マネーイズパワー、金は力である
「女人が政治に首を突っ込むなど……火傷するぞ。
大宰大弐の娘よ」
「ごきげんよう、左大臣様」
にっこりと笑みを浮かべる。
舐められたら終わりだ。
前世の交渉で、嫌と言うほど学んだ。
「ご心配いただき恐縮ですわ。ですが」
紅花でそめた蝙蝠扇の向こうから、目をスッと細めた。
「私は今、父の名代としてここに参っておるので。
お気遣いは無用ですわ」
笑みを貼り付けたまま、たぬき親父の目を真っ向に見返す。
白いものが混じった眉が、ぴくりと動いた。
「……ほお。やんごとなき姫君が、何用かな?」
その声にある侮りの色を無視して、私はとある紙の束を差し出した。
「こちらは、我が父が握っている今年度の『貿易利権の裏配分』の利権書ですわ」
流れる様な墨で書かれた唐紙が、ぱさりと置かれる。
そこに書かれてある金子の量に、僅かに表情を変えたのを私は見逃さなかった。
扇の影で、さも悲しげな表情を作る。
「昨年、そちらの荘園は、不作のため実りがよくなかったとか……。
その上、今上帝の皇子は右大臣家の女御さまがお産みあそばれましたわねえ……。
今の時代の流れは、右大臣家が独り占め。
そちらの姫君を入内させるのは、極めて難しいですわね……」
左大臣の瞳に、怒りの影が浮かぶ。
「……何が言いたい」
「時代のときめきを、私たちでお分けになりません?」
目指すは咲き誇る花。
凛と気高く、何者も軽々しく触れさせぬ威厳だ。
すっと、もう一枚の紙を差し出す。
それは、神仏の名前を並べた誓約書、起請文である。
もし誓いを破れば、北野の神や清水の仏の罰を、一族郎党永劫に被る事となる。
「私の乳姉妹、桐壺の更衣さまを、あなた様のご養女にするとの誓約を下さいませ」
咲き誇る薔薇の様な笑みを見せる。
「今この場で起請文にご誓約頂けたら、この利権の受取人に、今この場であなた様の名前を書きますわ」
左大臣の目が、大きく開かれる。
(よし、食いついた)
一気に畳み掛ける。
「誉ある左大臣様ならもうご存じでしょうけど……」
ぱさり、と扇を動かし、儚くため息を吐く。
「最近、帝が、夜な夜な清涼殿――帝のおわす御殿を抜け出し、どこかに出かけているとか……」
「……」
「何でも天女に魅入られ、身分の低い妃たちが住む淑景舎――あの桐壺に忍び込んでいるとか……」
「……」
「どこの更衣さまを、帝は見そめられたのかしらねえ……」
微笑みは、決して崩さない。
ただ、射るような眼差しだけを送る。
静寂が場を占めた。
(姫様を、私の一族の養子に迎えることも考えた。だがそれでは内裏の政治バランスが崩れる。)
今この場で養子の誓約を結べば、将来の帝の祖父になりうるという、最強のカード。
(さあ、あなたはどう出る?)
ふう、と左大臣がため息をついた。
「……さすが、大宰大弐の娘。御匣殿別当の姪だな」
皺が刻まれた顔に、小さな笑みが浮かんだ。
「侮れん一族だ」
「まあ、天下の左大臣様にそう仰っていただけるとは」
心の中で、そっと呟く。
(――落ちた)
「光栄ですわ」
パチンと扇を閉じる。
袖の陰から、にっこりと笑みを返した。
***
紅蓮の君が退出したあと、左大臣は人知れず大きく息を吐いた。
まだ幼さの残る可憐な顔立ちが、脳裏に甦る。
『ではその誓いの証として、私の裳着の腰結の役を務めていただきますか?』
これであなたと私は一蓮托生だと、言わんばかりの眼差し。
『ああ、それから』
極上の紅花で染められた扇が、ゆっくりと開かれるさま。
『我が姫様を蔑ろにされたり、後ろ盾としての役目を怠った瞬間、この貿易利権は即座に右大臣家にすべて転売される手筈になっておりますの。
……お分かりですね?』
桜色の唇からぽんぽんと紡がれた、あまりにも重い言の葉。
(神仏の罰よりも、よほど恐ろしい現実の縛りをーーこの私にかけていきおった)
彼女の梅の残り香が完全に消えた後、張り詰めた胸が漸く解ける。
(あれが本当に、十代の娘のまなこか?)
燃える様な、瞳。
軽々しく触れたもの全てを焼き尽くす炎。
(火傷をしたのは……私の方だったかもしれん)
美しい黒髪を靡かせた紅蓮が、瞼に焼き付き離れなかった。
***
その頃、紅蓮の君は牛車の中でガールズトークを楽しんでいた。
大宰府の貿易で手に入れた、宋のレアな陰陽道の道具――通話ができる鏡を鏡箱から出す。
「あら叔母様?
ええ、うまくいきましたわ。
左大臣の確かな『御誓約』と、私の裳着の腰結を行うお約束を取りました。」
裳着とは女性の成人の儀式。
その中でも「腰結」(腰の紐を結ぶ)は、父親か、それに準ずる一族の最高権力者しか務めない超・重要な役目。
つまり、左大臣に「養父として桐壺の更衣の後ろ盾になって」と頼むだけでなく、
「ついでに私の事実上の後ろ盾にもなって、お互いの実家をガッツリ太いパイプで繋ぎましょうね!」と、自分の外堀も、完璧に埋めてみせた。
左大臣からすれば、大宰大弐(経済のドン)の娘であり、御匣殿別当(宮中ブティックのドン)の姪である私を、『腰結(親代わり・後ろ盾)』というポジションで、他の誰でもなく自分が独占できる。
これは、政治的にものすごいリターンであり、名誉だ。
さらに、莫大な貿易利権という富に加え、帝の寵愛を得ている姫君の里親になれるという最高のオマケ付き。
彼にとって断る理由がないのだ。
(よっっし、完璧な後ろ盾、ゲットだぜ!)
紅蓮の君は、密かにガッツポーズをする。
そして、鏡に映った叔母に向かって、花のような笑顔を向けた。
「ありがとう、お父様の利権までそちらで補填してくれたのでしょう?
今度のお礼は……え、また遊びに来てくれればいい?
では、叔母様がお気に入りの薫物をお土産に、また伺いますわ」
あどけない少女の笑みが、ふわりと広がった。
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