甘い夢と選択
トワを送り出してしまった候補三人。
残された彼らに、新たな選択が告げられます。
その先は、まさにおとぎ話を読んでいるようだった。
神木から生まれ出た細い枝が触手のように伸び巨人に迫る。必死に枝を折り、絡みつこうとする枝葉を灰色に染め上げ、しかし間髪入れずに伸びてくる枝に少しずつ身動きを封じられていく巨人。巨人をも凌駕するその枝のしなやかさは蛇のようでもあり、その頑丈さは鉄のようでもあった。
――これがあの神木だっていうのか。
古城の裏に根付く一本の大樹。それを見ると、たしかに神が宿っていてもおかしくないと納得できるような雰囲気があった。圧倒的な高さに何百年という月日をかけて太くなったという幹。生命力すら感じられるほど緑輝く葉。信仰を持っていなかった僕でも神木の前に来れば畏怖が芽生えていた。
戦いを繰り広げる巨人からも、そして神木からも距離を置いた場所で。
僕たちはこの場所が安全だと信じて茫然と突っ立ったまま、神木の二倍弱はある巨人が手を、足を、頭部を縛られていく様子を見ていることしか出来ない。
「グォォォッ」
苦しそうに唸り声をあげる巨人に幹が胴体を深く貫いた。そしてそれを中心として伸びた枝が巨人の胴体を覆っていく。
その苦しみ方はまるで人間そのもの。あの巨人の中にもまだソフィアさんが眠っているのかもしれない――そう思うと、途端に自分が間違ったことをしている気分になった。
バランスを崩した巨人が片膝をつくと僕たちの方まで灰色に染まった粉が降り注いだ。その粉が地面の草木に触れた瞬間、咲き誇っていた花々が枯れていくのを見て慌てて身体に掛かった粉を払い落とす。
「ソフィア……」
変わり果てた姿の中にも面影を見ているようで、オリバーさんが小さく呟いた。彼は今どんな気分なんだろう。かつての幼馴染が木々に縛られ、もがいているのを見ている気持ちは。
最後の仕上げとばかりに巨人の周辺の木々が驚異的な成長を見せ、胴体をいくつも貫いた。気が付けば巨人は神木から伸びる無数の触手――枝葉によって羽交い絞めにされていたのだった。時間にして十分もない短い時間。そんな短時間でも神木を動かし浄化の力を行使するにはトワという犠牲が必要だったと、そういうのか。
そして一瞬の白い輝きが消えた後、その場に残ったのはオブジェと化した巨人だった。禍々しい黒い靄は消え、巨人の胴体は岩石のように茶色く変化している。時折木の枝がギシッと音を立てて巨人だったものに喰いこむ以外は、弓矢が放たれる音も巨人の唸り声も地響きも一切聞こえない。
「止まった――?」
一分数えたところでノエルの服がカサッと音を立てた。顔を覆っていた腕を下ろし、一歩森に足を進める。
ここから見る限り、巨人の動きは完全に停止しているようだった。神木も一時的に力を使い果たしたのか緑に輝いていた葉を全て地面に落としている。周りに漂っていた青白い光もまた、消えてしまっている。
無事に浄化出来たのか?
