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第33話 社会見学①

辺境の森の朝は、いつだって清々しい。


けれど、今日の私の頭の中は、その空気とは裏腹に、極めて世俗的で切実な「数字」に支配されていた。


「……ええと。今月はルウの食べる量が増えたでしょう? それからユキの成長に伴って、山羊乳もワンランク上の『銀月ブランド』に切り替えなきゃいけないし。ヒナは哺乳類じゃないからミルクじゃなくて魔獣肉だけど、あの子、結構なグルメで赤身のヒレしか受け付けないし……」


私は、150cmの身体を丸めて、保育園のテーブルで家計簿と睨めっこをしていた。


傍らには、今朝、お泊まり組のママたちが置いていった「お礼」の品々が、朝陽を浴びて無造作に転がっている。


ユキのママからは、触れるだけで指先が凍りつきそうな純度の『氷晶石』。

ヨルのママからは、闇をそのまま固めたような、深淵の輝きを放つ『夜闇の真珠』。


どれも王都のオークションにでも出せば、一国の城が建つほどの国宝級だ。

けれど、そんなものを不用意に市場へ流せば、この平和な辺境の地は大混乱に陥る。


……ダメダメ。


こんな「国を滅ぼしかねない輝き」は、いざという時の貯金。


換金するのは、ルウのママが庭の隅に見つけてきてくれた、この『翡翠の欠片』と、比較的一般的な『魔力水晶』だけ。


宝石は山ほどあるのに、使える現金が限られてるなんて。世の中、上手くいかないわね。


私は、自分用のエプロンを膝に乗せ、使い古した針と糸で「継ぎ当て」を始めた。


王都にいた頃なら、新しいものを買えば済んだ。けれど、今の私は自由な身。

この子たちの食費を削るくらいなら、自分の服なんて何度でも縫い直せばいい。


買い物リストを書き出す。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

●自分用:黒パン、羊乳。

●園児用:月光山羊乳、魔獣ヒレ肉。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「よし。パパッと買い出しに行ってきちゃいましょうか。……みんな、今日は『社会見学』の日よ! お利口さんにできるかな?」


「わふん!」「もきゅ!」「ぴぃ!」「みゃ!」


4つの毛玉ズが、一斉に尻尾を振って、あるいは翼を広げて私の足元に集まってくる。


さて、ここからが今日一番の難関、「パッキング」の時間――、


――ガッシャーン!!


「ちょっと、何してるのっ!!」


お出かけ、という言葉に過剰反応した園児たちは、今や完全に制御不能な暴走状態に陥っていた。


ユキは銀色の弾丸となってリビングを跳ね回り、ヒナはその背中を追いかけて空中戦を展開。


ルウは私のスカートの裾を噛んで「離さないもきゅ!」と抗議し、ヨルに至っては私の影の中に潜り込んで、足の裏をこちょこちょとくすぐってくる。


時計の針は無情にも進んでいく。


このままでは村の『見切り品セール』が終わってしまう。


……背に腹は代えられない。


私は、プロの保育士として『伝家の宝刀(オハコ)』を抜くことにした。


「…………ふぅ」


私は大きくため息をつき、わざとらしく、ストンと表情を消した。


そして、バタバタと騒ぐ4つの毛玉たちには目もくれず、窓のカーテンをシャッと閉め、部屋を薄暗くした。


「……いいわ。そんなに騒ぐなら、今日はお留守番ね」


私の声が、いつもより2オクターブほど低いことに気づいたのか、園児たちがピタリと動きを止めた。


「わ、わふ……?(どうしたの、ネネ?)」


「いいのよ、無理についてこなくて。私は一人で、美味しいパンとミルクを買いに行ってくるから。……でもね、一つだけ、お忠告させて。……この家、一人でいると、聞こえてくるのよ」


私はリビングの真ん中に座り込み、懐中電灯……の代わりに、手近な魔力灯を顎の下から照らした。私の顔が、不気味な陰影を帯びて浮かび上がる。


「……『ぽちゃん』、……『ぽちゃん』。……って」


毛玉ズは、ごくりと唾を呑んだ。


ユキの尻尾のプロペラ回転が止まり、ヒナが私の脚に身を寄せる。


「それはね、……お掃除をサボったり、先生の言うことを聞かなかったりする『悪い子』のところにだけやってくる……『影食いさん』の足音なの。影食いさんはね、天井の隅っこの、一番暗いところに住んでいるの」


