たとえ君を失ったとしても
レーヴェの読み進めていた過去の手記も終わりに近づいてきました。
青髪のあの人がなぜ後悔することになったのか、語られます。
ソフィアが眠りに就いたことで彼女の力を借り、神木は一度周辺を浄化したはずですが……。
戦争終結に街の復興、新たな王の就任。目まぐるしく変わる時の中で僕は待ち続けた。
人々の祈りが力となり神木の穢れが浄化される日を。
そして十五年の歳月が流れ、人々の記憶から悲惨な戦争さえ薄れてきた頃。
「……やっと、君に声が届くね」
神木の周りには神官たち数十人と僕、そしてソフィアと仲の良かった街の住人が集まって来ていた。
神木が再び街に加護をもたらすまでに浄化されたのだ。もはやソフィアが犠牲となって穢れを引き受ける必要性はなくなった。
「長かったね。本当に、ありがとう」
あの時何も出来なかった自分が今ももどかしくて仕方がない。ソフィアが穢れを引き受けてくれたおかげでこの国は災厄に呑まれずここまで復興することが出来た。もちろん僕もアシュリー・クレストも出来る限りの努力をしたけれど、ソフィアと比べればほんの些細なことだろう。
君に会えるまでの十五年。それはあまりに永い時だった。新たな王が誕生して、僕も騎士として上り詰めて、隣国との平和協定だって結ばれた。きっと君は良い意味で変わったこの国の様子に驚くことだろう。
その間、君のことをみんな待っていたんだ。だって君が帰って来なければ本当の意味であの戦争を終えた事にはならないから。
「それでは、儀式を始めます」
僕が頷くのと同時、神官たちが神木に何やら祈り始める。
生まれ落ちた時から巫女としての素質を備え、常に神木の存在を身近に感じてきたソフィア。そしてそれ故に国を守るため自分を犠牲にして十五年間僕たちを守ってくれていたソフィア。
――ようやく彼女を解放できる。
「オリバー様!」
一人の神官が大声を上げた。その方向を見ると、神木の幹の部分が真ん中から割れていくのが確認できる。いや、割れるというよりはまるで見えない扉を開けているようだった。
あの中に、ソフィアが。
十五年もの間、一人で孤独と穢れの苦しみに耐えながら眠っていたというのか。
内側から光が溢れ、神木全体を輝かせていく。その光の先に、待ち侘びたソフィアの姿はあった。
「「巫女様!」」
街の人々の大合唱。願うように胸の前で手を合わせる神官たち。まるで神木から生まれ落ちた神の子のようにゆっくりと神木を離れ大地に降りてくるソフィア。その情景は幻想的でこの世の物とは思えない。けれど目を閉じた彼女の姿はよく僕の隣で肩に体重を預け眠っていたソフィアそのものだ。
本物、なんだな。
ついそんな子供じみた発想をしてしまうほど、彼女と離れた十五年間は長かった。あの日僕の前から消えてしまったソフィアが、もう一度僕の前に現れる。それは何とも不思議な感覚だった。
固唾を呑んでその時を待つ僕の前に、ついにソフィアは軽やかに降り立つ。
「ソフィア!」
ぐらりと傾いたその身体を慌てて受け止める。彼女の姿はまるであの十五年前から一切時を経ていなかったかのように変わっていなかった。身に纏う服さえ、僕と別れたあの日の物そのままだ。
凍ってしまいそうなほど冷たい彼女の身体を擦り、温めてやる。
「ソフィア、良かった、やっと――君に届いた」
「……オリバーなの? ほんとう、に? 本当にオリバー?」
「うん、そうだよ。ごめんね、ソフィア。君を救い出すのに十五年も掛かってしまった。でももう、君のことを孤独に追いやったりしないから」
「私、本当に出て来れたのね」
長いまつげをピクンと動かし彼女はそっと目を開いた。そして僕に支えられながら周囲を見渡す。神木の周りに集まった人々は僕とソフィアの再会を邪魔しないよう、見守ってくれていた。
けれど、どうしてだろう。こんなにも胸の奥が痛むのは。
そう感じた時、ソフィアの白い肌に、黒い靄が動いたのを見た気がした。
「ソフィア!」
思わず叫んだ僕に全員の視線が集中した。当のソフィアでさえ驚いた表情で僕の顔を覗き込む。でも、見間違えじゃない。