正直僕が想像しているような結末ではなかった。浄化とはあの巨人を消し去ることだと思っていたから。まるで僕たちが候補という役目から解き放たれたことを示すように、胸元のペンダントが粉々に弾け飛んだ。
「終わり、ましたか」
オリバーは珍しく震えた声でそう言い、服に付いていた灰色の粉を掃った。
「いったい何が起こったんですの。とりあえずは動きが止まったようですけれど」
「巫女様が神木と共に浄化の儀式を行ったのですよ。今も少しずつあれには神気が注がれていることでしょう。――全てを消し去ることは出来なかったようですが」
「ということは、まだあの穢れとやらは残っているのか?」
「ええ。災厄と化したソフィアを浄化するにはまだ時間が掛かります。たしかソフィアの時は十五年、でしたか」
「「十五年……」」
ベアトリーチェとノエルは自分自身を責めるように俯いた。
分かっている。これはトワの決断だったのだと。けれど後悔がないわけじゃない。それは僕も同じだった。
「オリバーさん。やはり、トワはソフィアさんのようになってしまうんでしょうか」
ベアトリーチェとノエルが息を呑む。しかし、これだけは聞いておかなければいけない事実だった。
「……貴方がトワと呼ぶ巫女様がこれからどうなるか、具体的に想像することは難しいでしょう。ソフィアの時とは条件が違いすぎますから。ただ巫女様の力を使っても、この地を脅かす災厄を全て浄化することは叶いません。長い年月を経て、この地は再び穢れを貯めこみ、同じように災厄が襲うでしょう。――万が一、巫女様があの穢れを全て浄化できたとしても、この地は再び新たな穢れを招く。ですから『トワ』と再び会うことは――」
最後の一言はオリバーさんが自分に言い聞かせるためのものだったのかもしれない。ソフィアさんを救うために時を止め、見守ってきた彼が、それでも再びソフィアさんに会うことは出来ないのだと納得するための。たしかに今回の浄化の儀式で、ソフィアさんが災厄となることは止められた。けれど彼女が戻ってくるわけではないのだ。
「そんな――このままでは、また繰り返してしまうんですの? トワがこんな想いで自分を犠牲にしましたのに」
「だからあいつが願いを託したんだろ。あいつが命を懸けても根本的な解決にならないことは分かってた。それでも、この負の連鎖を止めるためにはきっとあいつが犠牲になるほかなかったんだ」
犠牲。
ノエルのその言葉を聞いて再び胸が痛んだ。
もしも僕が代わってあげられたなら。もう生きてない僕が代わりになれるのなら、トワにあんな顔をさせなくて済んだのに。本当に、この世界は上手くいかない。
「さて、浄化の儀式が終わり、無事にこの地の災厄を止めることが出来ました」
まるで事務連絡をするかのように落ち着いた声でそう告げたオリバーさんに、思わず僕たちは振り向いた。
そこで目に入ったのは異様な光景だった。古城を背に立つオリバーさんの後ろには、きれいに整列した石像が並んでいたのだ。ちょうど、先ほどメイドさんたちがトワを見守っていたところに。
「きゃっ」
ベアトリーチェが悲鳴を上げるのも無理はない。その石像は、かつて数分前までは人間だったはずだから。
「『来るべき時』のために残された古城。そして時を止めたわたくしたち。その目的を終えたために、眠りに就いたのですよ。元々、時を止めた時点でわたくしたちは人間ではありませんでしたから、相応の幕引きなのでしょう。永遠の命など、ありませんから」
「はっ、そんなもんだと思ってたよ。ずいぶん良く出来てるじゃないか、この神木の加護って言うやつは。で、お前はどうしてまだ無事なんだ?」
「わたくしは託されたのですよ。神木から、貴方たち候補へ選択を与えることを」
「選択、か。ふっ、よく言うぜ」
ノエルは僕たちが止めるのも聞かずに石像をペタペタと触り始めた。彼の様子からすると、その手触りは石そのものらしかった。
古城は役目を終え、神木の力を借りて時を止めていた人々は永遠の眠りについた。そして彼らに守られた巫女様は今、その力を授けた神木の元へ。まるで全てが正常に戻ったかのような。――けれど、まだ終わっていない。だから神木は僕たちに接触してきたのだろう。
「ベアトリーチェ・クレスト。ノエル・クレスト。レーヴェ:アストライア。候補であった貴方たちには選ぶ権利があります。このまま現実を受け入れ、各々自由な未来を歩むか。それとも古城に再び囚われ、この地の行く末を見守るか。わたくしは貴方たちの選択を神木へ伝えましょう」
「……オリバー、さん」
予想していなかったわけじゃなかったんだ。神木があの日、オリバーさんの願いを受け入れたのなら。僕たちも同じように、トワが守った先を見守ることが出来るんじゃないかって。
神木に願えば、この身は人間じゃなくなる。それこそ石像となった人々のように、終わりは無残なものだろう。それでも、人間よりも遥かに長い時を示すことが出来る。トワが帰ってくる場所を守り続けることが出来る。――甘い夢を、見ることが出来る。
全てを包み込むようなトワの笑顔と、それを見守るオリバーさんの困ったような顔が蘇った。
『候補になると貴方はこの城に囚われる……このわたくしのように。そしてもし候補になればわたくしも貴方のことを見逃すわけにはいかない』
けれど僕はオリバーさんのようには……。
レーヴェは何を決断するのでしょうか。
次話に続きます。




