もうそれ以外は望まないから
トワにもう一度帰って来てほしい。
そんな望みを叶えるため、レーヴェはある方法をベアトリーチェとノエルに伝えます。
君の幸せに繋がる――それだけを願って。
「あいつを取り戻す方法があるのか?」
僕の言葉に一番に反応を見せたのはノエルだった。何かを考え込むような様子でその辺をうろうろとしていたのに、彼の顔はもう僕のすぐ近くにある。
「確証があるわけじゃないんだ。でも、まだ間に合うと思うから」
そうだ、まだトワは死んでしまったわけじゃない。ただ神木の中で眠っているだけだ。けれどそこはあまりに孤独な空間で、受け止める穢れはあまりに多すぎるから、永く居すぎると「人」であることが難しくなる。――災厄と化してしまったソフィアさんのように。
けれど逆に言えば、まだ今ならトワを救うことが出来る。
「トワを目覚めさせるつもりですの? そんなの、トワが赦すはずがありませんわ。トワは自分の意志で使命を全うし、その身を捧げたんです。私たちのエゴでトワを救い出すことが出来たとして、この地はどうなるんですの」
「……トワはこの地に災厄が訪れることを望まないだろう。僕だって、今トワを取り戻せばどうなるかくらい想像がつくよ。だから僕は、トワの思いつかなかったこの方法に懸けてみたい」
「方法を、教えろ」
「ノエル!」
間髪入れずに詰め寄ったノエルをベアトリーチェが悲痛な声で呼び止めた。ノエルの思うことは僕と同じだ。トワがもう一度帰って来てくれるなら――もう一度隣で笑ってくれるなら、どんなことだってやってみせる。けれどベアトリーチェは何よりも今の平穏が脅かされることを嫌悪しているようだった。その考えも、もちろんトワのことを想う故なんだろう。涙さえ見せずに自分の命を捧げて守ろうとした彼女の覚悟を尊重した結果だった。
「ベアトリーチェ、大丈夫。僕はトワのために全てを捨てたりなんか、しないよ」
「レーヴェ――」
「まずはトワの願いを叶えるために、霊魂の間に行かなきゃ。彷徨える魂たちを解放するんだ」
オリバーさんの日記を読む限り、悲劇が連鎖する根本的な原因は「霊魂の間」にあるように思う。オリバーさんたちはたしかに戦で亡くなる人々を癒すためにその場所を創ったけれど、巫女様であるどソフィアさんの力を以てしてもその魂を浄化することは叶わなかった。そして結局霊魂の間に閉じ込められ、彷徨える魂は穢れを呼び寄せ、この地を「穢れを溜めこみやすい地」に変えてしまったんだ。
霊魂の間から魂を解放することが出来れば、穢れを呼び寄せることもなくなる。トワが浄化しなければならない穢れの量が減れば少なくとも彼女が災厄と化すことは避けられるだろう。
「その後、トワを目覚めさせるよ」
「レーヴェ!」
「安心してって。全部僕が連れて行くから。死した魂と同化して穢れは膨張しているはずだ。だから僕が、その魂ごと天へ連れて行く。そしたらさ、残った穢れくらい神木が本気出したら浄化できるでしょ?」
「……いいのか、それで。お前は……」
「そんな真剣な表情にならないでよ。元々僕は死んでたんだから。それにね、霊魂の間を解放するにはきっと、これ以外方法はないんだ」」
霊魂の間が全ての始まりだというのなら、早々に壊してしまえば良かったのだ。手記を読んだ僕でさえ気づくようなことなのだから、オリバーさんは絶対に知っていただろうし、そして実行するための時間は嫌という程あった。けれどおそらく、未だ霊魂の間は残り続けている。
死者の魂が強すぎて普通の人には解放することすら出来なくなっているんだろう。神木の加護を受けた巫女様、神木の力で時を止めたオリバーさんたちは特に触ることが出来ないんだ。だから死者である僕に頼むしかなかった。そして溢れ出る魂を、導いてやらなければいけない。
「なるほど。『来るべき時』を終え、この地が一番浄化された瞬間でないと、霊魂の間に溜まり続けた穢れを放つことも出来ないってわけか。それをお前は最小限の影響に抑えるために、先頭に立って導いていくつもりなんだな」
「さすがノエルだね。その通り。そこまですれば、トワが眠りに就く必要はないだろう?」
「それはそうですけれど……。トワを目覚めさせることなんて出来ますの? 私たちは候補ではありましたが特別な力を持っているわけではないんですのよ?」
それは僕も考えていたことだった。ソフィアさんが眠りから覚めた時、神官たちが何か儀式をしているようにオリバーさんの手記では書かれたいた。けれど今ここに、そんな儀式を行える存在はいない。古城の人々が生きていればまた違ったのかもしれないが。
「そこで二人にお願いがあるんだけど。霊魂の間の件が落ち着いたら、トワのことを呼びかけてもらえないかな」
「呼びかける……? 俺たちの声は、トワに届いているのか?」
「分からない。でもそれしか方法はないんだ。トワが自分から目覚めたいと思うようになるしか」
「あ――。たしかに私とレーヴェは、トワの居場所を作ってあげたいと言ってましたものね」
「なるほど。あいつに帰りたいと思わせるってことか。いいぜ、やってやる。あいつが安眠出来ないくらいの大声で叫び続けてやるよ」
僕にはもう時間がない。トワの願いを叶えたら、すぐにここから消えてしまうだろう。そうしたら次に生まれ変わるまで、トワに会うことは出来ない。いや、生まれ変わったとして、僕の記憶が残っているかさえ分からないんだ。もう会えることは一生ないのかもしれない。