彼女の身体の周りには薄い靄が漂っていた。周りの神官たちも徐々に異変に気付いたのだろう。少しずつ彼女から距離を取る。
「……オリバー? 私――」
僕を見つめたその瞳は、以前の澄んだ青ではなくなっていた。灰色に染まってしまった瞳に首筋から見える黒い影。
ソフィアの身体はすでに、限界まで穢れを貯めこんでいた。
「あぁ――私は。私が、災厄となってしまったのね」
ソフィアの顔に一筋の涙が滴ると同時、突然大地が大きく揺れだした。その揺れに呼応するようにソフィアの身体から黒い靄が一気に放出された。
辺りが暗くなり、人々の叫び声がこだまする。神官たちも為す術なく揺れる大地に座り込み神木を祈るように見つめるしかなかった。
どうして、こんなことに。
穢れが集まればその地に災厄をもたらす。それは疎い僕ですら知っていることだ。だからこの国の人々は大樹を信仰し祈りを捧げることでこの地を浄化させ続けてきた。
その均衡が崩れ去ったのは十五年前の戦争時。多くの人々の命が奪われ王宮の地下にある「霊魂の間」に彷徨える魂が集まったこと、自律型人形兵器が浄化の力を弱まらせるほどに神気を吸い尽くそうとしたこと。様々な要素が絡まって神木の浄化が追い付かないほどこの地には穢れが溜まってしまった。だからソフィアは自らを犠牲にしてこの地を浄化するため、眠りに就いたのだ。
けれどすでにこの国には加護が戻って来ている。そのことは神官たちが確認していたはずだ。それなのに何故、神木から解き放たれた彼女が穢れを纏い、この地に災厄をもたらすなんて酷いことに――。
「ソフィア、しっかりするんだ! もう君は神木から解放されているんだよ。穢れなんて引き受けなくて良いんだ!」
「あぁ、オリバー、会いたかった。ずっと、待っていたわ。それなのにごめんなさい。私のせいでこの国はまた壊れてしまう」
ソフィアのか細い手が黒く染まっていく。それでも彼女から放たれた黒い靄は僕たちの周りに渦を巻くほどに成長していた。
これだけの穢れを、こんな小さな身体に――。
怒り狂ったように揺れる大地。倒壊する家屋。街の方から上がる無数の悲鳴。
「私は、ただ。この国を災厄から守りたかった。それなのに、私が――この私が災厄をもたらしてしまうの」
僕は涙を流すソフィアのことをただ強く抱きしめることしかできなかった。
僕はどこで間違ったって言うんだろう。ソフィアはどこで間違ったって言うんだろう。
所詮僕たちに死者の魂を浄化することなんて出来なかったのか。自分たちの力を過信して「霊魂の間」なんて作ってしまったから、彷徨える死者の魂がこの地に大きな穢れをもたらした。いや、僕が戦争を起こさないようにもっと隣国と上手く交渉出来ていれば。自律型人形兵器なんて危険だからと投入を止めさせていれば。
そんな「もしも」は数多く浮かぶけれど、僕はいつだって自分に出来る最善を選んできたはずだった。
ただ、ソフィア。君を守れればそれで良かったのに。
「ごめんね、ソフィア。僕が君を守れなかったせいで、こんな残酷な役割を担わせてしまった」
「――いいえ、貴方のせいではないわ。この身は私が眠っている間に人間のそれではなくなってしまった。ただの器となってしまった。だから私は――災厄を呼んでしまったのよ」
「でも君をそんな寂しく暗い空間で眠らせてしまったのは僕だ! あの時君の決断に僕が反対していれば、こんなことには!」
「いいえ、そうなれば神木が穢れに耐えられず災厄を呼び寄せていた。きっと十五年も保てていなかったわ」
「でも! 君にこんな悲しい運命を課すことはなかったんだ!」
大地の揺れが一度収まったところで、一人の男が立ち上がった。
「そうです、巫女様! 貴方がそんな全ての責任を負う必要はなかった! 貴方にそんな酷い役割を押し付けたのは、他でもないわたくしたちなのです」
アシュリー・クレスト。十五年前、ソフィアを神木に送り届ける時も僕たちに力を貸してくれた人物だ。彼は今日、街の人々と共にソフィアの帰りを待っていてくれていた。彼の声に背中を押されたのか、集まってくれていた街の人々が何人も立ち上がり始める。
