第24話 薄幸美人なヒナママ
……重い。
意識がまどろみの淵から浮上し始めた時、最初に感じたのは、胸元と腹部にかかる圧倒的な「質量」だった。
そして、顔のすぐ近くに、複数の、それでいて異様に熱心な「気配」がある。
薄目を開けたい誘惑に駆られたが、私はあえて寝たふりを続けることにした。
「……くん、くん」
「……にゃ」
「……ぴっ、ぴ」
鼻先をくすぐる、冷たい銀の毛並みの感触。
お腹の上で丸まっている、不定形な闇の柔らかさ。
そして、枕元でパチパチと小さな火花を散らしながら、私の耳を甘噛みしてくる熱いもふもふ。
ユキ、ヨル、そして新入りのヒナ。
彼女たちが私の顔を至近距離で囲み、何やら深刻な相談をしているような気配だ。
ユキが「わふ……(まだ起きないのかしら)」と鼻を鳴らせば、
ヨルが「にゃう(昨日は疲れていたようね、もう少し待ってあげましょう)」と宥めるような鳴き声を返す。
ヒナは「ぴぃっ!(お腹空いた!)」と主張したそうに羽を動かすが、すぐにユキとヨルに「しーっ!」と制されている。
……なんて可愛いの。ずっとこうしていたいけれど。
私は、彼女らの気遣いに感謝しながら、ふと枕元の時計に目をやった。
視界の端に映った針の角度。
脳内の正確な時計が、一瞬で現在時刻を弾き出す。
――嘘でしょ!? 1時間半も過ぎてる!?
完全な寝坊だ。
昨夜、3つの「理」に囲まれて、あまりにも心地よい熱量に包まれていたのが仇となった。
私はガバリと跳ね起きた。
「みんな、おはよう! ごめんなさい、大寝坊だわ!」
「わふぅっ!?」「にゃあぁ!!」「ぴぃーっ!!」
驚いて四方に飛び散る3つの園児たち。
私はちまっこい身体をフル稼働させ、乱れた毛布を整え、素早く身支度を整える。
エプロンの紐をきゅっと結び直したところで、窓から差し込む光が、急に「真昼のような白熱」を帯びた。
庭の向こうから、圧倒的な、けれどどこか儚く、美しい熱波が押し寄せてくる。
空からゆっくりと、一枚の燃える羽が舞い落ちるようにして、それは現れた。
――不死鳥。
昨日のヒナが「もふもふの火種」だとするならば、そこにいるのは「宇宙を焦がす一輪の花」だった。
人間に例えるなら、間違いなく「幸薄系美人」な母親だろう。
スラリと伸びた、しなやかな真紅の尾羽。憂いを帯びた金色の瞳。
その存在感は、見る者の魂を浄化するほどに神々しいが、どこか儚げで、放っておいたらそのまま霧散してしまいそうな繊細さを纏っている。
ユキの母親が、全てを凍てつかせる「クール系美人」だとするならば。
ヨルの母親が、影の中に潜む「おしとやかな貴婦人」だとするならば。
この不死鳥のママは、寂寥の夜明けを司る「孤独な王女」のような趣があった。
「ぴぃぃーっ!!」
ヒナが、真っ先に窓辺へ駆け寄り、母親に向かって元気いっぱいに羽ばたいた。
母親は、我が子の元気な姿を見て、ふっと緊張を解いたように見えた。
彼女の周囲でパチパチと鳴っていた激しい炎が、瞬時に穏やかな「陽だまり」のような温もりに変わる。
不死鳥のママは、開け放たれた窓越しに私を見つめた。
言葉はなくとも、伝わってくる。
昨日の救護、そして名前を授けてくれたことへの、深い感謝。
「……いいえ、お気になさらず。ヒナちゃん、とっても良い子ですね。おかげで昨夜は、私もぐっすり眠れすぎてしまいました」
私が苦笑しながら語りかけると、不死鳥のママは、その長い首をしなやかに曲げて、私に深々と一礼した。
その時だ。
「トーン、トーン、トーン!」と、地響きを伴う陽気な足音が聞こえてきた。
ルウを背に乗せた、あの巨大な母兎の登場だ。
「もきゅーっ!!」
ルウは、着地するなりヒナの元へと転がっていき、新しく咲いた庭の花々をプレゼントするように口に咥えて差し出す。
そして、それを見守る母兎――「優しさの権化」とも言うべき聖獣が、真っ直ぐに不死鳥のママへと歩み寄った。
一方は、山のような巨体を持つ深緑の象徴。
一方は、天を焦がす太陽の象徴。
本来なら、出会った瞬間に激しい縄張り争いが始まってもおかしくない「理」同士の接触だ。
だが、母兎は違った。
彼女は、初対面の不死鳥ママの鼻先に、自分のふわふわな鼻をグイグイと押し付けたのだ。
『あら、貴方。新しく来たママさん? 綺麗な羽ね! 近くで見てもいいかしら?』
そんな台詞が完璧に聞こえてきそうな、圧倒的なコミュ力。
「幸薄系」の不死鳥ママは、母兎の太陽のような明るさに気圧されたのか、少し戸惑いながらも、次第にその憂いを含んだ瞳を和らげていった。
数分も経たないうちに、2つの巨大な母親たちは、まるで長年の友人のように寄り添い、何やら「井戸端会議」を始めている。
……なるほどね。
ルウの、あの物怖じしない性格は、完全にお母さん譲りだったわけだ。
私は、窓辺で繰り広げられる「幻獣たちのママ友交流」を眺めながら、思わず頬を緩めた。
クールな銀狼の母、淑やかな黒猫の母。そして今回の、優しさ溢れる母兎と、儚げな不死鳥。
個性の強い母親たちだが、彼女たちを結びつけているのは、共通の想い――「自分の子供を、このちっちゃいの保育士に託したい」という、一点の曇りもない信頼だった。
「さあ、お母さんたちへの挨拶が終わったら、まずは朝の挨拶よ。……みんな、整列!」
私の号令に、4色の赤ん坊たちが、ぱたぱたと私の足元に集まってくる。
銀嶺狼、妖精猫、葉耳兎、不死鳥。
世界の『理』を司る幻獣の頂点たち。
絶滅危惧種であり、ワンオペで世界を駆け回る母親たちの愛娘。
お泊まり組のユキとヨル。それから、通園組のルウとヒナ。
銀色の冬、漆黒の夜、新緑の森、そして紅蓮の太陽。
寝坊の遅れを取り戻すため、私は気持ちを一段階引き上げる。
今日という一日が、この保育園の歴史に刻まれる、最も賑やかで熱い一日の始まりだった。




