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君を失う日  作者: 白昼夢
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君を失った日

オリバーさんから提示された選択に対して、レーヴェはどんな決断を下すのでしょう。


「私は……」


 不安そうな目で、黙ったままの僕を覗き見るベアトリーチェ。それをどんな意味で捉えたのか、オリバーさんは「あぁ、」と慌てて付け足した。


「もちろん三人が同じ答えを出す必要はありません。そしてわたくしがその答えに何か意見を出せる立場にもありません。――ただね、わたくしは二百年もの間この古城に縛られ、理解したのです。巫女様を迎えても、その肩の力だけでこの地に眠る穢れ全てを浄化することは出来ません。ですから結局は後の世代に託したに過ぎない――そう、思いませんか、レーヴェ様」


「そうかもしれません。いいえ、実際そうなんだと思います。どれだけ巫女様が苦しんでも、最善の未来が待っていたわけじゃない。オリバーさんの時から、ずっと涙が流されてきたはずなんです」


 トワだけじゃない。二度とソフィアさんに会うことは出来ないだろうと知りつつ、それでも時を止めて見守ろうとした古城の人々。「来るべき日」の前に命を落とし、使命も、自由も知らずに消えていった巫女様の魂。みんな、どれだけ苦しんだだろう。けれど。


「だからこそ、僕はこの地に留まることは望みません」


「……レーヴェ、でもここにいれば、トワにまた会えるかもしれないんですのよ?」


「あんな巨人みたいな状態になったトワと、か? 残念だが俺はごめんだな。レーヴェ、俺はお前と同じ選択をするぜ」


「ノエル……でも――レーヴェ、貴方は。貴方は私たちとは違うではないですか! 神木に願いを託すだけで、貴方はもう一度――だって貴方は死んでいるんですのよ? こんな大事な決断、すぐに下すべきではありませんわ」


「僕はちゃんと冷静に考えた結果だよ」


 本当だ。ちゃんと考えてる。トワを失ったから、自暴自棄になっているとかそんなわけじゃない。だって僕にはまだやらないといけないことがあるんだから。


「……ええ、ええ! 冷静でしょうとも! ですから危険だと思って助言しているのです。貴方はさっき、自分自身の大切なことを知ったばかりで――」


「うん。だから、かな。僕がこんなに冷静でいられるのは。自分がすでに死んでいるんだ、なんて言われちゃったら、それ以上受け入れられないことはないって言うか。それに、きっと僕の身体は時限爆弾だから」


「どういうこと、ですの」


「レーヴェが実体化できていた理由が、自分が死者であることを忘れ神気に触れたから、だろ。今やあいつは自分の死を知り、神気だって不足している状態だ。いつ消えてもおかしくないってことさ」


 変わり果てた神木を見ながらノエルはベアトリーチェの横に並んだ。そして彼女の震える肩にそっと手を置いてやる。


「お前が一番混乱してるんだろ。ただ今はあいつを信じよう。トワの願いがある限り、あいつが不利になる選択はしない」


 ベアトリーチェはノエルの顔をじっと見つめ、大きく息を吐いた。


「分かりました。レーヴェ、貴方がもし時を止め、この地で生きることを選ぶのなら、どうか迷わないでくださいね? 私はいつでも覚悟は出来てます」


「おい、俺だってレーヴェが残ることを選ぶなら話は違うぞ?」


「……うん。ありがとうベアトリーチェ、ノエル。すみません、オリバーさん。もう少しだけ時間をください」


「もちろんです。けれど待てるのは今日の日が沈むまで――それがタイムリミットです」


 まだ日は昇ったばかり。十分な時間はある。オリバーさんが古城の中へ踵を返したのを見送って、大きく息を吐いた。僕のこの決断は変わらないだろう。けれどベアトリーチェをあれだけ心配させた手前、ここで最後の決断を下すのは忍びない。どうせトワの願いを叶えるための方法を探す必要があるんだ。とりあえず落ち着いて考える時間がほしい。


