無情な時
「……この時の様子については、祖父も幼いながらに少し覚えているそうだ。空襲後の曾祖父さんは台所に向かって、『熱いお茶を出してくれ』とか、『今日のお昼はなんだ?』とか言っては、ハッとなって祖父に謝っていたそうだから」
「いよいよ、シンプルにおかしくなった人に見えるけど」
「一般的価値観で言えば、その理解でも間違いではない。傍目には、理屈っぽい狂人だからな」
うんうんと頷きながら、姉さんは曾祖父の怖い話を紹介し続ける。
この話を信じ切れない俺よりも、死者と会話する曾祖父の方が……姉さんとしては、感覚的に同調しやすい様子だった。
「しかし、流石にずっとそんな感じで居るのも不味いと思ったんだろう。曾祖父さんは何とか、『黄泉騙り』を抑えようと努力することになった。しかし、これは困難な道だ。何せ、無意識にやっていることだからな。血液の流れを意識的にコントロール出来る人間が居ないように、曾祖父さんの『黄泉騙り』もまた、制御不能だった」
「葉兄ちゃんたちが前に、『知りたくないことまで勘で分かってしまうことがある、自分でも止められない』って愚痴ってたけど……それと同じことが起きたってことか?」
「その通り。それでも、『黄泉騙り』を止めたいなら……普通に考えれば、引っ越しをするのが一番だ。屋内の痕跡を見なければ、推理のしようがないからな。ただ、これはすぐには難しかった」
まあ、それはそうだ。
歴史の知識になるが、戦時中の東京は引っ越し一つでも厳しく制限されていたらしい。
国策での移動や疎開ならともかく、家がしっかり焼け残っている曾祖父さんの引っ越しは、当時の制度的に認められなかったのだろう。
「次に良いのが、無意識の推理を加速させてしまう痕跡を消し去ることだが、これも困難だった。物資不足の当時に、家具や家の構造をぶっ壊してしまえば、後の生活に響く」
「廊下の踏み跡が気になるにしても、廊下の板を剥がす訳にもいかないだろうしな……」
「だから、彼は更に妥協した案を採用することにした。冊子に書いてあったように、余った部屋を近隣住民に貸し出したんだ。別人がその家に住めば、痕跡は上書きされるからな」
「だから曾祖父さんの家には、多数の焼け出された住人が住んでいた……?」
逸話の中だと、「空襲後も人を救い続けた偉人」みたいなノリで書かれていたが、どうやらもう少し違う理由で貸し出していたらしい。
まさか住人たちも、そんな理由で滞在が許されたとは思っていなかっただろう。
「しかし、これも上手く行かなかったようだな。居候している住人たちは遠慮がちで、家を汚さないように立ち回ったんだろう。だから痕跡もそうそう上書きされず、曾祖父さんは妻の姿を幻視し続けた」
「それで……妻の痕跡が残る家を丸ごとぶっ壊さない限り、この現象は止まらないと思ったって流れか?曾祖父さんは、妻を踏み潰した群衆に復讐はしなかった。ただ、妻の姿を強制的に思い起こさせる我が家は残せなかった」
「その通り。家が爆破されたら痕跡は消えるし、流石に引っ越しは認められると踏んでいたようだ」
「まあ実際、戦後は引っ越しているみたいだけど……」
「引っ越した後は、もう探偵事務所は開かなかった。かつての二の舞になることを恐れたんだろう。だからこそ、引っ越した後は普通の農家として振る舞っていたんだ。内心どうだったかは知らないがな」
「……なるほど」
全体像を聞いて、俺は何とも言えない感覚に包まれる。
しかし言葉には出来ず、俺は首の後ろをバリボリ掻いた。
これが実話なら、曾祖父さんは妻との思い出が大事過ぎたために、逆にその思い出を爆破せざるを得なかったということになる。
スケールが凄すぎて、俺としては何が何やら……。
こんなに納得感のないホワイダニットも珍しい。
仮に動機を信じたにしても、その後の行動が傍迷惑過ぎるので、色々と呑み込みにくいというのもある。
話の中ではサラッと流されていたが、曾祖父のせいでご近所さんの家は焼失したのだ。
いくら早期の消火に専念したとは言え、曾祖父のとばっちりで家を燃やされた隣人たちこそ、いい面の皮である……彼らには真相を打ち明けてもいないようだが、少しは悪いと思わなかったのだろうか。
ついでに言うと、彼の息子に当たる俺の祖父も、かなり巻き込まれている。
大空襲があったのは肌寒い時期だが、曾祖父と祖父が望鬼市に引っ越したのは戦後になってから。
