この手は君に届くはずだから
ついに始まりの場所、霊魂の間に辿り着いたレーヴェたち。
トワの願いを叶えるため、そしてこの地に再び悲劇が訪れないように、レーヴェは覚悟を決めます。
数階分、降りただろうか。
目の前には突然開けた空間が広がった。数メートルごとにしか火の明かりがないせいで正確な大きさは分からない。石造りの壁は、この空間が随分昔から存在していることを示しているようだった。そしてその先にある大きな扉――トワの部屋にある扉と同じくらいの大きさがある。
オリバーさんの手記から考えて、場所は合っている。これが「霊魂の間」だ。
大切な人を守るために願った二人の、始まりの場所。
「ここだ、俺が見つけた場所は。何だかクリスマスの時よりも、嫌な気配が増してる感じがするけどな」
「えぇ。これくらい顕著だと私にも分かりますわ。この扉の向こうには、今も苦しむ魂がいるのですね」
「苦しむ魂、か」
二人は僕より一歩引いてこの扉を見つめていたけれど、僕には恐怖といったものは感じられなかった。
あぁ、そうか。僕も同じなんだ。僕も、彷徨える魂だから。
「この扉の先に、死者の魂がいるんですのね」
危ないかもしれないから、と止めるよりも先に、ベアトリーチェは扉に手を掛けていた。そのまま押したり引いたりを繰り返すけれど、ギシリと音を立てる様子もない。
「だ、大丈夫?」
「何ともありませんわよ。――おそらく何ともないからこそ、放って置くしかなかったのでしょうけれど」
駄目もとでノエルが代わっても、結果は同じだった。ノエルが言うには建付けとかの問題ではなく、何か拒まれている感じがするそうだ。
死者の魂である僕にしか出来ないと大口を叩いたものの、扉冴え開けることが出来なかったらどうしよう。そう不安になりつつも、軽く扉に左手を置いてみる。
次の瞬間、僕は扉の向こうに引きずり込まれそうになっていた。
「おいおい、まじかよ!」
「手を扉から離してください、レーヴェ!」
必死に僕の右手を握ってくれた二人に引っ張られ、やっとのことで扉から離れる。
なんだ、今の感覚は。
恐怖というものは不思議と感じなかった。むしろ誰かが中で待っていてくれているような安心感すらあって。呼ばれている……のか?
「急にそういう展開はやめろよ。肝が冷えるだろ。何かやるにしても前振りがあるじゃねぇか」
「僕だって望んでやったわけじゃないよ。――でも、これで確信が持てた。この空間から死者の魂を解放させること。それがトワの願いなんだって」
もう一度扉をじっくり観察してみる。一見何の変哲もない扉だけれど、これは死者の魂にしか反応しないんだ。
トワ。これが、僕にしか出来ないことなんだよね。これで、新たな可能性を与えることが出来るんだよね。
「どうしたの、ベアトリーチェ」
気が付くと、ベアトリーチェは眉をひそめたまま僕のことをじっと見つめていた。
「私は、貴方まで失わないといけないんですの」
「……ベアトリーチェ」
「私はこの古城で、トワの居場所を守るために力を尽くしてきたつもりですわ。けれど、ずっと貴方のことも心配してましたのよ。大切なものを失って。欠けてしまった心を探し求めるようにトワを見守ってきた貴方を――。それなのに!」
「ベアトリーチェ、それ以上言ってやるな。あいつの想いを、勇気を、覚悟を惑わしてやるな」
「ノエル! でも!」
「……ありがとう」
僕はベアトリーチェの手を優しく握ってやった。前に彼女がおまじないだと言ってくれた時のように。
「僕もね、本当はすごく名残惜しいんだ。毎日一つの部屋に集まって、それぞれ好きな時間を過ごして、偶にはどうでも良い話をして。最初は古城の事を何も知らなくて不安だったけど、そんな僕のことを受け入れてくれた二人がいたから、不思議と寂しくなかったんだよ。ここに来る前の記憶がなくたって構わない、このままみんなで一緒に居られたらって何度も思った」
だからこそ、自分がすでに死んでいるのだと知った時、それが一番悲しかった。トワと別れるだけでなく、この二人とも別れを告げなければいけないのだと思うと。三人で過ごした日々の思い出が僕の中から消えて行ってしまう時がすぐそばまで迫っているのだと思うと。
体の震えが止まらなかった。
「ありがとう。ベアトリーチェがそんな風に思ってくれているだけで十分だよ。それだけで、僕は最後まで笑顔でいられると思う。嘆き苦しむ魂たちに囲まれても、光の方向を目指せると思う」
ベアトリーチェが泣き出しそうな目から視線を逸らす。彼女の優しさから逃げるのではなく、未来のために僕が出来ることを為すために。
「これは僕だけが出来ることだから。この地で二百年も前から続く悲しみの連鎖を断ち切れるのは僕だけ」
トワは優しいから、もうすでに死んだ魂である僕を一緒に連れて行くことすら躊躇していたね。この霊魂の間のことだって具体的なことは何も教えてくれなかった。オリバーさんが言ってくれたように、時を止めて君を待つという選択肢も残してくれた。
