前途多難
紅蓮の君が実家で有給を楽しんでいる間――内裏では、ピリピリとした緊迫感に公達が震えていた。
その不機嫌オーラを放っているのは、言うまでもなく東宮・光るの宮である。
誰に当たり散らすのでもなく、一切の無駄なく淡々と政務をこなし、帝王学を修めている。
一見すれば素晴らしい光景。
だが整いすぎた美貌が終始真顔になっているせいで、
血の通わぬ氷像のように見えてしまう横顔に、周囲は息を殺して固まっていた。
しかも、話しかけられた時には完璧な「東宮営業スマイル」を見せるのが、また恐ろしい。
「触らぬ東宮に祟りなし」とばかりに震える公達の姿に、光るの宮の両親は頭を抱えていた。
***
一方その頃、帝が座す清涼殿。
「ひっ……!!」
突如として御簾を巻き上げ、凄まじい覇気を纏って現れた弟の姿に、朱雀帝は悲鳴を上げた。
「あ、あいつ……まさかとうとう理性が切れたのか……!?」
「上。お話があります」
「ひ、光るの宮……! 落ち着きなさい……!」
「――落ち着け、光るの宮」
ピシッと扇子で御帳台を叩いたのは、息子の元に訪れていた太后宮であった。
「臣下の里帰りくらい、許せなくてどうする」
ぐっと、光るの宮は言葉を詰まらせて押し黙る。
「紅蓮の君は、我が皇族に仕えてくれた第一の家臣。
結婚もせず、ずっとそなたやそなたの兄、母、父、そして私を支えてくれた珠玉だ。
今までろくに休みらしい休みも取らなかった彼女の里帰りぐらい、寛大に受け止めよ」
「……ですが、太后宮。
病状が真に重いのであれば、典薬頭の派遣のみならず、私自らが見舞いに訪れるのが誠意というものではありませんか」
「ならぬ」
即座に太后宮の扇がピシャリと鳴った。
「東宮ともあろう者が、臣下の私邸へ軽々と足を運ぶなど宮中の法度が許さぬ。
第一、そなたが行けば病人も家族も気遣いで心身を削ることになる。
紅蓮の君に余計な負担をかけるでない」
正論の連打に、光るの宮の喉が詰まる。
「そなたの手前勝手な都合と感情で、紅蓮の君を傷つけるな。
……確かにあやつは強い。懐も広い。多少のことでは流されず、屈しない。
だが――どれほど堅い黒曜石も、叩き続ければいつかは割れるのだぞ」
光るの宮はハッと目を見開いた。
(……私が紅蓮の君を意識して避けていたこと、この人はとっくに知っている……)
自分自身は「これ以上無防備に近づかれたら触れてしまうから」と、必死に抑え込んでいるつもりだった。
しかし、紅蓮の君からしてみれば、それはただの「突然の冷遇」であり、「拒絶」でしかなかったのだ。
彼女がどれほど自分の「反抗期(※誤解)」を受け止めようと健気に振る舞おうと、
その優しさに甘えて一方的に距離を置き、今また手前勝手な独占欲で里帰りすら阻もうとしている。
『堅い黒曜石も、叩き続ければ割れる』
彼女の献身と善意を、自分の未熟な感情で削り取っていたのは、他ならぬ自分自身だったのではないか。
「……私の、負けです。上」
光るの宮は深く、深く頭を下げた。
その膝元で手がぎゅっと握りしめられた。
「……大人しく待つことにいたします。彼女が……何の憂いもなくご家族と過ごせるよう、私からは何も申し出しません」
「光るの宮、そなたの気持ちも分からぬでもない。
……紅蓮の君は、そなたにはあまりに無防備だからな。
(あれほど宮中での男の誘いは雅に流せるくせに……)」
太后宮はふう、と重いため息を吐いた。
「だが、紅蓮の君を振り回すことは許さん。
そなたも東宮なら、惚れた女の一人くらい、堂々と受け止める器量を持て」
「……は」
光るの宮は深く叩頭した。
太后宮の言葉は、厳しくも確かな重みを持って十四歳の少年の胸に深く突き刺さっていた。
『無防備』――まさにその通りだった。
彼女は光るの宮の心中に渦巻く激しい情熱など露知らず、「可愛い弟」「手のかかる子供」として、あまりにも無警戒に笑顔を向ける。