だけど。
君を待つ人は、まだここにいるから。君の居場所はまだここにあるから。
『候補に気持ちを寄せすぎてはいけないの。『来るべき時』に私の心を守るためには、貴方のことを想ってはいけないの』
だからもうそんな悲しいことは言わないで。
『……良い、の? 私は、貴方に頼って良いの? それがレーベにとって望まない未来をもたらしても?」
君の隣に居たいなんて、もうそんな高望みはしないから。君が笑顔でいてくれれば良いから。
『俺はただ、『来るべき時』にお前の力になれればそれで良かったんだ。お前が何も言わず消えてしまわないのなら、それで良いんだよ』
『どうして――どうしてトワなんですの! 穢れを浄化するトワを、私たちは独りで眠らせないといけないんですわよ。最後にあのトワの手を、振り払わないといけない……そうでしょう?』
君のために悲しんでくれる人がいる。君の残酷な運命のために怒ってくれる人がいる。
だから二人の想いをどうか無駄にしないで。
「ありがとう。これで安心して僕も逝くことが出来る」
「レーヴェ……」
「さ、そうと決まれば霊魂の間へ行かなきゃ……ってまずはその場所が分からないんだけど。この城に地下への階段なんてあったっけ?」
「表向きには、ないはずですわよ。ですからオリバーさんの手記を読んだ時に少し違和感があったんです。地下が存在するなんて全く知りませんでしたから」
「それなら俺が分かる。……あの場所は、お前と同じ匂いがしたからな」
ノエルはそう言うと、善は急げとばかりに部屋を出て行ってしまう。慌ててその後ろ姿を追いながら、彼が珍しく焦っていることに気が付いた。
僕だけじゃなかったんだ。トワがいなくなって、冷静そうに見えたノエルだって、本当は怖くってたまらないんだろう。もう彼女に会えないんじゃないかって。
だってノエルはトワのことが好きで――トワが来るべき日にいなくなってしまうんだって聞いた時も、ものすごく怒ってて。そういえばあの日はトワがノエルのことを追いかけて行ってしまって、ずいぶん長いこと二人で話し込んでいたっけ。
あぁ、思い出すと何だか胸がもやもやしてきた。嫉妬とか、そんなことを思っている場合じゃないのは分かってるのに。
三人で歩く城の廊下は、どこかさびれたように感じられた。古城にいた人々と共に時間が進み始めたせいなのか、城を守ってきたメイドも料理人も騎士もみんな消えてしまったからなのか。普段とは何も変わらない内観なのにどこか暗く、空気が重い感じがする。
二階まで下りたところでようやくノエルに追いついて横に並ぶと、彼は僕の顔を覗き込み、苦笑してため息を漏らした。
「たとえお前がいなくなってもトワのこと取ったりしないから安心しろ」
「な……そんなこと」
「お前な、バレバレだから。ベアトリーチェは誤魔化せても俺は無理だぞ」
「ひどいですノエル。私もそんなに鈍感じゃありませんわ。ましてや恋のお話なら乙女の得意分野ですわよ?」
「あー! ごめん、本当は嫉妬してました。だってノエルとトワ、なんか似合うなぁって思って」
「そうか。トワはお前のことしか見えてないと思うけどな」
ぷいっと顔を背けた最後の言葉は三人しかいない廊下でも聞き取りにくいくらい小さな声だったけれど、僕ばそれだけで顔が熱を持ったのが分かった。それだけでは飽き足りないらしく、ノエルは今度は意地の悪い顔でぽんっと肩を叩いてきた。
「で、お前は初の体験、どうだったんだ?」
「え、何のこと」
「しらばっくれるのは止めろよ。お前、初めてトワに触れたんだろ。どうだったんだよ」
思い出すとさらに顔が熱くなった。そう言えば、勢いに任せてトワの手を握ってしまったっていうか。もう自分が死者だということは分かっていたけれど、最後くらいと思ってルールを破ってしまったんだった。
「い、いや。あの時はその、それどころじゃなかったんだ」
……嘘だ。見た目はあんな折れそうなほど細いのに思ったよりも柔らかくて内心驚いていた。そんな場面じゃないということは分かっていたのに、意識が半分――いや、四分の一そういう不謹慎な考えで占められてしまっていた。
「……私、レーヴェのことを見損ないましたわ」
しどろもどろになった僕のことを呆れた様子で見るベアトリーチェ。
「い、いや。だから何も言ってないだろう?」
「表情が全てを物語っているな」
「うっ……ノエルに言われると反論出来ない」
「しかし手を握っただけでこれだと先は長いな」
「そうですわね。トワも待ちきれないかもしれませんわ」
口々に紡がれる言葉を止めるべく、大げさに腕を振ってみせる。
「あー、そういうことを言われるとちょっと……恥ずかしがり屋で悪かったね」
――もう、こんな冗談を言ったり笑い合ったりする日々はこれからやって来ないんだろうか。
オリバーさんの役目を僕たちが継ぐのなら、この古城に囚われることになる。トワのような巫女様を何人も迎え、見送りながら。そんな未来、ノエルとベアトリーチェに課せるわけないじゃないか。たとえそのことで僕が実体化した状態を維持できるのだとしても。
僕は軽口を言い合う二人に悟られないよう、そっと息を漏らした。
トワと共にこれから先も過ごせれば素晴らしいか。
けれどトワが巫女様であること、レーヴェが死者であることはその願いを容赦なく否定します。
二人が幸せになれる方法は、もう存在しないのでしょうか……。




