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第11話 嫉妬するユキ

―――――まえがき―――――

今作はカクヨムの方で完結127話ほど先行公開しております。

小説家になろう様のプロフィールにリンクがあるので、もし気になる方がいらっしゃればチェックしてみてください。

――――――――――――――

私の胸元で、ルウの鼓動が確かなリズムを刻み始めた。


人肌の温もりに溶かされ、滋養のゼリーで満たされたその身体からは、先ほどまでの死の気配が嘘のように消え去っている。


代わりに立ち上ってきたのは、雨上がりの森を思わせる、清涼で甘い若葉の香りだった。


「……んっ、もう。くすぐったいわよ、ルウ」


元気を取り戻したルウは、私のシャツの中で「もぞもぞ」と動き回り、その小さな鼻先を私の鎖骨に押し当てては、ふんふんと匂いを嗅いでいる。


どうやら、危機の淵から救い出してくれた「この温もり」を、生存に必要な安全地帯だと認識したらしい。


私はゆっくりとシャツのボタンを緩め、中からルウを両手で掬い出した。


先ほどまでは萎びた枯れ葉のようだった耳が、今は私の手のひらの上で、ピンと力強く立っている。


その色は、深い森の奥底に差し込む木漏れ日のような、眩いばかりの緑。


ルウは私の手のひらの上で器用に立ち上がると、長い耳を「ぱたぱた」と羽ばたかせるように動かし、初めてその大きな瞳で私の顔を真っ直ぐに見つめた。


「もきゅっ……!」


短く、澄んだ声。

それは、言葉を持たない彼女なりの、精一杯の感謝の挨拶だった。


その時。

足元から、それまで以上に重苦しい「視線」を感じた。


「わふっ……ぐぅぅぅぅ……」


ユキだった。


彼女は前足を交互に踏み鳴らし、銀色の尻尾を激しく左右に振り回している。

その瞳には、今にも涙が零れ落ちそうなほどの「絶望」と「嫉妬」が渦巻いていた。


無理もない。


彼女にとって、私の懐は世界で唯一の、自分だけの聖域だったのだ。そこに見知らぬ新入りが入り込み、あまつさえ私から涙を流すほどの愛を注がれている。


赤ん坊であるユキにとって、それは世界の終わりにも等しい大事件なのだろう。


「ユキ。ごめんね、寂しかったわよね」


私は床に座り込み、空いている方の手でユキの首筋を優しく撫でた。


ユキは最初、ぷいっと顔を背けて強がってみせたが、私の指が彼女の「お気に入りの場所」を正確に捉えると、我慢しきれずに「くぅぅん……」と弱々しく鳴いて、私の膝に頭を押し付けてきた。