君は本当に、出会った頃から変わらない。
『そう、貴方たち候補は私が望むように行動してくれる。だからこそ、私の口から告げるのは怖かった。貴方たちのことを無意識に縛ることになるから』
君は自分の希望すら抑え込んで僕たちに選択肢を与えてくれる。そんなトワだから、僕は君のためになりたいと思ったんだ。
この魂が天に昇るのなんて怖くない。どうせすでに死んだ身なんだ、時を止めて実体化するというのも卑怯な話。
それにね、僕はトワを失った世界で何十年も待つのは無理だと思う。オリバーさんのように賢くもなければ我慢強くもなくて、どちらかというとそういう役目はノエルの方が合っているくらい。だからせめて君の役に立つなら。
過去から続く悲しみの連鎖。それを断ち切るために。僕が連れて行くよ。
霊魂の間で彷徨い、苦しみ、災厄を呼ぶ穢れを生み出してしまっている魂も。ずっと一人で戦い続けてきたソフィアさんの魂も。彼女を待ち続けたオリバーさんの魂も、全て。
僕が一緒に、連れて行く。
――トワ、ベアトリーチェ、ノエル。だからもう悩まなくていい。
「わ、私は、覚悟していますのよ。貴方と一緒に城に縛られるのなら、時を止めても良いって。何も貴方一人が背負う必要は!」
「ベアトリーチェ、いい加減にしろ。これはレーヴェの決断だ。俺たちにどうこう言う権利はない」
ノエルはそう言って僕からベアトリーチェを引きはがすと、こくんと頷いた。迷わない内にやれ、ということらしい。
――何も悩む必要なんてない。僕を憐れむ必要なんてない。
誰もが皆、愛する人を守りたかった。
ソフィアさんはオリバーさんと、この地に生きる全ての人々を。
オリバーさんはソフィアさんと戦争で死にゆく人々を。
ノエルとベアトリーチェは共に過ごした「友達」のことを。
僕はトワと彼女を想う二人のことを。
そしてトワはこの地に生きる人々と次なる巫女様を。
どんな未来を迎えるのか、僕では見届けられない。最善を選んでいるつもりでも、この古城の管理者のように後悔ばかりが残る時もある。けれど人の願いは決断して行動しなければ決して叶わないから。
「死んだときはさ、たぶん何かに未練があってこの地に留まってしまったんだと思う。でも今は違う。何だか満ち足りた気分なんだ。この古城で三人に会えたからだよ。僕の中で三人と過ごした日々が大切な思い出となって僕を満たしてくれた。きっと、そうなんだ」
「――レーヴェ……」
「だから今度は僕の番。ベアトリーチェもノエルもトワもオリバーさんも騎士さんもメイドさんもこの古城に関わる全員が僕の心を癒してくれた。だからこれはせめてものお礼」
そこまで言うと、ベアトリーチェは渋々納得してくれたようで、身体から力を抜いた。ノエルに体重を預けながら、涙を溜めた瞳で視線を逸らさない。
「……私は、待っていますわよ。トワだけでなく、レーヴェのことも!」
まるで告白みたいだ、と胸の中が温かくなるのを感じた。桜色の髪の彼女に、僕は微笑みだけを返す。
「俺はお前の決断を尊重する。トワにそう託されたからな」
「うん、ありがとう、ノエル。トワのことを、お願い。僕も全力で呼びかけるから」
「ははっ、あんだけ一人一人にお礼を言って帰ってきたらトワも赤面ものだろうな。――待ってるぜ、レーヴェ。生まれ変わったお前のことも、な」
そう言えば、人は死んだら生まれ変わるんだっけ。自分がどんな存在なのかをちゃんとトワの口から聞いたはずなのに、なんだかまだ実感が湧かなかった。僕はこの地で一度生を終え、再び生まれ変わる前の魂。――次のこの世界に生を受けるのがどれだけ先だとしても、決して最後じゃない。
トワ、ベアトリーチェ、ノエル。
いつか僕と君たちは再び出会うだろう。その時はお互いのことを忘れているかもしれない。何百年も先の未来かもしれない。でもね、必ず君たちの元に行くよ。
二人に背を向け大きな扉に向き直った。善は急げ、だ。これ以上躊躇えばノエルの言う通りきっと決心が揺らいでしまう。それでも少しだけ後ろを振り返って。
「じゃあ二人とも、後のことをお願い」
任されたとばかりに胸を張るノエル。
僕のことを案じてくれているように胸の前で手を合わせるベアトリーチェ。
二人のことを交互に眺め、僕は今度こそ前を向き扉に手を掛けた。
『助けて』
扉の向こう側から女性とも男性とも分からない声が聞こえる。
そうだね。苦しいよね。死んでしまうのはとても悲しくて。大切な人との別れは胸を切り裂いていく。
けれど。
「大丈夫だよ。僕と一緒に逝こう。もう一人じゃない。寂しくないよ。――生まれ変われば、また大切な人に巡り合えるから」
僕も同じだった。死んでしまったことを受け入れられなくて無意識の内に死んだことすら忘れてトワと出会った。今度は彼女と離れるのも辛くなってしまった。