つまり家を爆破してから戦争が終わるまでの間、彼らは宿無し状態だったことになる。
バラックなどを建てて何とか暮らしていたのだろうが、当然苦しい暮らしだったことだろう。
まだ幼かった祖父などは、最悪それで病気になってしまう恐れだってあった。
子どもの養育ということを考えれば、雨風を凌げる家が残っていた方が良いに決まっている。
それでも、曾祖父は自宅を爆破した。
近隣住民の家を巻き添えで燃やそうが、祖父が割を食おうが、お構いなしに。
推理力が暴走して、妻の過去の姿がリフレインし続けるのが、それ程辛かったということでもあるが……。
頑張って綺麗な言い方をすれば、「他の何よりも妻のことが大事だった男に起きた、愛故の悲劇」みたいなことになる。
しかし普通に表現すれば、「『妻の姿が見える』などと妄言を吐き、周囲と我が子の迷惑も考えずに家を数軒吹っ飛ばした挙げ句、謝りもせずに引っ越して逃げた狂人の騒動」でしかない。
そんな人間が空襲時の英雄として証言集に登場しているのだから、これはもう悪いジョークだった。
昔、俺は先祖が村八分に参加していないか不安に思っていたが、もっと酷い話が出てきている。
そういう事情と、未だに信じ切れない「黄泉騙り」の登場もあって、何となくモヤモヤしているのである。
「……凄い顔になっているな、玲。そんな不快だったか、この推理は」
「不快と言うか……俺の先祖って本当にそんな人物なのかよって思って。空襲時の英雄だって聞かされた時も驚いたけど、今は別の意味で驚いてるぞ。いやまあ、まだ『黄泉騙り』云々の動機を完全に信じた訳でもないけど……」
「ハハハ……まあ、今はそんなところか」
俺の反応を予測していたように、姉さんは軽く笑った。
姉さんとしても、俺がすんなりとこの話を咀嚼出来るとは思っていなかったようだ。
「しかし、私は嘘を言っていない。曾祖父さんは確かに戦後にこう打ち明けたし、祖父さんもしっかり記憶している……何なら今から電話して、祖父さんに話を聞いても良いぞ」
「それは迷惑だからしないけど……」
うーん、と腕を組んで唸る。
姉さんにいきなり寺に連れられたと思ったら、微妙な気分になる話ばかり聞かされてしまった。
というか、そもそも────。
「姉さんがアメリカに行く前にどうしてもしたかった話って、本当にこれなのか?曾祖父さんがとんでもないことをしでかしたのは信じるにしても……俺はこの話から、何を学べばいいんだよ」
言っては悪いが、現代の俺からすればかなり縁遠い話である。
曾祖父が探偵をやっていたことすら、ついさっき知ったくらいだ。
そんな人物が家を爆破してましたと聞かされても──動機と所業にはモヤモヤしているが──基本的には、「はあ、そうですか」としか言いようがない。
曾祖父による爆破の被害者だったご近所さんだって、既にこの世を去っているだろう。
真実を知ったところで、何かやれることがある訳ではないのだ。
何なら姉さん自身、これらの逸話が「空襲秘録」から削除されたことについて、住職に異議は唱えていなかった。
それはつまり、真実のプロデュースに拘る姉さんすら、これらを開示する必要は無いと認識していたことを意味する。
骨の髄まで名探偵な姉さんでも、ずっと放置していた真実……それを、何故こんなタイミングで明かしたのか。
「何かこう、全体的にどうでも良い真実というか……アメリカ出発前の忙しい時期に語らないといけないことでもなかった気がするんだが」
「そうか?私はそうは思わないがな……だって考えてみろ、玲。曾祖父が死んだ妻の姿を見るようになったのは、『黄泉騙り』を起こしたからだ。しかし、死んだ妻の姿を見続ける日々を辛く思ったのは、何故だと思う?」
「何故って……それはまあ、奥さんのことが好きだったからだと思うけど」
爆破はともかく、ここはギリギリ理解出来る範疇だったので、さして考えずに答える。
実際、本当に「家の中の痕跡を見つける度に、リアルな死んだ妻の姿を幻視する」なんて現象が起きたら、それはかなり辛いだろう。
毎日毎日、死者が出てくるVR映像を強制的に見させられるのだから。
「俺が言うのも何だけど、そこはおかしな話でもないだろう。触れることも喋ることも出来ない、だけど姿形は確かな死者の幻……それを見続けるなんて、一種の拷問だ」
