君の帰る場所はここにある
トワの運命を知ったベアトリーチェは何を想うのでしょう。
部屋に残された四人の間にはしばし変な沈黙が流れる。それを断ち切ったのはベアトリーチェだった。
「トワ。オリバーさんの言うことを気に病む必要はありません。私たちはいつだってトワの味方です。トワ、本当は貴方に居なくなってほしくなどないんですのよ? でも……本当にそれが変えられない運命だというのなら、私はせめて貴方の願いを叶えたいと思います」
「ベアトリーチェ……」
トワは一瞬泣き出しそうな顔になり、けれどぐっと堪えた様子で前を見据えた。その先には虚ろな目をしたノエルがいる。
「ノエル」
「頭冷やしてくる」
ノエルはトワの視線を避けるように椅子から立ち上がり、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「あ、その――僕、ノエルのこと」
「いいえ、レーベ。ここは私が行きます」
「え……」
追いかけた方が良いよね、と確認するよりも早くトワは席を立っていた。こんな積極的なトワを見るのは初めてかもしれない。
「でも」
どうしてトワのことを止めようと思ったのか、自分でもよく分からない。もしかしたらこれが嫉妬っていうやつなのかもしれない。トワがあんな顔で追いかけようとしているなんて、ノエルのことを羨ましく思っても仕方ないだろう。こんな時でさえ、ノエルでなく僕だったら追いかけてきてくれるだろうか、なんてつまらない想像をしてしまう。
トワは思わず服の裾を掴もうとした僕の手を華麗に避け、顔をまじまじと覗いた後、くるりと背を向けた。たぶん、僕の考えなんて一瞬で読み取ってしまったんだろう。こんな気持ち、トワに知られたかったのに。
「トワ、ノエルのこと、お願いしますわね」
ベアトリーチェの言葉に小さく頷き、トワは扉の向こうへ消えていった。
急に人が少なくなった部屋でベアトリーチェは聞えよがしにため息を吐いた。
「レーヴェは意外とこういう時、考えていることが顔に出るタイプですわよね」
「え、ベアトリーチェにもバレてた?」
「当り前ですわ。その顔で気づかなかったら大した鈍感です。トワに心配してもらいたい、トワに追いかけてもらえるノエルは羨ましいって思っていたんでしょう? で、最後にはそんな感情をトワに知られたくなかった、と。大丈夫ですわよ、同じようなこと、どんな人間でも思うでしょうから」
まったくの図星に思わず口ごもった。ベアトリーチェにもトワと同じように考えが分かる能力が備わってるんじゃないかって疑う程の的中率だ。それだけ僕が分かり易かったってことなのだろうけど。
「そう言ってもらえると心強い……かな?」
激励なのかよく分からない言葉を受け取って返しに困っていると、ベアトリーチェは席を立ち、トワが来る前にそうしていたように窓の外に目をやった。そこにはいつものように、神木が季節を感じさせない程神々しい緑の葉を生やしている。
「私はね、少しレーヴェが羨ましいです」
「こうやって嫉妬心を抱くことが?」
「……そう、ですわね。レーヴェもノエルも、本当にトワのことを想っているのだと思い知らされるよう」
「あー、そうかもしれないけど、ベアトリーチェがおんなじ気持ちを抱かなきゃいけないわけじゃないでしょ? それこそほら、僕たちは異性なわけだし」
「でも……」
尚も反論しようとするベアトリーチェはしかし言葉に詰まった様子で顔を伏せた。
「でも私は――トワが死ぬのだと聞いて、不思議とそんなに悲しくなかったんですわ」
「え――」
「おかしいと思いますでしょ? けれど本当なのです。私はきっと、どこかで巫女様が未来を夢見ることが出来ない存在だと気づいていたんですわ。だから改めてトワから聞いても、不思議と悲しくありませんでした。使命を果たせなければこの城で一生を過ごすことになります。そして使命を果たせばきっと――。どこかで分かっていたはずなのに、私は何もしようとしなかった。私は薄情者です」
「それは違うよ」
どこか遠い目をしたベアトリーチェは、まるで自分の残酷な運命を語った時のトワのようだった。何も感じないように、何も気づかないようにしているトワと同じなだけだ。
『私は何のためにここへやって来たのでしょう。トワのように神木の加護を受けて周りを浄化することも出来ない。手伝うことすら出来ない。トワのことを本当の意味で理解することも出来ない――』
いつかベアトリーチェはそう悩みを打ち明けてくれた。あれは神木に白い花が咲き始めた頃だっただろうか。
何もしようとしなかったなんて嘘だ。ずっと悩んでいたじゃないか。この城にいる意味を。トワの傍にいることの意味を。
「最近さ、トワの口調や言葉遣いが変わったなって思うことがあるんだ。前は本当に巫女様って感じだったけど、今は同世代の子と話しているみたい。昨日なんてさ、『貴方は村から可愛い子をつれてくるのかしら』なんて言われたんだよ。すごくベアトリーチェの影響を受けていると思わない?」
「そ、それはトワとよく恋についてお話していましたけれど。そんなこと、今の話とは……っ!」
「アシュリーさんやオリバーさんが最初に望んだのって、そういうことなんじゃないかな」
オリバーさんの後悔は、『あの日』一人でソフィアさんを行かせてしまったこと。だから候補は来るべき時、巫女様と一緒に眠る存在を選ぶために集められた。それは同時に、こういうことを示しているんじゃないかと思う。
