どうすることも出来ない。

 それでも、最後まであんな男の思惑に屈してなるものかと、目だけは逸らさずじっとその瞬間を見つめ続ける。


 ゆっくりと、私目掛けて切っ先が落ちてくる──その時。


 闇に紛れて、何かが飛翔する気配がした。


「《マナインパクト》!!」


「っ!?」


 何かが地面に叩き付けられ、衝撃と共に大量の雪が撒き散らされる。

 ガイゼルの悲鳴と共に馬車が横転し、割れたランプから炎上。馬は逃げ出し、ブルムさんは咄嗟に飛び退く。


 そんな中、残された私は雪の波に呑まれそうになって……それより先に、温かな腕に抱き締められていた。


「あんた達が、どこの誰かは知らないけど。これだけは言わせて貰うよ」


 恐る恐る顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、中性的な顔立ちを持つ狼獣人。


 黒髪黒目、身の丈ほどのハンマーを片手で構え、もう片方の手でしっかりと私を抱くその人は、私のもう一人の大切な家族。


 私の殴られた頬をそっと撫でたルンさんは、今まで見たこともない鬼の形相を浮かべながら顔を上げた。


「僕の妹に……何をしてるんだ、お前らはッ!!」

次回、「ルンの力」

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