「ひとまずいつもの部屋に行くか。まだちょっと外は冷えるしな」


 ノエルも同じようなことを考えていたようで、僕たちはいつも集まっていた広間に戻ることにした。



 静まり返った古城の中でガチャンと扉を開けると、いつもと変わらないはずなのに広間がやけに広く感じた。何かが失われてしまったような――いや、実際には逆で、テーブルの上に普段はないものが足されている。


 それは僕が毎日欠かさずつけていた日記だった。


「なんだ? 本か?」


 オリバーさんの手記を読んでいる身としては、同じような本が突然置かれたいたことを見逃すことは出来ないんだろう。一直線にテーブルへ向かうノエルのことを何とか阻止して一番に本を手に取る。さすがにこの日記を誰かに読まれるわけにはいかない。何よりノエルに読まれるのは一番恥ずかしかった。


「おい、どうした? この本を知っているのか?」


「ちょ、ちょっとこれは……」


「言えない理由でもあるのか? いいだろう、もうトワがいないんだから隠す必要もない。ほら、見せろよ」


「……むりむり。だってこれ、僕の日記なんだから!」


 本を横取りされそうになって必死に声を上げると、僕の悲痛な叫びは部屋中に広がった。思ったより大きな声が出たせいで驚かせてしまったベアトリーチェには悪いけれど、僕はすでにノエルの手に渡ってしまっていた本を取り返してほっと息をつく。


 なんだ、紛らわしいと非難の視線を向け、ベアトリーチェと共にソファへ座ったノエルを横目に、本を開く。



『こんな城へ来てしまった日を、僕は一生忘れないだろう。ただあの子が気になっただけだった。どうかあの子に笑ってほしい。泣いてほしい。自分のために感情を出してほしい。そう思ったから、僕ばこの日記を始めよう。少しずつこの本に書かれるあの子が声量していくことを、願おう』


 トワと初めて出会った日――四月一日。春の訪れを感じ始めた風が吹く頃。まだ日が暮れたからの城内は少し肌寒かったのを覚えている。あの時、僕は何か嫌な予感をおぼえていたのかもしれない。トワと過ごす日々は永遠ではなくてあまりにも儚く大切なものだということを分かっていたのかもしれない。


 だから僕の元には今、彼女と過ごした日々が綴られた一冊の本がある。


 空白だったページが少しずつ埋まっていくのが嬉しくて、毎日欠かさずに書いていた日記。本を開くと、書かれた最後のページには「三百五十九日」と記されていた。


 まだ一年も経っていない。それなのにトワをこんなにあっけなく失ってしまうだなんて、一年前の僕は想像すらつかなかっただろう。



 僕が古城に来てから今日で三百六十日目――君と出会ってから三百六十日。


 不思議だね。そのお陰で、少しでも君との時間を形として残しておくことが出来た。きっとこの本を握りしめながら涙を拭う、こんな僕のために、あの日ペンを握ったのだと思う。


 彼女を失うことはクリスマスの日から分かっていたはずなのに。あらかじめこうなることはあの日、涙に濡れた彼女の口から聞いていたはずなのに。



 どうしても、駄目なんだ。



 この日記を見ると実感する。君がもう、この世界にはいないんだってことを。


 僕は君の力になりたかった。初めて会った時、どこか寂しそうな表情をした君のことを笑顔にしたかった。君をこの古城から、巫女様という存在から自由にしてあげたかった。


 君を失いたくなんて、なかった。


 それなのに君を失った日、僕は泣いて泣いて、ただ思い出を噛み締めることしか出来ないんだね。


 ねぇ、君は何を託してくれたの。

 死者である僕に、穢れた魂である僕に君はどんな未来を見たの。

 ねぇトワ、教えてよ。君の言葉で僕に伝えてよ。



『何を読んでいるんですか?』


 棚に並べられた埃っぽい本を手に取っていると、トワはよく興味深そうに後ろから覗き込んできた。少しでも身動きすれば触れてしまいそうな距離で、彼女の髪がそっと首筋を撫でる。


