理想の男性像と重すぎるサブスク見舞い品
父の病の誤解が漸く解けた紅蓮の君は、
久しぶりに帰った実家で姉である撫子上との再会を喜んでいた。
「お姉ちゃん久しぶり!
産後以来、体調を崩しがちでなかなか屋敷からも出られないって聞いていたけど、会えてよかった」
「ありがとう、紅蓮。
最近漸く起き上がれるようになったのよ。
あなたも体調が悪くて里帰りしたって聞いていたけれど……」
「ちょっと仕事で無理しすぎちゃって……でももう元気よ」
ぽりぽりと、唐菓子をかじりながら喋る。
ふう、と少し呆れつつも、しょうがないなと姉は笑った。
「少し手違いがあったみたいで、父上の風邪が『重病』だって、帝が勘違いされていたらしいの」
「まあ、帝が!?
次々に高級な霊薬やら何やらが届くから、どうしたのかと思ったのよ……」
「……実は今回の私の里帰りも、元々は父上のお見舞いのためだったの。
帝が慌てていらっしゃるから、私もてっきり、父上の病は相当重いのかと……。」
「だからさっき転がり落ちるように駆け込んできたのね……」
「あはは……。でも、私自身も、五節舞が終わったら一気に疲れが出ちゃったの。
心配してくださった上様方が、一カ月の長期休暇を許してくださったのよ」
「そうだったの……。
そういえば紅蓮の君。あなた舞姫になったんでしょう?
五節の天女と呼ばれるくらい素晴らしかったとか……!」
「ありがとう、お姉ちゃん。
でも正直、緊張して意識が飛んでたっていうか、無我夢中だったからよく覚えてないのよね……」
「まあ、そうなの。でもそれがきっかけで、内裏から大量に恋文が来ているじゃない!
モテモテなんでしょう? 誰かいい人はいないの?」
「お姉ちゃんまで……」
「いいじゃない、私だって妹の恋話が聞きたいわ。それで?」
「うーん……全然いい人いないのよ。」
「あら、そうなの?」
「うん。みんな退屈なんでしょうね。
暇潰しで、チャラチャラ言い寄られてばっかりなんだもん。
男運無いのね私って。」
「そう……じゃあ、あなたはどんな人がいいの?」
「え? そうねえ……私は歳上が好みかしら」
「あら、そうなの?」
「うん。包容力が溢れた大人の男性がいいなあ」
「包容力溢れる大人の男性、ねぇ……」
撫子上はぽりぽりとふずくをかじる妹を眺めながら、思わずくすりと笑いを漏らした。
「例えばどんな方?
落ち着いていて、包み込むような優しさがあって、
決して感情的にならずに貴女を見てくれるような……そういうお方かしら?」
「そうそう! まさにそれよお姉ちゃん!」
紅蓮の君は嬉しそうにお茶を飲み干すと、満足そうに胸を張る。
「私のこの忙しい仕事を理解してくれて、どっしりと構えて温かく見守ってくれる……
そんな余裕のある大人の男性が理想なのよ。
だから内裏のチャラチャラした若手貴族なんて、全然響かなくて!」
「……なるほどねぇ」
撫子上はしみじみと妹の顔を見つめ、心の中で
(……まあ、見事なまでに正反対だこと……)と深く合掌した。
紅蓮の君が思い描く理想の男性像——「包容力溢れる落ち着いた大人」。
対して、内裏で彼女の帰りを待っている十四歳の東宮——「余裕ゼロ、理性の保ちすぎで限界寸前、重すぎる執着と情熱を滾らせた肉食男子」。
これほどまでに理想と現実に乖離があっていいのだろうか。
「でも紅蓮。そういう『余裕のある大人』って、貴女みたいな完璧主義で張り詰めがちな子を崩してくれないかもしれないわよ?」
「え……?」
「本当に貴女を欲しがる人はね、貴女の『理想』なんて無視して、なりふり構わず奪いに来るものよ。……年下だろうが、余裕がなかろうがね」
「やだなぁお姉ちゃん。
私にそんな情熱を向けてくる人なんて、内裏のどこを探してもいるわけないじゃない」
ないないと笑って手を振り、呑気にお菓子のおかわりに手を伸ばす紅蓮の君。
(まあ、そう思っていられるのも今のうちね……)
撫子上は呆れ半分、憐れみ半分の眼差しで、お菓子を口に放り込む妹を見つめた。
(可哀想に……本人が一番何も知らないのだから)
「でも紅蓮、もしもよ? もしもその『年下の甘えん坊さん』が、本気で貴女を掠め取りに来たらどうするの?」
「え? うーん……どうだろう……?」
紅蓮の君は首をかしげる。
(私、前世も含めて歳下との恋愛はしたことないからなあ……。
前世で四つ下の弟がいたからかしら)
もう会えない、令和の家族の面影が、ふっと胸によぎる。
「紅蓮の君? どうしたの?」
「あ……ううん、なんでもないわ、お姉ちゃん」
***
紅蓮の君はその晩、眩しい月光で目が覚めた。
(……眠れない……)
もう二度と会えない、令和の時代に出会った人々を思い出す。
「……天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも……」
(『空を見上げると月が見える。昔、故郷で見上げたあの月と同じなのだなあ』……)
古い写真が色褪せるように、徐々に面影が消えていく前世の家族。
もう、声を思い出そうとしても難しい。
けれど、確かにこの胸の中に、まだ彼らは生きている。
(私は、どうしてこの世界に来たのかしら……)
前世――自分が死んだ時の記憶はない。
思い出せないなら、むしろ思い出さない方がいいと思って、そのままにしておいた。
(思い出したら、もう前を向いて歩けなくなってしまうかもしれないから……)
息を深く吐き出し、膝を抱え直す。
なぜ自分はこの世界に生まれ変わり、平安の宮廷という華やかで、けれどどこか孤独な場所で生きているのか。
天の気まぐれなのか、それとも何か果たせなかった未練があったからなのか。
(前世の私は……誰かを遺して、突然いなくなってしまったのかしら)
思い出せない。でも間違いなく、天寿を迎えた記憶は無い。
いつものように、仕事で飛行機に乗って。
それで――。
(それで……どうしたのだっけ……?)