「僕たち候補は、巫女様が――トワが一緒にいたいと願う存在になるために集められたんだ。ベアトリーチェは薄情者なんかじゃない。いつだってトワのことを考えていたじゃないか。トワと同じ世界を見たいって言ってたじゃないか。僕から見れば、ベアトリーチェはもうトワにとってかけがえのない友達になっているように見えるよ。……ベアトリーチェも、同じだろう?」
「……っ」
こちらを振り向いたベアトリーチェは、今まで見たこともないほど端正な顔をしわくちゃして目に涙を浮かべていた。気づかないようにしていた気持ちに触れて、止まらなくなってしまったように大粒の涙が零れ落ちていく。
「どうして――どうしてトワなんですの! 穢れを浄化するトワを、私たちは独りで眠らせないといけないんですわよ。最後にあのトワの手を、振り払わないといけない……そうでしょう? 私はそれなのに、今まで何も!」
「僕だって同じだよ。この手記を読んで、城が出来上がった頃に何が起きていたのか少しずつ知っていった。でもね、だからといって何も出来なかったよ。ただトワの近くにいて、彼女を毎日喜ばせようって、少しでも楽しくさせようって、それだけしか僕の頭にはなかった」
「それは……」
「トワはさっき、せめて願いを叶えてほしいと言った。でも僕はそれだけじゃ嫌だ。トワを目の前で失うなんて考えられない。だから昨日、トワに事実を聞かされた時からずっと考えていたんだ。トワを死なせないために、何が出来るんだろうって」
来るべき日に死ぬ運命にあるというトワ。
そもそも僕という普通の人間が、巫女様の運命を変えられるのかどうかさえ分からない。そして僕が候補になった時に告げられた「新たな可能性」がどれだけ幸福なものなのかも分からない。
だからせめて。
「僕は決めたよ。トワの帰る場所はいつでもここにあるんだって、トワを想う人たちはいつでもここにいるんだって伝え続ける。と言っても、今までとやることは変わらないと思うけど。ただトワに、毎日を楽しく過ごしてほしいなって。『来るべき時』をただ怯えて待つんじゃなくて、少しでも僕たちと一緒にいたいって思ってほしいんだ。昔の巫女様――ソフィアさんのように、独りで逝ってしまうことを決断しないように」
「あ……」
ベアトリーチェは一瞬虚を突かれた表情になり、ハンカチで涙を丁寧に拭いた後、美しい桜色の髪をさっと払った。
「レーヴェは本当にすごいですわね。何も出来なかったと、これからも何も出来ないのだと諦めていた私にこんなにも勇気を与えてくださるなんて」
「僕が今までやって来たことを、正当化したいだけかもしれないけど」
「いいえ、そんなことありませんわ。……トワの居場所、ですか。トワが巫女様ではなくトワでいられるための場所、ですわね」
「うん。というのもさ、僕は三人に居場所を作ってもらって、救われた人だから」
最初は厳しい視線で品定めされたのを覚えている。本当にこんな人たちと一年を過ごせるのかと正直とても不安になった。けれどいつの間にか、僕は当たり前のように毎日候補が集まる広間に行く。三人に会いたいと思う。
「僕はちょっと、変わってるじゃない? 多分ベアトリーチェはその原因にきづいたんだろうけど」
「ええ……レーヴェと過ごしている内に、少しずつ。まさかレーヴェも分かって……?」
「いや、残念ながら。鈍感だからトワに言われるまで分からないかもしれないなぁ。でもね、ようやく自分が『おかしい』ことには気づいたんだ。ほら、昨日ベアトリーチェが言ってただろう?」
『……貴方、本当は最初にトワに会った日、山で何をしていましたの?』
パーティー会場へ戻りかけたベアトリーチェに問いかけられた時、僕は初めて気が付いた。あの日、何をしていたかが思い出せなくなっていることに。
この城に来た時には思い出せていた……はずだ。今となってはその記憶すら怪しい。
「あれがきっかけだったのですわね」
「うん。僕が初めて古城を訪れた日、何をしていたのかも。住んでいたはずの村がどこにあったのかも。僕を育ててくれた両親がどんな顔だったのかも。全部、思い出せなかった。多分ベアトリーチェの言う通りだったんだ。僕はあの日、大切な何かを失った。でもね、不安も寂しさもないんだよ。ベアトリーチェ達がここにいてくれるから。古城に帰ればいつだって誰かが待っていてくれるから」
「レーヴェ……」
ベアトリーチェは小さくそう呟くと、手を差し出しながら歩み寄ってきた。そして僕の手を取り、昨日と同じように優しく包み込んでくれる。
おまじない。
誰かがここにいてくれるのだと教えてくれる、大切な。
トワ、君もどうか同じ気持ちを抱いてほしい。ここがトワの居場所なんだって。一人で背負う必要なんてない。僕たちはいつだって、一緒にいるんだって。
さぁ、光を照らそう。
僕たちに出来ることは、過去の想いを知り未来へ繋げて。
君の居場所を守ることだけ。
ねぇ、トワ。だからどうか。
僕の前から消えないで。
レーヴェは一体何者なのでしょう。そしてそんな彼はトワに対して何ができるのでしょう。
レーヴェの願いを叶えることは難しいかもしれません。
けれどきっと、トワにその気持ちは伝わるはずです。
どれだけ迷っても、ここには三人の候補がいるのだ、と。