『ん、ただの歴史の本だよ』

『どれくらい昔のものですか?』

『うーん、四百年くらいかな。不思議だよね、想像もつかない程昔の話なのに、こうして語り継がれているなんて』

『そうですね』

『僕らのことも、いつか歴史の一部になっていくのかな……』


 トワは僕の問いに対して何も答えなかった。どんな表情でいるのか確かめたいのに、彼女に触れてしまいそうで首を動かすことも叶わない。


『トワ……?』


 ただ、ゆっくりとした規則正しい息遣いを、僕は耳元で感じることしか出来なかった。


 懐かしい思い出が、ページをめくるたびに脳裏に甦る。



『レーベ』

『どうしたの?』

『いいえ――何でもありません』


 広間のソファに座っていると、トワがトコトコと歩いて来た。そのまま僕の隣に膝を丸めて座り込んでしまう。そんな年相応の少女らしい姿を見ることはほとんどなかったから、僕は何故か緊張していた。たしかベアトリーチェとノエルは気が進まないと言いながらもクレスト家に帰って行った時だろうか。村では死者を弔う祭りが開かれる時期だった。


 広間は二人がいないだけで寂しく感じられたし、何だかナーバスになっているトワのことを考えると僕も胸が痛んだ。


『寂しいの?』

『……っ。分かりません。この感情は、寂しいということなんでしょうか』

『お腹の上の辺りが、きゅって掴まれたみたいにならない?』


 トワは律儀にお腹の辺りを掴んだ後、暗い顔で「分かりません」ともう一度呟いた。


『僕もさ、この時期はあんまり好きじゃないんだ。村の人達がみんな過去を向いているみたいで』

『過去を……?』

『うん。生を終えた魂は天に昇り、生まれ変わりを待つ――でもね、中にはそうでない魂もいるんだ。未練を残した魂はずっとこの地で彷徨い続けることになる。そんな魂をさ、送ってあげる時期なんだ。こんなに愛していたよ、もう大丈夫だよ、心配しなくて良いよって』

『死者に語り掛けているように見えるんですね、レーベには』

『届いているのかも分からない。届ていても、二度とその返事を聞くことは出来ない。そんなの、僕たちにとっては苦しいだけでしょ?』

『それでも……』


あの時、窓の方を向いたトワの表情はどんなだっただろう。僕はまだ何も知らなくて。彼女の気持ちを知ることも出来なくて。掛けるべき言葉なんて一つも思い浮かばなかった。


『それでも、私は彼らを導いてあげたい。この地に留まった魂は、きっと苦しみ続けているはずだから。私たちにそれを癒す力がないのなら、せめて光差す方へ――』



 今なら分かる。彼女がその時、どんな気持ちで呟いたのか。


「霊魂の間、だったんだね」


 トワが気にしていたのは。導いてあげたいと言っていたのは。霊魂の間に囚われた魂だったんだ。


 君を失った日――こんな風に泣いてばかりいる場合じゃない。


 トワ。君のいない古城はこんなにも寂しくて、冷たくて。ここには昨日まで君がいてくれた痕跡が残っているのに、もう温もりさえ消えてしまっていて。僕たち三人がつくり守ろうとした「トワの帰る場所」で、君の面影をずっと追いかけて居たくなるけれど。


 君の願いを叶えよう。それが、死者である僕にしか出来ないことならば。


「僕は時なんて止めない。必ずここで、全てを終わらせて見せる。そして絶対に君を、取り戻すよ」


いよいよトワの最期の願いを叶えるため、レーヴェは行動を起こすことを決めます。

もちろんレーヴェの希望はトワの願いを叶えることだけではありません。

トワが生きていてくれること――そんな当たり前の未来を紡ぐこともまた、彼の大切な目的なのです。

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