私はゆっくりと、天井の四隅を指差した。


ヨルが、自分の専門分野であるはずの「影」に、怯えたようにビクッと反応した。


「影食いさんは、お留守番している子が一人になると、ゆっくり、ゆっくり降りてくるのよ。怖いなぁ、怖いなぁ、って怯えていると、気づかないうちに……尻尾の先から、ぱくり、ぱくり、って影を食べられていくの。……『ぽちゃん』という音が聞こえるたびに、あなたの身体は少しずつ透明になって、……最後には、誰からも見えなくなって、消えちゃうんだから」


よし、食いついた!


みんな、耳が完全に後ろに倒れてるわ。


ユキなんて、自分の尻尾が消えてないか必死に確認してる。


……ちょっと心が痛むな。


「ねえ、聞いて。今も、聞こえない? ……キッチンの奥の方で……ぽちゃん……ぽちゃん……って」


「――っ!?」「みゃっ!」「もきゅぅぅ!」「ぴぃぃぃ!」


実際には、ただの水道の蛇口の締まりが甘いだけなのだが、恐怖でパニック寸前の園児たちには、それが「世界の終焉を告げる死神の足音」に聞こえたらしい。


次の瞬間、毛玉ズは弾かれたように動き出した。


先ほどまでの「お出かけ楽しみ!」という興奮ではない。


「ここから連れ出して! 一人にしないで!」という、生存本能に直結した必死の形相だ。


「わふぅぅん!(ネネ、バッグ! バッグ開けて!)」


「もきゅもきゅ!(私、一番下でいいから! 隠れるから!)」


……ちょっと、怖らがせすぎたかな。申し訳ない。


私は、自分の背丈の半分以上もある、特注の巨大多機能リュックを床に広げた。


「いい? 順番に入れるわよ。まずはルウね」


「もきゅ」


ルウをふかふかのクッションと一緒に、バッグの一番下に収める。緩衝材と彼女のもふもふの身体が土台となり、安定感が増す。


ちなみに、バッグの下部にはルウ用の小窓完備。いつでも様子を確認できる。


「次に……ここが重要なんだけど。ユキ、あなたは左側。ヒナ、あなたは右側よ。……ヨル! 悪いけど、間に割り込んで、影で『断熱材』になってくれる?」


ユキの冷気とヒナの熱気が直接ぶつかれば、バッグの中は結露と水蒸気で大変なことになる。


そこにヨルが影として入り込むことで、温度の干渉を防ぐという、世界の理を贅沢に使った「魔法のパッキング」だ。


「……よし。そして一番上には、外を監視するヨルの頭……あ、出すぎ。もうちょっと引っ込んで」


小さな私が巨大なリュックを背負うと、まるで家を背負った亀のようになった。


一歩踏み出すたびに、中から「もにゅっ」とか「わふぅ」とか、なんとも言えない柔らかい振動が背中に伝わってくる。


外に出ると、ちょうど「理としてのお仕事」から戻ってきたママたちが、森の上空を旋回していた。


彼女たちは、巨大な荷物を背負ってヨロヨロと歩き出す私を見て、心配そうに高度を下げてくる。


「大丈夫ですよ、お母さんたち! 今日はあの子たちとのお勉強を兼ねた、大事な『社会見学』なんです! 仕事中に親を頼るなんて、プロの保育士として失格ですから。……夕方には戻りますから、お仕事頑張ってくださいね!」


私が精一杯の笑顔で手を振るも、バランスを崩して倒れそうになる私をみて、ママたちは「……本当に大丈夫かしら?」というような、複雑な眼差しを送りつつも、信頼を込めて再び空へと舞い上がっていった。


ふぅ、気合を入れなきゃ。


この荷物は正直言って修行に近い重さだけど。


これも全部、あの子たちが美味しいミルクとお肉を食べて、幸せそうに寝る顔を見るためよ!


私は足に力を込め、バッグの中で時折顔を出すヨルの頭を「引っ込んでなさい!」と優しく押し込みながら、辺境の村へと続く一本道をよちよちと歩き出した。




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