でもまた、どこかで会えるから。また温かい手に抱きしめてもらえるように、逝こう。
扉を開けると、まるで風のように無数の魂が僕の横を駆け抜けていった。自然と天を目指す者、まだここにいたいと僕の足を引っ張る者、温もりを求めて僕の身体に寄り添う者。全てを抱えて目を閉じた。
空気と一体になったかのような感覚。身体が軽くなって、とてつもない不安が襲ってくる。壁も、床も、そしてさっきまで話していた二人の視線も、もう僕には何の意味も為さない。まるで半歩ずれた世界にいるような。
霊魂の間に繋がっていた暗い階段。ノエルの壊した壁。最初に捕らえられていた部屋。後ろに魂たちが付いて来ているのを確認しつつ、塔の外へ出た。眩しいほどの陽の光に目が眩みそうになりながら辺りを見渡すと、森の木々からひょっこりと頭一つ分抜き出た巨人の姿が目に入った。
「もう、行けるかい?」
青い天上を指さすと、幾つかの魂はその方向へゆらゆらと去って行く。それ以外はまだ名残惜しい様子で僕の身体に引っ付いていた。仕方がない。久しぶりに出た外の世界は怖くて、ちょっとだけ眩しすぎて、彼らには受け入れがたいんだろう。
「ちょっとだけ、寄り道するよ?」
寂しがりやの魂にそう断りを入れ、巨人の方向に意識を寄せると、便利なこの透き通った身体は自然とその方向へ動いてくれた。巨人が近づくにつれ、その近くにぼんやりと二つの光が浮かんでいるのが目に入る。
「ソフィアさん……?」
確証がなく、呟くような声で問いかけると、光の一つ――栗色の緩い巻き毛の少女は穏やかな表情で大きく頷いた。隣には寄り添うように水色の髪の青年がいる。
僕が巨人の傍までやって来ると、引き連れた魂の影響か、巨人の頭部からいくつもの光の粒が天に向かって列になった。災厄と化すほどに穢れを溜めこんだはずの死者の魂――けれど天に昇っていくそれは、まるで昼間のホタルのように美しかった。
その様子はまるで、穢れすら天に昇るのを自ら望んでいるようで。
そんな幻想的な光景を、二人は感慨深い表情で見守っている。
「あぁ、オリバーさん、ちゃんと会えたんだな」
ただ守りたかっただけなのに、彼らは長い間離れ離れになった。それがどれだけ辛いことか、今の僕なら少しだけ分かる気がした。だから僕はせめて、見せてあげたいと思った。後悔と、後悔と、後悔を積み上げた先に繋いでくれた光の行く末を。
「ごめんなさい」
いつの間にかソフィアさんが僕の方を向いて腕を広げているのに気付いた。
「謝罪の言葉なんて――」
必要ない、と言おうとして、口をつぐんだ。おそらく今の言葉は僕に向けられたものではない。僕と共にいる、全ての死した魂へ贈る言葉だ。
まるで愛する人を見つけたかのように、僕の周りの魂たちはソフィアさんの腕の中に飛び込んでいく。それを穏やかな表情で見つめ、ソフィアさんはゆっくりと彼らを抱きしめた。優しい人だと思う。彼らが苦しんだのはソフィアさんのせいではないのに。彼女は一人一人の痛みを同じように感じるべく目を閉じる。そんな優しい人だからこそ、霊魂の間を創り彼らを癒せたらと願ったのだろう。そしてだからこそ、自分では救えないのだと知った時、その心には深い絶望が湧き上がったことだろう。
「レーヴェ様」
背後で声がして振り向くと、そこにはオリバーさんがいた。白い布を身に着けていないオリバーさんの表情は天上からの光に照らされて、いつもより明るく見えた。
「貴方も会いたい人がいるのなら。守りたい人がいるのなら。どうか、傍に」
「……ありがとうございます」
誰、とは言わなかった。ただオリバーさんの細い指はまっすぐに神木に向かっている。あの、異様なほど青白い光で輝く一本の大樹に。
『何故あの時、僕は彼女と共に眠る決断が出来なかったのか。穢れを引き受ける力などなくても、何故彼女を孤独な空間に導いてしまったのか』
手記に書かれていたオリバーさんの字は所々インクが滲んでいて、彼がどんな気持ちで言葉を紡いだのか想像して余りある。
『だからせめて僕は、君が目覚めるのを待ち続けよう。たとえ次に目覚める君が僕のことを覚えていなくても。次に目覚める時、君がすでに人でなくなっていても。僕はもう君を一人にはさせない。何百年でも、この場所で待ち続けるから』
あの二人が味わった苦しみを、悲しみを、もう二度と繰り返さない。
『知りなさい』
古城に来た日、僕を導いた声。全ての死した魂を慈しむあの声の主の想いを。同じ過ちを繰り返さないよう手記に後悔の念を書き記した作者の想いを。
無駄にはしない。
トワ。
だから今こそ僕は君を目覚めさせよう。やっとこの手は君に届くはずだから。
大樹は僕の想いを感じ取ったように一層輝きを増したように見えた。
長くなってしまいました……。
次回で最終話の予定です。