その一挙一動に一喜一憂し、理性を削られて余裕をなくしていたのは、自分自身の小ささゆえだ。
(惚れた女一人くらい、堂々と受け止める器量を持て……)
「お言葉、骨身に沁みました」
ゆっくりと顔を上げた光るの宮の瞳から、先ほどまでの焦燥と余裕のなさは完全に消え去っていた。
そこに宿るのは、凛とした気品と、揺るぎない覚悟。
「未熟さゆえに、彼女に余計な気遣いをさせ、上にもご心配をおかけいたしました。
……この一月、私はこの内裏で東宮としての務めを完璧に果たしてみせます」
「ほほう……?」
太后宮は扇の影で、かすかに目を細めた。
「彼女が安心して戻ってこられるよう、政務を滞りなく修め……そして帰ってきた時には、二度と子ども扱いなどさせぬ男として、堂々と彼女を迎えます」
そう言い切ると、光るの宮は朱雀帝と太后宮に向かって美しく礼を執り、すっと立ち上がった。
その背中には、先ほどまでの「恋に惑わされる少年」の面影はなく、帝位を継ぐ者としての風格が漂っている。
「まあ、まずは紅蓮の君に『男』と意識されることだな」
だが、生まれてすぐの赤ん坊の頃から知っている十四年の歳月が、それを簡単には許すまい。
(全てはそなた次第だ。光るの宮)
「だがな、紅蓮の君を東宮の権力で手篭めにでもしてみろ。
……制裁は免れんなぁ。
まあ、せいぜい励むことだ」
「……肝に銘じておきます」
太后宮の容赦ない釘刺しに、光るの宮は背筋を凍らせつつも、深く頭を下げた。
権力や立場に物を言わせた強行突破など、自身の美学に反するどころか、大切な紅蓮の君を真に傷つけるだけだ。
何より、そんな真似をすればこの絶対権力者の手によって、即座に東宮の座ごと叩き潰されることくらい、彼も重々承知している。
「ふん、分かっていればよい。
……さて、長居をしすぎたな。上、まいりましょう」
太后宮は満足そうに扇をパチンと閉じると、優雅に立ち上がった。
朱雀帝は「ひ、はい、母上……!」と慌ててその後に続きつつも、すれ違いざまに弟の肩をそっと叩き、
「……頑張れよ。命だけは大切にな……」
と、心からの(色々な意味で命が危ない弟への)同情を込めた視線を送っていった。
二人が去り、静まり返った御座。
光るの宮は一人その場に残され、懐に収めた紅葉の感触を確かめるように胸に手を当てた。
権力も使えず、強引な手も使えない。
試されているのは、ただ一人の「男」としての器量と覚悟。
(手篭めなど……するはずがないでしょう。
私が欲しいのは、彼女の身体だけではない……その心も、眼差しも、すべてなのだから)
十四年かけて築かれた「弟」「子供」という頑丈すぎるフィルター。
「幼い頃に膝の上で寝かしつけた思い出」――
それらは時として、どんな美女の防壁よりも頑丈で、どんな甘い言葉も「まあ可愛いわね」の一言で無力化してしまう恐ろしい壁だ。
「……十四年、か」
廊下に出た光るの宮は歩みを止め、かつて彼女に手渡された紅葉を見つめた。
彼女にとって自分は、今なお「慈しむべき子供」であり、「守ってやるべき可愛らしい弟」だ。
その優しさは自分に向けられた最大の寵愛であり、同時に「男」として踏み込むことを拒む絶対の壁。
「……壊してみせるさ」
光るの宮はぽつりと呟いた。
(……私を子供扱いしたことを、後悔させてみせる)
手にある紅葉が、くしゃりと握りつぶされた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
普段は(これでも)超絶優秀な東宮なのに、紅蓮の君が関わると一気にポンコツになります。
光るの宮の男としてのアプローチがいよいよ始まります……!
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次回は明日【18:00】に更新します!