「一般的な感覚で言えば、そうだろうな。逆に言えば曾祖父さんは、その辺りの感覚をオフに出来ないタイプだったんだ。痕跡だけで妻の姿を組み立てる推理力を持ちながら、情を捨てきれなかった。そんなものを後生大事に抱えているから、こんなことが起きたんだ……そうは思わないか?」
「……そこに話を繋げるのか?」
サラッと非人情なことを言う姉さんを前に、俺はかなり引く。
しかし同時に、姉さんが何を言いたいかも理解していた。
ここで「情」なんてワードが出てきた以上……また、あの話がしたいのだろう。
「……詰まるところ、俺が自分探しの旅を終えた時のことを蒸し返したいのか。本当なら姉さんは、俺をいざって時には情を捨てられる、完璧な名探偵にしたかったから」
あの時、姉さんが「曾祖父さんの二の舞にならないと良いが」なんて言っていたことを思い出す。
ようやっと、彼女が何をしたいのか分かって来た。
自分がアメリカに行く前に、実例を見せたかったのだ。
「姉さんの理屈で言えば、曾祖父さんがこんなことをやらかしたのは、推理力が高いのに情が残っていたから……中途半端な名探偵は、精神のバランスを欠いてこんな事件すら起こしてしまう。そう言いたいのか?」
「まあ、概ねそうだ。実際、彼は中途半端だろう?妻が踏み潰されている最中は、理屈重視で助けずに見殺しにした。しかし妻が死んだ後は、幻を見て暴走するくらいに感情的になってる。理屈にも感情にも振り切っていないんだ。私が曾祖父さんの立場だったなら、こういう感じにはならない気がするな」
「仮に大切な人の幻覚を見ても……姉さんなら、無視出来るか」
「ああ。例えば父さんや母さんが、或いは玲が、はたまた氷川みたいな友人が、理不尽な形で失われたとしても……恐らく私は、こういうことはしない。感情の回路をオフにして、適当に立ち回るだろう」
──確かに……何か物凄く想像出来るな、それ。
普通の人がこんなことを言っていたら、単なる強がりや粋がりに聞こえたかもしれない。
しかし姉さんの場合、本当にそうなる気がした。
この人は多分、明日俺が殺人犯に殺されても、とても冷静に行動するだろう。
自前の推理力で犯人の検挙くらいはしてくれるかもしれないが、きっと涙は零さない……涙を流したところで死者が生き返るはずもなく、時間の無駄だから。
そういう判断をする人なのである。
だから姉さんからすると、曾祖父は愚か者に見えているのかもしれない。
純粋にやったことの被害にドン引きしている俺とは違って、「情に引きずられて、合理的じゃない判断をしたこと」を不快に思っているのだ。
姉さんからすれば、名探偵はもっと情を捨てた存在が理想なのだろう……それこそ、空襲後に妻の幻覚を見ても、一切動揺しないくらいに。
──しかし、あの逸話を聞いた上での反応が「妻の幻覚程度で悲しむべきではなかった」になる辺り、姉さんって本当に振り切ってるな……。
改めて、そんなことを思う。
この人は自分にも他人にも厳しいが、殊に探偵相手には滅茶苦茶な覚悟を求める。
分かっていたつもりだが、分かっていなかったのかもしれない。
「姉さんとしては……やっぱり、情を捨てないって言った俺の判断は不満なのか?」
「いや、そこまでじゃない。あの時、私の推理が外れてから、お前のスタンスに関して何か言うつもりはない……だからただ、前例を一つ見せておきたかっただけだ。中途半端を極めると決めたのなら、それ故に生じるデメリットも知っておいた方が良いからな。中途半端な我らが先祖について、教えられるだけ教えたかった」
「でも、こんな突飛な話を教えられても……そんなすぐに結論なんて出せないけど」
本気で困惑したので、俺は意図的に困り顔をする。
一応は姉さんの話は真実であるとしてここまでの議論を進めてきたが、俺はまだ「黄泉騙り」関連のことだって完全には信じ切れていないのだ。
こんな仮定に仮定を重ねた理屈で、「情を抱えたまま推理を続けるとこうなるぞ~」なんて言われても、特に言えることがない。
「まあ、お前の困惑も分かる。今日のところはとにかく、曾祖父さんがそう話していたってことだけを覚えておいて欲しい……『黄泉騙り』については、焦らなくてもすぐに理解することになるだろうからな」
分かったようなことを言いながら、姉さんはそこで話を打ち切る。
そしてこちらの反応を待たないまま、一気に車を発進させた。
おおうっ、と急発進で体勢を崩しながら、俺たちはとりあえず家に戻るのだった。




