【幕間 光るの宮視点】この世で最も美しいひと
「紅蓮の君は、東宮様の何なのです?」
そう純粋に問いかけてきたのは、乳兄弟の惟光だ。
その時、私は……どう、答えるべきだったのだろう。
***
紅蓮の君は、中宮である私の母の乳姉妹だ。
母と乳母と共に私を育ててくれた人。
物心ついた頃から、あの人は東宮宣旨として私に仕えてくれ、いつも側にいた。
側にいるのが当たり前だった。
だから「彼女をいつきちんと紹介されたか」と問われると、記憶は曖昧だ。
確か、六つの時だっただろうか。
「光るの宮。こちらは紅蓮の君。
私の大切な乳姉妹で、あなたのお産の時も手伝ってくれたのよ」
そう母に言われ紹介された女性は、母に劣らず美しい人だった。
射干玉の髪がサラリと揺れ、梅の香りが鼻をくすぐる。
白磁の肌に映えた、桜色の唇。
黒曜石の瞳を縁取る、長いまつ毛。
だが、ひと目見て一番私が惹かれたのは——その黒い瞳に浮かぶ、凛とした光だった。
母が、穢れなき白蓮ならば、その人は気高き紅蓮。
『紅蓮の君』と呼ばれていることに、幼心に深く頷いたものだ。
「よろしくお願い致します、若君」
優美な一礼を返したその人は、私の目をまっすぐに見て、桔梗の扇子を揺らし、にこっと笑った。
はっきりした目鼻立ちをしているせいか、一見近寄り難い雰囲気を持っているのに、
笑うと途端にその気配が消え、あどけない少女のように見えた。
母とそう変わらない歳の女性なのに。
そしてその人に育てられ、その人の側で私は生きた。
まだ幼い私でも行わねばならぬ東宮の儀式ーー
着袴の儀・帯剣は、すべてあの人が、常に万事整えてくれていた。
有能で、優しくて、ふとした心の機微にも気づく聡明さ。
私は紅蓮の君にすぐ懐き、あの人が大好きだった。
母上に甘え、乳母に甘え、そして紅蓮の君に甘える。
父にも兄にもこよなく可愛がられ、私の幼少期は穏やかな幸福で満ちていた。
その中心には、いつも紅蓮の君がいた。
あどけなく笑う少女のような可憐さと、どんな権力にも屈しない凛とした気高さを持つ人。
母上と同じ年頃の、けれど母上とは違う——ひとりの女性。
いつまで経っても若々しく美しい姿に、
「紅蓮の君はかぐや姫なの?」と聞いたことがあった。
「いいえ、違いますよ。普通の人間です」
「じゃあ、どうして歳を取らないの?」
「いやいや取っていますよ。
昔に比べたら最近身体が重いなーって思っていますもの」
「でも、お肌は綺麗で、御髪も艶めいているよ」
「それはコスメとヘアオイル……じゃなくて、お化粧のおかげですよ。
化粧で女性は化けられるのです」
くすっと冗談じみた言葉で、嫌味なく返された。
「若君も将来、私のような女性に騙されないようお気をつけてくださいませ」
「……騙されてなんかない。紅蓮の君は綺麗だよ」
「まあ、ありがとうございます、若君。
でも私も、もう歳ですからねえ。
あっという間におばあちゃんになってしまいそうですわ」
「おばあちゃんになっても、紅蓮の君は可愛いよ」
「ふふふ、そんな風に言ってくれる優しい子に、若君が育ってよかった」
そうやって「母」のような笑みを浮かべるその人に、私が抱いていた感情は何だったのだろうか。
はじめは、ただの淡い初恋だったはずだ。
美しく優しい「お姉さま」への、微笑ましく可憐な憧れ。
成長とともに、いずれは儚く消えていくはずのもの。
冬の夜、冷え切ってかじかんだ指をそっと温めてくれるような、小さな灯火の炎。
——だが、違ったのだ。
あの七つの時。
「私の幸せは、私が決めるものです」
そう言い切った彼女の瞳を見た瞬間、胸の奥で何かが決定的に弾けた。
淡かったはずの感情は、引き返せないほど重く、深く、私の心根に根を張ってしまった。
すべてを焼き尽くし燃え盛る、甘美なまでに鮮やかな火花。
その感情に、私はもう抗えない。
まるで、己の身を焦がすと分かっていながら、紅に燃える炎に飛び込む夏の虫のように。
確かに私は、あなたに正しい方向へと手を引いてもらった。育てられた。
あなたのような人に育ててもらったこと、心から感謝している。
でも。
胸に残るしこりのような、焼けつくような恋情は、消えてはくれなかった。
「……君がため 春の野に出でて 若菜摘む
わが衣手に 雪は降りつつ……」
(あなたのために春の野原に出て若菜を摘んでいると、私の着物の袖に、しんしんと白雪が降りかかってくる——)
昔、あなたが教えてくれたあの歌のように。
どれほど冷たい雪が降り積もろうと、衣の手(心)を焦がす熱は冷めやしない。
紅蓮の君は、私にとって——
母であり、
姉であり、
師であり、
それから、それから……
(——この世で最も、うつくしいひとだ)
***
「……東宮様?」
首をかしげる惟光に、私はそっと幼い笑みを消した。
「——私の、すべてだよ」
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!
光るの宮視点、いかがでしたでしょうか?
七歳の子供が抱く熱量じゃないですよね(笑)
これは、成長したら……どうなるんでしょう?
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本日【20時】に、第二章を投稿します。
第二章タイトルは、【日本一モテるのに日本一不憫な東宮】です。
今後も「ありえない源氏物語」をよろしくお願い致します!