もう、思い出せない。
理由を探っても、いくら考えても、二度と戻れない過去。
前世の自分が、もし唐突に消えてしまったのだとしたら、残された人たちはどれほど泣き、どれほど自分を探しただろう。
想像するだけで胸の奥が押し潰されそうになる。
(……だから私は、この世界で生きていくと決めたんじゃない)
過去は変えられない。
だからこそ、今そばにいてくれる人達を、今この瞬間を、大切にしていこうと。
紅蓮の君はぎゅっと拳を握りしめ、溢れそうになる涙を堪えるように夜空を仰いだ。
(……早く寝なくちゃ)
溢れそうになった涙を指先でそっと拭うと、紅蓮の君はゆっくりと立ち上がった。
冷えた縁側から部屋へと戻り、温かい夜着に潜り込む。
胸の奥に小さく残る疼きを押し込めるように、ぎゅっと目を閉じた。
(……明日からは、お姉ちゃんと父上と一緒に思いっきり有給を満喫するんだから!
美味しいものを食べて、お肌のケアをして、英気を養って……)
内裏の激務も、前世の記憶も、今はすべて夜の闇の中に置いておけばいい。
時を巻き戻す術を、私は知らないのだから。
***
「紅蓮〜! 朝ですよ〜! 太宰府から届いた鮎の塩焼き、お庭で採れたお野菜の汁物ができあがったわよ〜!」
「んん……お姉ちゃん……あとゴフン……」
「(ゴフンって何……?)あらあら、内裏では『完璧な尚侍様』で通っているのに、実家だと途端にこれなんだから」
愛おしそうに笑う撫子上に起こされ、目をこすりながら起き上がる。
「よーし! せっかくのお休み一か月、全力で実家を満喫するぞー!」
「ふふ、頼もしいわね。
あ、そうそう、紅蓮。
今朝、内裏から『東宮の使者』と名乗る者が来て、大量の文と品物を置いていったわよ?」
「えっ? 若君から……!?」
汁ものをすすろうとしていた紅蓮の君の手が、ピタリと止まった。
「ええ。
『東宮様が、紅蓮の君が滞在中に退屈させぬよう、お届けするよう仰せつかりました』って……」
「退屈……? 私、(一応)病の療養と見舞いに来たっていうことになっているんだから、退屈も何も無いんじゃ……?」
不審に思いつつも、運ばれてきた大きな文箱と文を開いてみる。
『紅蓮の君へ。
体調はいかがですか。
そなたがいなくなってから、内裏の空気は火が消えたように感じられます。
療養の身であるそなたを煩わせたくはありませんが、手持ち無沙汰で寂しい思いをしてはいないかと、そればかりが案じられます。
退屈を紛らわせる足しになればと、希少な唐の書籍と、心身を癒やす沈香、そしてそなたの好きな甘味を届けさせます。
明日も、明後日も、そなたの元へ文と見舞い品を遣わします。
どうか、私のことを忘れないでください。
光る』
(……待って、日替わり……!? サブスクなの!?)
しかも添えられた品々は、どれも一国を買い取れそうなほどの最高級品ばかりである。
「まあ……『退屈させぬよう』だなんて、なんて手回しの良い……。
これ、毎日届くの?
愛されているわね、紅蓮!」
「……ねえお姉ちゃん。
これ、総額いくら……?」
撫子上は、笑顔のまま固まった。
静かに目を逸らした姉に倣い、その煌びやかな品々から紅蓮の君もそっと目を逸らした。
「……か、考えるのは今はやめよう、お姉ちゃん」
「そ、そうね。朝餉をいただきましょう、冷めちゃうわ」
鮎の塩焼きをもぐもぐ食べながら、巻き物レベルで長い光るの宮からの文を畳む。
「お返し考えなくては……。よ、予算足りるかしら……?」
「……ねえ、紅蓮。貴女、本当に何も気づいていないの?」
「え? 何が?」
「いいえ、何でもないわ……」
(……この一ヶ月の有休でしっかり英気を養っておきなさいね、紅蓮。)
撫子上は遠い目をしながら、実家で平和そうに汁ものをすする妹の姿を、生温かい目で見守るのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
どこまでも光るの宮の思いに気づかず、お返しの総額数を考えて青ざめる紅蓮の君。
これは、一応上司である光るの宮からの禄、つまりボーナスなので本来お返しはいらないんですが、
紅蓮の君は前世の社会人の常識がまだ抜けておらず「お返し考えなきゃ……」ってなってますw
「面白かった!」「次も気になる!」と思っていただけましたら、
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