~緩やかな時~18.
海の世界しか知らない。
マリエッタは、生まれて初めて陸上の世界を見ていた。
海に程近い港町。水揚げされたたくさんの魚が並ぶ大きな市場。犇めき合う人々。
けれどこれがそうなのだと、彼女は知ってもいた。ヴァリーに小さな頃から幾度も聞いた、未知の世界そのものだった。
意図していないのに、視界が変わっていく。街の中心から少し離れた丘の上の屋敷。そこに、小さな頃のウィルがいた。
ーーでも、とても辛そうで哀しそうーー
寝台の傍らで、そこに横たわる美しい女性の手を、一生懸命握っている。
マリエッタにも分かるほど、今にも消えていきそうな生命の炎だった。
ウィルによく似たその女性は、そうっと囁いた。
「ごめんね、ウィル……。私が死んだら貴方は連れ戻されてしまう……。守ってあげられなくて、……ごめんね」
一筋の涙をこぼす。
「母さま……、逝かないで……」
バシュッ
突然の光に、場面が切り替わる。
船の上はまるで戦場のようだった。
あちらこちらで火の手が上がり、傷を負って倒れている人が一人や二人ではない。
ドオォン!!
平和な海の底では聞いたこともないような爆音が響き、船体の手すりが欠ける。
一体何が起こっているのか。
ーーウィルはどこ……?
マリエッタの意識が、求める小さな影に引き寄せられる。
「坊主、こっちに……!」
船員に手を引かれ、被害の少ない方に連れて行かれている。
「畜生!一体全体なんだってんだ!!」
大海を渡っていくわけではない、ろくな攻撃の術を持たない貨物船の船員達は、状況を未だ把握できなかった。
「海賊なんぞに狙われるようなもん、何にも積んじゃいねぇぞ!」
「僕のせいだ……」
ポツリとウィルが一人ごちる。その声は轟くような人々の喚き声にかき消された。
「ボート下ろせっ!早くしろ!!」
避難用のボートを、皆が手分けして下ろす中、傷ついた船体がぐらりと揺れた。
一瞬の後、少年の体は宙に浮き、欠けた手すりをすり抜けて真っ暗な波間に消える。
「坊主ーっ!!」
バシャッ
またも場面が替わる。
何だかやけに広く、明るい建物の中に、ウィルは立っていた。
「おおっ……。よくぞご無事で……!」
あごに白い髭をたくわえた老人が、少しやつれたウィルにしがみつき、涙を流している。
小さな少年は、マリエッタの見覚えがある風体だった。
ーーこれは、私が送った、あの日?
髪や服は乾いて塩を吹き、薄汚れているのに、高貴な立ち居振舞いは隠しようがない。
優雅な仕草で、視線の先にいる人物に礼をとった。
「ただ今戻りました。国王陛下」
ーー国王?
マリエッタがウィルから目を移すと、玉座に黙して座す大柄な男性がいた。
ゆっくりと、閉じた双眸を開く。そこにはウィルと同じ、緑がかった青い瞳があった。
跪く少年を見据えながら、国王は立ち上がった。
「ーよく戻った、我が息子よ」
ーー息子……。マリエッタの思考が止まる。だがまだ終わりではなかった。
「たった今慣例に従い、第一王子であるウィルフリート=アルス=ガーレイ=ファンドバレスを、王位継承者とする」
沸き起こる歓声、鳴り止まぬ拍手。立ちあがりそれに応える少年。
ーー国王陛下の、息子。王位継承者……。
彼女はようやく理解した。襲撃を受けた船に乗っていたウィル。船から落ちた理由を語りたがらなかったワケも。
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