「巫女様をこんな目に遭わせた責任は私たちにあるんです」
「どうか苦しまないでください、巫女様。貴方の国を守ろうとする心は、ちゃんと届いていますから!」
「「巫女様!」」
ソフィアと仲良くしていた街の人々。戦争の後に生まれてきた子供たちの叫び声。それが孤独だったはずのソフィアの心にそっと沁みて――。
「みんな、どうしてそんなに優しいの。私は今この国を壊そうとしているのに」
「それは君の意思じゃない。僕たちはみんな、君のことを守りたかったんだよ」
この国のことを常に考え、守ろうとしてくれた巫女様。街の人々に笑顔をくれた巫女様。孤独と苦しみの中で十五年間も耐えてくれた巫女様。
そんな彼女を責める人など、この場には誰もいなかった。
「――ありが、とう。貴方たちの声を聴くだけで本当に嬉しい。あぁ、オリバー。せめて貴方に会えて良かった。この身はもう人間ではないけれど、まだ私という自我が残っていて良かった」
「ソフィア――」
「だからこそ、私は最期に決断することが出来る」
ソフィアは彼女に向けて祈る街の人々を見回し、神官たちに「ありがとう」と呟いた。そして僕の顔をじっと見つめ――。
小さく息を、吸った。
一瞬だけソフィアの瞳が澄んだ青に戻ったような気がした。強く抱きしめていた彼女の身体がどくんと脈打つ。
次の瞬間僕たちの周りを覆っていた黒い靄は彼女の身体に全て取り込まれていった。
「……何が――」
彼女は自分の身体をもはや人間ではなく器なのだと言い切った。それならば、いずれソフィアという自我も消えてなくなるのだろう。だから彼女は決断したのだ。
「穢れを、もう一度全て引き受けた――きっと私は私でなくなってしまう。けれどこれで、災厄を失くすことは出来なくても遅らせることは出来るはず。だから、お願い」
「「巫女様!」」
大地の揺れが完全に止まり、空を渦巻いていた黒い雲も少しずつ薄くなっていく。周りを囲んでいた人々が一斉にソフィアに駆け寄り涙を流した。彼女は再び灰色に染まった瞳で彼ら全員と一人一人目を合わせ僕に体重を預けた。
「私はしばらくの間、この地で眠りに就くわ。だから――貴方たちにこの国の行く先を任せたい。守ってほしいの。この国をまた戦争に導こうとする力から、そして災厄をもたらそうとする『私』から」
ソフィア、僕は君を守りたかった。そのために騎士になって剣を振るった。昔、君が巫女でなかった時。何物にも縛られなかった君の笑顔をもう一度見たかっただけなのに。
僕は結局君のことを手放すしかないんだね。
「お任せください! 巫女様、必ずわたくしたちが語り継ぎます。再びこの地に穢れが集まらないよう、今度はわたくしたちがこの国を守りますから! どうか……どうか、ご安心を」
アシュリーの言葉に全員が頷いた。これ以上、ソフィアに何も背負わせない。
真っ白だった肌は黒い靄に覆われ、遂にその美しい顔さえ灰色に染まっていく。もはや彼女の身体は穢れの塊と化していた。そしてわずかでもソフィアとしての人格が残っている内に、彼女は再び眠りに就くのだという。
徐々にひび割れていく素肌をそっと撫で僕はソフィアの唇に顔を近づけた。
「オリバー、お願い。次に目覚めた時、私は再びこの地に災いをもたらそうとするでしょう。けれど今、貴方たちを守るにはこの方法しかないの。だから」
「うん。君をずっと待ち続けるよ。今度こそ僕も君を守れるようになるから」
まるで地獄への門が開いたかのように彼女の身体は少しずつ地面に吸い込まれていく。
彼女をこんな「モノ」にしてしまったのは僕なのだ。
彼女をこんな「災厄」にしてしまったのは僕なのだ。
だから今度こそ迷わない。君をもう一人にはしない。
砂のようにさらさらと零れ落ちる髪の一本さえ残すことなくソフィアを呑みこんだ穴は何事もなかったかのように閉じていった。
手記の内容は次話で最後になります。
ソフィアの決断に、他の人々は何を選んだのか。
どうしてこの古城で手記の人物が長い間囚われ続けているのか。
レーヴェはやっとその真実に辿り着くことになります。