「ユキも、この子を助けるのを手伝ってくれたじゃない。あなたの冷気がなかったら、この子は死んでいたかもしれないのよ。……ユキは、立派な『お姉さん』をしてくれたの」


お姉さん。


その言葉が届いたのか、ユキは耳をぴくりと動かし、私の手の中にいるルウをじっと見つめた。


ルウもまた、自分とは全く異なる「銀色の獣」に興味を示したらしい。

ルウは私の掌から、おそるおそるユキの鼻先へと身を乗り出した。


銀嶺狼の幼子と、葉耳兎の幼子。


前世なら、捕食者と被食者。今世では、交わることのない別々の理に生きる存在。

けれど、私の膝の上という「聖域」において、その境界は溶けてなくなっていた。


ルウが、勇気を出してユキの鼻先に、自分の小さな「葉の耳」を押し当てた。


――つん。


それは、言葉を介さない彼らなりの、名刺交換のようなものだった。


ユキは一瞬、目を見開いて硬直したが、ルウから漂う「自分を助けてくれた私」と同じ匂いを感じ取ったのだろう。


ユキは鼻を「ふんっ」と鳴らすと、仕返しとばかりに、ルウの頭を大きな舌でペロリと一舐めした。


「もきゅーっ!?」


ルウが驚いてひっくり返り、私の掌の中でジタバタと足を動かす。


それを見て、ユキは「どうだ、わたしのほうが強いんだぞ」と言わんばかりに、得意げに胸を張った。


その姿は、嫉妬を乗り越え、自分より小さく弱い存在を「認めた」騎士のようでもあった。


「ふふっ……。よかった。これなら、明日からも仲良くできそうね」


私は二匹を、自分の短い脚の間に並べて座らせた。

右には銀色に輝く狼。左には緑の耳を揺らす兎。


私の小さな保育園が、本格的に動き出した瞬間だった。


やがて、窓の外に夜の帳が降り始めた。


森の木々が再びざわめき、昼間よりも一層深い、圧倒的な「生命の圧力」が近づいてくる。


――来た。お迎えの時間だ。


庭に現れた親兎は、窓から漏れる明かりの中に、静かにその巨躯を浮かび上がらせた。


彼女は昼間の焦燥とは打って変わり、凪いだ海のような瞳で、私の傍で元気に跳ね回るルウを見つめていた。


私はルウを抱き上げ、開け放った窓の縁に置いた。


ルウは親兎の姿を見つけると、「もきゅっ! もきゅっ!」と嬉しそうに声を上げ、何度も何度も私を振り返りながら、親兎の鼻先へと飛び移った。


親兎は、ルウを愛おしそうに前足で包み込むと、私に向かって、静かにその首を垂れた。


言葉はない。


けれど、夜風に乗って届いたのは、森全体の感謝が凝縮されたような、清らかな風。


彼女はそのまま、ルウを自分の背中の毛の中に隠すようにして、音もなく森の深淵へと消えていった。


彼女が去った後の地面には、お礼のつもりなのか、宝石のように輝く「森の蜜果実」が、一房だけ残されていた。


「……行っちゃったわね」


私は静かになった庭を見つめ、窓を閉めた。


振り返ると、そこにはルウがいなくなった後の空間を寂しそうに見つめるユキがいた。


彼女はルウの匂いが残る場所を「くんくん」と嗅いでから、トボトボと私の元へ歩み寄ってきた。


「寂しい? でも、あの子は明日もまた来るわよ。ここは保育園なんだから」


私はユキを抱き上げ、寝室へと向かった。

ランプの灯を落とし、月の光が差し込む机に向かう。


手元には、親狼と交換している石の板、そして今日から新しく用意した、ルウのための「連絡帳」となる羊皮紙。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◼️本日の記録:ルウちゃん


●食事:滋養ゼリーを完食。鼻の動き、120点!


●健康状態:重度の脱水および魔力枯渇を確認。ケアにより耳の葉が完全復活。


●特記事項:ユキちゃんにペロリとされて、少し驚いていました。

      明日からは、もう少しお友達として距離を縮められそうです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


私は炭の筆を置き、大きく背伸びをした。

私の身体は、今日一日の緊張と労働で、もう限界に近いほど疲れ切っている。


けれど、心地よかった。


王立施設の連中は、今頃「なぜ幻獣たちが我々の魔法を拒むのか」と、古臭い魔導書をひっくり返して喚いているだろう。


けれど、答えは簡単だ。


彼女らが必要としているのは、魔法の強制力ではなく、ただの「体温」と、一粒のゼリーを食べるのを待ってくれる「時間」なのだから。


「さあ、ユキ。私たちも寝ましょう。明日は、ルウと一緒に追いかけっこをしなきゃいけないんだから」


私はユキを腕の中に抱き込み、布団に潜り込んだ。

ユキは私の首筋に鼻先を埋め、「きゅう……」と満足げな吐息を漏らす。


明日もまた、この小さな手が、世界の理(幻獣)たちの命を繋ぎ止める。


辺境の夜は、どこまでも深く、そして温かかった。




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